原発再稼働!する?しない? 再稼働は一体、誰が決めるべきなのか?
5月5日、北海道電力泊原発が定期検査のため運転を停止すると、日本国内54基の原発すべてが停止します。
野田首相と三閣僚(枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相、藤村修官房長官)は関西電力大飯原発の再稼働に向けた新たな安全基準を求める福井県からの要請を受け、4月8日、暫定的な安全基準を正式に決定。枝野大臣は、関西電力に対して中長期的な安全対策の工程表策定を指示し、再稼働を認める動きを進めています。
今回の暫定的な安全基準に対しては、今後の安全対策がまだ計画段階であっても、工程表の提出があれば安全と見なす事への批判のほか、13年度中の再稼働が計画されている 新潟・柏崎刈谷原発をはじめ、これから再稼働が検討されるすべての原発の安全基準として
適用されることについて懸念が示されており、さらに民主党内からも、福島第一原子力発電所の事故原因が特定されていないにも関わらず安全基準を決定することに「時期尚早」とする見解が示されています。
こうした政府の動きに対して、周辺自治体である滋賀県、京都府の首長が難色を示しているほか、関西電力の筆頭株主である大阪市は、橋下市長の主導のもと、大飯原発再稼働の前提条件としての8条件を政府に示し、同社の定款に、脱原発に関する新たな内容を加えることなどを株主提案によって実現しようとしており、再稼働の実現に向けては混乱が予想されます。
昨年11月の政府試算では、今夏に稼働する原発が存在せず、電力使用制限令を発動した場合、余剰電力は4.1%とされており、安定供給に必要とされる余剰電力5%にわずかに不足すると予想されています。こうした電力の供給減や電力料金の値上がりが経済にとっての
大打撃となる懸念から再稼働を容認する意見がある一方、稼働する原発がなくとも夏の電力需要を乗りきれるとする指摘や、万が一の原発事故への備えが不十分であるとの理由から、いかなる再稼働も容認しないとする意見もあります。
このように、原発再稼働の是非については、濃淡さまざまな意見が噴出し、収束の方向が見えないのが現状です。「原発の安全・信頼の確立」「安定的な電力の供給」「経済活動への影響」「エネルギー政策の未来像」など、立脚点や時間軸によって議論の方向性が大きく変わることに加え、”原発の再稼働に関わる決定プロセスとその責任の所在”が明確になっていないことも、以上のような混乱の一因と考えられます。
そこで今回は、「原発の再稼働をする/しないの意思決定を誰が行うべきか」を設問テーマとし、これまでとは違った視点から原発再稼働問題をとらえることで、閉塞感のある議論を一歩前に進めることができればと考えました。
日本の大きな課題に、オピニオンリーダーの皆さまのご意見をお聞かせください。
※コンパスで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
Q1:大飯原発再稼働に関する、これまでの野田政権の手順は評価できますか?
Q2:問1の回答理由をお聞かせください。
(文字数に制限はありません。)
Q3:現在停止中の日本の原子力発電所の再稼働する/しないを誰が決めるべきでしょうか?下記の選択肢から決定主体として最も適していると思われるものを、ひとつお選びいただき、回答理由を、どのような方法およびプロセスで行うかもあわせお聞かせください。
(複数の主体の組みわせをお考えの場合は、「そのほか」をお選びください。)
( 48件 )
1. 評価できる
Q2. 「1 - 評価できる」の回答理由
政治的には、再稼働を進めてメリットは一つも無い。業界の意向を踏まえてなどということはありえない。再稼働は政治的に国民、メディアから徹底的に批判され、その後の政治活動は、とりわけ原発、電力に関連しては徹底的に厳しいであろうから、そのようなことは政治的にあり得ない。したがって、再稼働を進めているのは、政治的に損であっても、日本経済を救うための決断と思われ、評価できる。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
法律上、政府が国民のため、安全性を最大限考慮して、決定することになっている。したがって、政府が責任を持って決定する。それ以外あり得ない。
そもそも国政上の政策実施の可否の決定が政府以外によってなされることは論理的にない。
南淵明宏
医療法人社団 冠心会 大崎病院 東京ハートセンター 心臓外科医
Q2. 「1 - 評価できる」の回答理由
国民が政府も役所もメディアも一切信用しなくなっているこの期に及んで、実際に一切努力など何もしなくても、電力会社が努力目標をもっともらしい美辞麗句がならんだ抽象的な「奸僚作文」で示しさえすれば原発を再稼働させてもいい、などといった「幼稚園のお絵かき」程度の判断基準で一国の電力供給体制が決定される、あるいは利権集団を保護するという、徹底した幼稚園内閣の王道をお進みになっている姿は凛々しくもあるので、それに対しては「内閣のみなちゃんよくがんばりまちたね」と国民はハナマルをつけてあげるべきではないだろうか。
Q3. 国民
爆発して困るのは周辺の住民。今回の事故で通常兵器であっても原発が攻撃されれば十分に国を滅ぼすことができることが示されたことは誰の目にも明らかであるので、今後は災害以外の人的策謀による大事故の可能性も否定できない。よってとにかく周辺の住民に再稼働の適否を決定させるべき。そのプレゼンや説得は電力会社なり、原発稼働でまた儲けたい奴等がするべきだ。原発に儲けさせてもらった土建屋の社長が周辺地域の自治体の首長や議員でもあることから、周辺自治体の信用は全くない。すぐとなりの、やはり危機にさらされている自治体との大きな温度差を埋められる道理はない。ところで地域住民を説得といっても、どうせ一二年で配置転換になる役人がいくら言葉を尽くしても人は理解しないだろうし、第一安全性を示すその根拠となるデータの信頼性が一切ない。
放射能測定値にしろ、経済予測にしろ、年金残高の今後の推移にしろ、あるいは次期税収の総額の予想にしろ、政府の出す数字は全部ウソでたらめ!全く信用ならず!という今の国民の深層心理に固着したドグマを為政者がまず変えていかなければならない。ただしこの国に為政者という立場が存続できるのであれば、という条件での話だが。そうでなければ混乱は未来永劫、おさまることはないと思う。あるいはどうせウソをつくなら、政府はもっと考えて絶対にばれないウソ、本当にしか思えないウソを今後はついてほしい。つまり①隠す②だます③タレ流す、の原発三原則を今後はつきつめて徹底してほしい。
2. まあ評価できる
Q2. 「2 - まあ評価できる」の回答理由
再稼動に関して誰もが納得するような完璧な手順がない以上、今回の手法は国民によって選ばれた政府の行政上の政治決断として一定の評価をすべきだ。問題があれば次の選挙で行政の責任者を変えることができるはず、これが民主主義の基本だ。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
再稼動に関して誰もが納得するような完璧な手順がない以上、国民によって選ばれた政府が行政上の政治決断を下すべきだ。問題があれば次の選挙で行政の責任者を変えることができるはず、これが民主主義の基本ではないか。政府以外が国民に代わって決めるとすれば、一体その責任は誰がどうやって国民に対し負うのか。この問題はやはり原理原則に戻って議論すべきだと考える。
3. あまり評価できない
吉崎達彦
株式会社 双日総合研究所副所長主任エコノミスト
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
再稼働するにせよ、しないにせよ、最後は「政治主導」で決断しなければならないことは、かなり前から自明であった。そのために十分な議論を積み上げておくべきであったが、消費税増税論議にかまけて、この問題がお留守になっていた感は否めない。
それだけ説得力が欠ける決定となってしまった。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
非常に大きな決定であり、最終的に国のトップが行うべきである。
民主政治が目指す姿は、Representative and Responsible Governmentである。
つまり政府は、「民意を得た」「責任のある」決断を下さなければならない。
ときに両者は食い違うこともあり得るが、その場合はトップが腹をくくって「責任のある」とみずからが信じる決断を下さなければならない。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
国民の関心の高さにこたえるべき決定プロセスに関する情報公開が不十分で、なぜ決まったのか、説得力に欠ける。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
本来政府が責任を持って長期的、大局的観点から決定し、立地・周辺自治体の合意を得るべく説得して行くべきなのに、そうした覚悟が見えず、説得力がないので、それぞれが自分の利益を主張しているように見える。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
原発が稼働しなければ、電力の供給不足、電力の値上げ、日本の産業の空洞化、経済の悪化など懸念される材料は多い。よって、耐震及び津波からの耐久性が構造上証明できるような近代的な設備の場合、稼働されることが望ましい、とは思いながらも、電力量の検証はもとより、福島における原発事故の究明など、明確に安全性が確信できていない国民が多い中での判断は非常に危険であると思う。個別周辺自治体の意見をもっと聞き議論を深めたうえでの判断が望ましい。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
国民が限られた情報量で判断することはできない。政府および周辺自治体長の双方の議論の上で、個別地域における政府の判断が必要。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
あまりに拙速で、政府内にこの分野に精通した専門家がいるわけではないとすると、官僚が用意したシナリオをほぼ丸呑みしている懸念がある。
Q3. 国民
エネルギーや防衛などは、本来、高度な政治判断が必要とされるので、政府の専権事項だと思うが、その政府が判断を誤り、大きな災害を招いた以上は、その被害者である周辺住民を含む国民の意思を最大限に尊重すべきである。
もちろん、国民はこの問題の専門家ではないので、簡単に結論は出ないだろうが、最初の一歩で妥協すると、後はずるずると流されてしまいそうなので、多少の経済的損失は覚悟しても、時間をかけて国民世論に耳を傾けるべきである。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
・科学的な手続きに不誠実である。保安院の専門家会議委員などから福島の事故原因の分析やデータをふまえた指摘がありながら、そうした意見をほとんど無視している。
・技術的な手続きに不誠実である。防波堤のかさ上げや免震重要棟の改善の必要性を認めながら、それらが実際に措置されるのは数年後というのは本末転倒である。
・制度的な手続きに不誠実である。安全を担保するシステムに欠陥があるから所轄官庁を統合して原子力規制庁を設けると決めたのに、それが発足する前に再稼働を判断するのはおかしい。
・政治的な手続きに不誠実である。事故の影響が及ぶのが立地自治体だけではないことが東電の事故で明白になった以上、法的に義務化するかどうかはともかく、関係自治体の何らかの同意を得るためのプロセスを抜きに再稼働が是認されるべきではないと思う。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
電力・エネルギー政策、産業政策、厚生政策に密接、広範かつ複雑にからむ以上、政府トップが総合的に判断するべきであって、所轄官庁や電力会社の意向が意味をもたないだけでなく、自治体や国民一般の意思も直接的には反映されるべきではない。政府が判断して決定するまでのプロセスにおいて事故の検証結果やテクニカルな対策、安全を監視する制度機関や関係自治体への説明が一定程度保証されるようにした上で、あくまでも政府が判断するべき。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
多くの方が指摘しているように、「再稼働、先にありき」という印象が強いのです。「安全第一」であるべきものが、「安全宣言第一」になっているという印象を国民は持っています。その心配を解消する努力が不十分です。昨年の3月、原子力発電所が停止したとき、技術的な部分の説明が不十分なまま、「ですから安全です」と記者会見で結論部分の説明を続けた関係者の姿を思い出します。安全を確認したあと説明をする立場の皆さんが最初から「安全です」という説明をすることが業務であるかのように説明の席に出たことを国民は知っています。再稼働問題では、住民らは疑心暗鬼になっています。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
事故がおきたとき、住民に大変な損失を与えることになるので、電力会社のみや、所管官庁のみで、再稼働を決めるわけにはいかないでょう。
政府、官庁、国民、自治体、そして、外国のこの種の安全委員会の専門家を外部専門家として評価に加わってもらってはいかがでしょうか。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
政権基盤の不安定さや多くの問題が山積していることに同情の余地はある。また原発の諸問題はこれまで長い間先送りさせてきたものであり、それを四方が丸く収まる形で決着をつけることが極めて難しいことも事実である。
しかしながら、今回のプロセスはやはり付け刃的であることは否定できない。これだけ社会的・経済的に重大な問題であるならば、ある程度時間をかけつつ、丁寧に理解を求める手順を踏むべきであったろうと思う。
国民の原発の怖さを知った一方で、電力が不足する大変さも認識した。そんな中で国民の多くは、十分な説明があれば原発の再稼動を受け入れるという気持ちなのではないかと私は推測する。そこで必要なのは政府の説得力のある行為と行動だが、それが不足している。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
この回答は難しいが、あえて挙げるとするならばということで選択した。原発という施設の重さを考えるならば、国民に責任をもつ政府が決定すべきだと思う。もちろん、政府としたものの、それは地元住民と時間をかけた話し合いを行った上だということを前提とする。問題は政府に対する国民の信頼が決定的に欠如していることであり、それが話を難しくしている。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
安全性は通常の場合ではなく、福島でのケースの様に災害時を主眼として考えられているのか。電力需要を満たすための議論ではなく、再び原発による2次災害を防ぐ対策は明確に示されてはいない。原発の必要性は災害対策を含め全ての安全基準が満たされ無ければ説得力は無い。手順が違う手法には賛同できない。
Q3. 立地及び周辺自治体
電力供給を受ける自治体や地域は直結した需要を持ち、電力使用を自ら検証する立場にある。電力不足が生じた場合も地方自治体の自己責任で対処すべき。
牛尾奈緒美
明治大学情報コミュニケーション学部教授
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
稼働を前提とした対応に見える。
安全性への不安が払拭されない中、早急に結論を出すのは望ましくない。
納得のいく説明と情報開示、きめ細かな議論が成されるべき。
Q3. 国民
脱原発は理想の姿だが、それにより変化する現実の生活を私たち日本人はどう受け止めるのか、それへの覚悟が試されるべきではないだろうか?
経済的繁栄に裏打ちされた物質的豊かさや便利な暮らしを改めて問い直し、これからの社会に求められる本当の価値とは何なのか、国民一人一人の責任ある判断に基づくのが本筋であると考える。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
問3の回答の通り意思決定主体としておかしい
Q3. 立地及び周辺自治体
究極的には地域の住民が決定する事項だが,現実のプロセスとしては関係都道府 県の県議会決議が妥当.
このような自体に対応するためにも県よりも広域に及ぶ 地方行政単位が必要。
再稼働が困難な場合,それによる電力需要抑制のための値上げは必要なこと.し かし,このような
値上げは地域独占企業(要は各電力会社の)独占利潤を産む可 能性もある.暫定的には十分な監視
による国庫・関係自治体への余剰金の納付 ルールを,長期的には全面的な電力供給の自由化と
太陽光発電へのシフトが必要。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
①急ぎすぎる印象がある、もうっと丁寧にやるべきである。
②格納容器のベント(排気)時に放射性物質を取り除くフィルターの設置など重要な対策でも、
先送りをした。
③特に、期限は電力会社任せとなった。今や電力会社の信用は地に落ちている。
④官邸が指名する国民の納得する委員が公開の場で話し合い総理に決断を求め、総理が
決断をすべきではないか。民主党はあまりにも責任をとらない。
⑤おそらく、開始の時期が北朝鮮の核実験の時期に重なるであろう。再開の時期は非常に悪い。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
電力、エネルギー政策は国の所轄事項であり、最高責任者である首相が決めるべき。
首相(政府)は電力会社や他の機関にその判断を任せるのではなく、自分に責任があることを明確にせねば国民は納得しない。
その際に、地元の納得を得ることが十分に必要である。もしどうしても地元との調整がおりあわねば民主主義国家らしく、解散にうってでるべきだ。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
徹底した議論が尽くされておらず、対応が場当たり的な印象を受ける
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
「1:政府(首相と三閣僚)」「3:立地及び周辺自治体」「4:国民」などの意見を
総合的に勘案した上で、最終的には、政府が決定すべきであろう。
1:多様な意見が存在する中で、適切な選択肢の設定が困難
2:電力の消費地(大都市)と原発が立地する地域が一致しない
等の理由から、「住民投票」には馴染みにくい問題であると考える。
わが国は間接民主主義の政治制度を採用しているのであるから、基本的には、様々な利害関係者の意見を総合的に勘案した上で、政府が政治責任を負う形で決定すべきである。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
基本的に、再稼動を前提とした手続きであるとの印象がぬぐえない。
また、再稼動に関して何が問題であるのかすら明確では無いように感じる。
もちろん安全性ということになるのであろうが、「想定外の災害」が起こった場合を想定すれば、
想定外であるので安全性が保障できないのは自明の理である。想定内のものであれば、今まで稼動してきたのであるから再稼動可能ということになる。
したがって、いかなる場合の何の安全性をチェックしたのかが不明なのである。
また、閣僚の国会等での発言も行き当たりばったりの感が強く、反対を匂わせたり賛成に回ったりと一貫していないことも、手続き及び再稼動の是非の判断に不安を抱かせる大きな原因になっているのではないか。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
原子力発電所の形式的な所有者と実質的な所有者がハッキリしていないので、なんのとも言えない。再稼動は電力を作り出す企業の問題であるので、電力会社に決定権があると考えるのが資本主義社会では当然と思われるが、電力のような公共的なものについては国の関与が大きく、また許認可権を国が有しているのでこうした質問をしたくなるのであろう。
このような玉虫色の判断、悪く言えば責任の所在を不明確にすることで共存してきた、極めて日本的な結論の出し方が問題視されていることになるのではないか。国のエネルギー政策に関わる問題でもあるので、企業に任せるわけには行かないことを考えると、国、政府が決定し、エネルギー政策の一環として責任を持つべきなのかもしれない。
(個人的意見)
必ずしも状況に詳しくないので、オピニオンリーダーではなく、平場の庶民の意見ですが、
原子力発電所の稼動を止めたところで、核燃料棒が存在している以上、程度の差こそあれ、
福島のような災害の危険は全く回避されないのではないか。と考えれば、安全性の議論は、
核燃料棒の処理に行き着くはずである。しかしながら、報道あるいは政治の場では
そうしたことがあまり聞こえてこないように思う。稼動するかどうかに注目が集まり、
本質的な危機管理に議論が至っていないのではないか。
上記のことが正しいと仮定すると、動かしても動かさなくても危険性があるのであれば、
原油高騰、電力依存体質の回避は困難であることなどを考慮すると、代替エネルギーないしは
発電方法が定着するまでは、稼動するしかないように感じる。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
全てにおいて、なぜそのような判断をしたのか、
理由及び決定へのプロセスが見えにくいから。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
(3:立地及び周辺自治体、4:国民 の2つを選択)
一般的な決定のプロセスとしては、
法的なプロセス他、行政、政治、社会的な観点からの
プロセスがあるとは思うが、
いずれにいしても、国民に納得してもらえるように努力がもっと必要。
国民の立場からすると、なぜ、再稼働が必要か、という理由について、
国から納得のいく説明をもらってない気がする。
いくつか必要とされる理由はあるが、いずれも
私どもの腹に落ちるものとはなっていない。
〇需給逼迫
どのような計算で、どのぐらい足りないのかを明らかにする。
⇒その足りないものを補うのに、今回福島で見せられたリスクを勘案しても、
原発でないと、いけない理由は?
〇安全性の担保
福島の検証作業が終わっていないのに、本当に安全性は担保できるのか?
⇒ここにきちんと答えるべき。
安全基準をもっと明確に示し、それと照らして合わせて、
どういう状況かを分かりやすく見せるべき。
〇国のエネルギー政策
間もなく見えてくる「エネルギー基本計画」等で、
国は今後、原発をどう位置付けるのか?
⇒この基本姿勢とその理由、将来への展望をきちんと説明すべき。
まだ、本当の意味で収束したとは言えない福島原発のことがあるので、
原発に不安を抱える国民に対し、これまでの何倍もかけて
丁寧に説明をする必要があり、特に周辺自治体の理解を得るための
更なる努力を求めたい。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
原発にかかわる周辺自治体の知事・市町村長に、もっと事前に(水面下も含めて)根回しをして、意見の対立が露呈しないように手続きを進めるべきだった。国が主導するのは、現行法令上裏付けがある(自治体の同意は義務ではない)が、今のように表立て知事・市町村長が国の方針に異議を唱えられてしまっては、動かせるものも動かせなくなってしまう。
知事・市町村長の言は重く、一度発言してしまうと、その言を変えるには相当な政治的説得がなければ難しい。
国の方針に異議を唱えられる前に、国の方針を事前に(水面下も含めて)相談して意見を聞きながら、方針を固めてゆくべきだった。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
原発にまつわる電力供給体制や事故防止・対応を総合的に評価・判断するには、都道府県や市町村では、その管轄する行政区域が小さすぎて十分にその役割を担えない(道州制が導入されれば話は別だが)。電力供給体制や事故が起きたときの影響は、1つの都道府県や市町村の行政区域を越えてはるかに広域である。
関連する複数の当該自治体が合議するのでは、責任の所在があいまいになる。かといって、電力政策に絡んだ政策判断が伴うから、電力会社に決定させる訳にはいかない。したがって、国民を代表する形で権限を持つ政府が、広域的に影響を見極めた上で決定するのが望ましい。
決定プロセスは、現体制よりも国際的にみても遜色ない程度に科学的見地からの専門家の意見をもっと取り入れられる委員会を公式に設置しつつ、最終的には関連する当該自治体の同意が必ずしも得られない判断になろうとも、国の責任で決定するという制度・慣行を構築するべきである。その決定が、多少政治的なバイアスがかかっていたとしても、民主主義の下での決定である以上やむを得ない。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
周辺自治体(その住民)が懸念を表明している以上、稼働すべきでない。
基準を明確に定義した上で、自治体首長の同意をとるという原則をとるべき。
曖昧な基準はよくない。
周辺自治体(その住民)が懸念を表明している以上、稼働すべきでない。
周辺自治体を明確に定義した上で同意をとるという原則をとるべき。
Q3. 立地及び周辺自治体
不安をもっている地域住民をデータをもって説得するのが国の役割であろう。
沈才彬
多摩大学大学院フェロー(中国ビジネス研究所代表)
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
「拙速」だ。意見調整や説明責任など十分に果たしていない野田政権の手順はあまり評価できない。
「拙速」というイメージが強い。政府内部の調整、地方自治体との調整、原発所在地住民及び周辺地域住民との調整が不足のまま、大飯原発再稼働を認めようとしている。大飯原発は本当に安全なのか?説明責任を十分に果たしていない野田政権の手順はあまり評価できない。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
最終的に政府が責任をもって決めるべきである。逃げていけない。責任転嫁も絶対だめだ。ただし、決める前に、立地及び周辺自治体との意見調整、電力会社との調整、国民への説明責任の履行などが必要だ。そのうえで、首相は決断する。この決断の重さは尋常ではないため、政治生命をかけて決断する覚悟も当然必要となる。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
様々なコメンテーターさんや解説の方々がおっしゃるように、果たして本当に安全かが不透明と感じます。
そもそも、原発事故以降の情報の信憑性が欠けていることで、どう説明されても信じていいのかが分かりません。
原発事故が起こってしまった今、今後どのような想定外も起こってはならないと思います。
私たち一般の国民は政府の情報をメディアを通してしか知ることが出来ません。
電力不足の数値も、どのように計測しているのか、不足の事態になったときに、どのような被害が起こるとされているのか、もっと民間の機関や客観的な検証をしていくことが必要なのではないでしょうか。
またまだ先に予定されている、完成されていない安全対策の中で、再稼働を急ぐことのメリットがどこにあるのか疑問も残ります。
そしてそもそも、国内の原発がゼロになることへの懸念だけが報道されていますが、北電、東電、関電などそれぞれ分かれているのに、国の原発が、、、と一つにまとめて考えられていることへも疑問です。
ただ、原発が存在することで街が支えられている場所があること、原発によって便利な世の中に私たちが生かされていることも事実です。
原発を縮小していくことで安全のために国民に負担が増えることや、不便な生活になる可能性があることを真剣に私たち国民もしっかり受け止めなくてはならなくて、そのことに向き合うきっかけをもっと作っていかなければならないのではないかと考えます。
私自身は、いますぐに原発をゼロに出来なくとも、徐々に減らしていくことがよいと思っています。
そこにばかり頼らないよう他の電力供給を望むと共に、自分たちも安全な生活のための負担を覚悟することが必要と思います。
Q3. 国民
原発事故により被災地復興が遅れている中で、がれき処理の受け入れが進んでいない問題も多いに関係していると考えます。
日本全体の問題として、子供がいるいない、年齢、地域に関係なく自分たちが直面している問題として、国民が決断するべきのような気がします。
各地域に原発再稼働するしない、またそれぞれ地域にあったとしたらどう考えるかを問うのはどうでしょうか。
国民投票のような形は可能ではないのでしょうか。
Q2. 「3 - あまり評価できない」の回答理由
簡単な解決法がないのは、誰もがもうわかっている。
同時に、ストレスコーピング(目の前にあるストレスに、どう対処していくか)という側面で
意見するなら、いまや
「絶対に安全なこと」など、自然の脅威の前では、まったくないという事実をしっかり
受け止めていくしかない。せめて、この「3.11で体験してしまった痛い学び」を、
感情的にだけではなく、論理的にも忘れてはならない。
となると、そもそも「暫定的な安全基準」という言葉自体、空虚でしかない。
原発再稼働を前提とした議論の心理的根底にあるのは、「もとに戻らなければ」である。これがもう違う。
今、この人類史上においても最大に値する「危機節目」で、我々が持たなければいけない視野は、
100年先の人類が地球でどう生きるか、だ。
この思考視野は、今を生きる我々には、相当の覚悟のいることだ。
我々人間の心理的成長が試されている、といっても大げさじゃないと思っている。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
1:政府(首相と三閣僚)、4:国民 の組み合わせ
問2の答えを思考ベースとするならば、再稼働するしないを決めるのは、国民だろう。
決断には冷静な判断が必要。その判断基準は、再稼働をすることのリスク、しないことのリスク、を理解し、
今の我々の利益ではなく、100年先の人類のWELL BEINGを視野におくことだ。
それをまとめていくのが政府だろう。この誰もがわかっている当たり前の手順をふめない
「我々の自己中心的、近視眼的思考」をどれだけ変えていくかだ。
すぐには変われない。人間なんてそんなもんだ。しかしせめて少しずつ、
少しずつ、本質を見て、行動を始めるしかない。今は、それだけの危機的状況だと思う。
4. 評価できない
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
将来的な方向性がまったくみえない。「30年後をにらんで完全脱原発依存を進めるが、目先の暫定措置として大飯原発を再稼働する」か、「将来的にも原発は一定数維持する前提で再稼働する」のか、将来的にどうするのかを言わずして、なし崩し的に再稼働するのはよくない。野田首相の意志がわからない。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
中長期的に原発を減らすのか、維持するのかを明確にした上で、目先の再稼働を決定すべき。減らすことを前提とするならば、代替エネルギー開発計画を、維持するのであれば安全対策強化案を同時に示すべき。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
原発再稼働を認めるかどうかは、政治判断だと捉えていることは、議論のすり替えであり、国民を騙すことになりかねないから。問2においてふえんする。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
本来、原発再稼働が安全かどうかの判断は、専門家集団が行うべき。原子力安全委員会などがこれにあたるべきであるが、現在のその委員会は、その判断を行わず、むしろ、その判断を政府に投げているようにも思える。そこに大きな問題があるが、本来は、原子力等の専門家が十分に議論を尽くして安全性を判断すべき事柄である。たとえていえば、重篤な病気を持つ患者に外科的大手術をすることが生命にどの程度の侵襲・危険をもたらすかは、専門医の判断になる。そして、専門医が手術は生命の危険がそれほどなく比較的安全と判断した後で、今度は、家族の判断で、「それでも高齢だし、家族も手術に消極的なので、手術は避けよう」ということもあり得る。その家族の判断が、いわば政治判断である。科学の問題とそれを受けた政治判断を混同してはいけないし、いかにも政治判断で再稼働を決定できるという雰囲気を漂わすことは、国民に対する欺瞞である。従って、回答としては、専門家会議の安全との決定とそれを受けた政府の政治判断のセットであると思う。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
これまでの手順は再稼働ありきの辻褄合わせでしかない。ストレステストや暫定安全基準の前提条件に福島第一原発事故が生かされていないのでは・・・。原発近くにおける活断層の有無、過去の地震、判明活断層長さだけから割り出した被害想定を前提とすべきではない。それで福島第一原発は想定を誤って事故につながったのだから。震度6強以上の地震動及び普遍性のある最大公約数的地震災害(三方向加速度1000ガル、長周期、短周期、地盤沈下、液状化、津波15m)に備えるべき。日本海側にはM8以上の大地震が発生しないことを前提のストレステストやお手盛りの安全基準では信頼できる再稼働条件とはならない。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
最悪の原発事故を起こした以上、従来の再稼働プロセスは白紙にして新しい再稼働決定ガイドラインを作らなければならない。前述の安全基準をクリアした上で、そのプロセスに従い安全規制庁、立地自治体の同意と半径30Km周辺自治体の意見を聞いた上で、政府が責任を持って決定すべき。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
大飯原発を再稼働させることの技術的問題については分かり兼ねますし、全原発をこのまま再稼働させないということで起きる電力不足は懸念をしています。原発を前提にしてできあがってきた社会が、一気に全原発を廃止するという急激な変化には耐えられるとは思いません。また、原発の問題を、「命か経済か」「安全か危険か」という二者択一で考えることは間違っている、と考えます。停電にでもなれば、猛暑の中で熱中症で命を落としたり、医療機器が作動せずに危機的な状況に陥る在宅患者もいるでしょう。それに、格別何の対応をせずとも電力不足にはならない、とする意見は、埋蔵金やら予算の組み替えでいくらでも金は出てくると言っていた民主党の言説を思い起こさせ、にわかには信じられません。
しかし、今回の野田政権が再稼働を決めようとしているプロセスには、大いに疑問を感じます。
第1に、決定の順番が違います。原発事故が起きて、これまでの原発を推進する政策は見直しをせざるをえません。菅元首相も野田首相も「脱原発依存」という言葉は口にしましたが、それがいかなるものか全く説明をしていません。
原発は将来的になくしていくつもりなのか、それとも原発への依存度を下げるという意味なのか。前者だとすると、どれくらいかけてなくすのか。後者とすれば、どれくらいの依存度ならよしとするのか。そして、これまで原発で作っていた電力は、どのように補っていくのか…。
具体的なエネルギー政策は夏に発表するということですが、方向性や骨子くらいは示すのが先でしょう。そもそも民主党は、消費税の問題と同じくらい、いえそれ以上に重要なこの課題を、どのように討議し、方向性を決めているのかちっとも伝わってきません。
第2に、決定の根拠が不透明です。エネルギー政策の方向性を示したうえで、電力の需給、コストなどをすべて明らかにし、現在、動かすべき原発はいくつなのかを説明する必要があるはずです。今や、根拠やプロセスが透明でないものに、国民は信頼を置きません。
第3に、設備面の安全対策については発表がありましたが、人的対策や万が一事故が起きた時の現地と政府、政府内、対自治体、対国民コミュニケーションについては、どのような改善がなされたのか、きちんと示されていません。福島第1原発では、そういったコミュニケーションの問題が大きかったように思いますが、その教訓はどこにどう生かされたのでしょうか。
エネルギー政策の方向性すら決めないまま、根拠は不透明で、福島での教訓が十分生かされたかどうかも分からないまま、目先に迫った全原発停止を避けるためだけに、場当たり的に基準を決めているように見えてなりません。こうした場当たり的決定には信頼が置けません。
このありさまでは、表向きは基準に沿った判断をしているようでいて、実際は、なし崩し的に次々に運転が再開され、十分な対策がとられないまま原発依存社会が続くのではないか、という不信感を持たれるのは当然です。
しかも、政府内でも枝野経産相など、その時々で話がぶれていて、本当に自らの責任と覚悟をもって判断するのだろうか、という懸念も感じます。
Q3. 所轄官庁
原子力に関しては、国が責任を持つべきだと思います。
規制庁すらできていない状況では、首相と三閣僚の責任で判断するしかないのではないでしょうか。
安冨潔
慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)教授,弁護士
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
原発再稼働について「政治判断」という考え方が間違い。
暫定的な安全基準をもとにして再稼働を認めるというが,なぜ専門家の「十分議論を尽くして」(彼らのよくいう台詞)決めた安全基準をまってからではダメなのか?
今夏の電力不足というのも実証性に欠ける。
結論ありきの判断としか思えない。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
政府の御用学者ではない専門家による十分な議論を尽くした安全基準を基にして,最終的には電力会社が決めるのでよい。
政府は,電力企業の発電と送電の独占化をあらためるような法案を国会に提出すればよい。電力関連の事業の多様化を図るのが,いまの政府のとるべき途と考える。
中津孝司
大阪商業大学総合経営学部教授,国際問題評論家
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
政府は財界からの要請で再稼動を急いでいるに違いない。原発停止で電力不足と電気料金の値上げは回避できない。しかし、現時点で政府がなすべきは原発の稼動そのものを許容するか、しないかの国会における採決だろう。世論は明らかに再稼動に反対している。電力不足と料金値上げを覚悟した上で、原発の稼動と新規建設を最低10年間、凍結することを政府が逆に提案すればいかがか。今回の原発事故の惨状を考えると、安易な再稼動や新規建設は賛成できない。これが今の日本国民の大方の見方ではないか。再稼動で政府が無理をすれば、消費税増税案件も国民に否定される恐れがある。政府は慎重に行動すべきだ。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
野田政権の原発への姿勢は、「依存度は下げつつも、安全性を高めたうえで活用していく」というものだが、そもそも管政権のときの脱原発から、どう方針転換したかもよくわからないし、大飯再稼働を必要と判断したなら、まずはその根拠を国民に十分説明するべきである。
それにしても、行程表作成をもって「安全性は妥当」とするとは、一体どういうことか。30数項目にも及ぶ対策の完了は2015年というが、安全性を言うならそれらが完成してからのはずである。
また、福島第一原子力発電所の事故では、設備などの能力不足だけではなく、それを使いこなしコントロールするシステムや人の面でも問題があることがわかったはずだ。原子力規制庁もできておらず、専門家でもない閣僚がいくら安全性を確認したといったって、「それで大丈夫だ!」とはならないのは当然である。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
最終判断は政府ということになると思う。が、今回の場合は、立地及び周辺自治体(事故が起きた場合にリスクがある)や、当の電力会社の電力を使う(電気料金を払う立場)組織や住民の意見も尊重されるべきだと考える。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
東電福島第一原発事故を受けて、国民の意見は明らかに脱原発に傾いている。事故原因の究明や事故の収束さえとうていおぼつかないまま、「暫定的な」安全基準を場当たり的に設定しそれに「概ね」適合するといういい加減な判断を下して、大飯原発の再稼働を強行しようというのは、「原子力ムラ」に支配され国民・国土の安全を無視しつづける政治家階級への不信感を増すばかりであると考えます。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
東電福島第一原発事故は、日本の原子力政策の破滅的な大失敗を国内外に示したもので、「死の街」と化した故郷に戻ることができない周辺住民はもちろんのこと、(とりわけ4号機の危うい状況を踏まえたときには)遠く東京などに住む人びとさえも今に至るまで、そしてこの後何十年も、国民生活の安全を脅かしつづけることになります。
東京電力など電気会社、骨抜きの監督官庁、買収されつくした中央・地方政治家、メディア産業、原子力学界などからなるいわゆる原子力ムラの責任は重大です。政治についていえば、それは代議制(間接民主主義)が国民を裏切ったことを意味しています。そのため(沖縄を除く)日本では実に久しぶりに、若者や子ども世帯、お年寄りなど数多くの人びとがデモに参加し、ソーシャルメディアで情報や意見を交換しあい、原発の是非を問う住民投票・国民投票を求めて署名活動など直接民主主義の実践を展開してきました。これは原子力発電を推進してきた過去の日本の政治プロセスの歪み、すなわちあなた任せの政治への反省に基づいており、ようやく日本の民主政治が成熟の兆しを見せてきたということができます。ここでまた、このような重要な政治課題について中央・地方政治家に「白紙委任」のようなかたちで判断を丸投げしてしまっては、我われはこの大惨事から何の政治的な教訓も学ばなかったことになります。
代議制を全否定するものでは決してありませんが、本来の民主主義は直接民主主義です。原子力ムラの構成員たちが誰一人として責任を取らずにこのまま逃げ切ろうとしていることは、代議制の機能不全がいまだ続いていることを示しています。
現存する原子力発電所の再稼働の是非については、立地および周辺自治体(さらには電力会社管内の自治体)において首長の独断ではなく住民投票をもって決すべきだと思いますが、それと並行して、国家として日本が原子力発電政策をつづけるのか止めるのかについても国民投票により意思決定を行ってしかるべきだと考えます。(市民たちが求める直接投票というのは代議制が体現する国家権力をチェックするために有効な手段であり、政治家や政党の代議制エリートが自ら設定した目的のために旗を振る(例えば改憲目的の)直接投票とは厳密に区別して理解するべきだと思います。)
鈴木豊
青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科教授・公認会計士
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
原発が現段階においてすべて停止することは国民生活・経済活動のあらゆる状況から考えてリスクのあることでもある。福島原発事故から判明したことは、原発のリスク管理がその根底において間違っていたことは明らか、すなわち原発リスクの分析、検査・監視体制の品質管理、責任の明確性について政府・検査機関・原発企業に緊張感ある意識と体制つくりとその実施体制に欠陥があったことは明らかである。にも拘わらずまだその再構築ができておらず、この段階で再稼働を意思決定することは、国民目線から見て容認できないであろう。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
国民の立場の外部・独立専門家チームの選任を国会で行い、公開の場で審議をすすめ、完全な納得を得られる手続きで行うべきである。理由は、国民の命を守らなければならないことを第一義とし、国民の財産を守ること第二義とすべきであるからである。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
東京電力福島第一原子力発電所の事故の収束が未だ見えない状況下、原発についてはおよそ殆どの国民が安全性に対する強い不安を抱いていることは明らか。再稼働に対して不安がる国民に対する丁寧かつ十分な説明をしてきたのかどうかというと、甚だ不足しているとしか思えない。特に地元自治体及び周辺自治体に対する説明は、今になって慌ててやっているとしか思えない。この点、政府は猛省しなければならない。
エネルギー行政の観点からは、経済活動や社会生活に大きな我慢や支障を強いる節電や計画転電を回避するため、原発なしでは電力不足が確実視されている中で当初から再稼働ありきであったのは致し方ないと思う。
しかしそのためには、今夏の電力需給逼迫が明らかになった昨年秋の時点から、原発立地地元はもちろんのこと、全国民向けの説得・説明を始めなければいけなかったはずである。現行の安全規制や震災後に導入したストレステストの評価手法など、現在ある全ての原発安全規範類の考え方について、少々小難しい内容ではあるが、長い時間をかけて広報してこなかったツケがこの土壇場になって噴出していると思えてならない。
Q3. 所轄官庁
国家政策としての原子力エネルギー政策に関わる最終責任の所在を明確にするためにも、原発稼働の認否については、エネルギー政策担当大臣(現行では経済産業大臣)と安全規制担当大臣(新しい原子力安全規制体制施行前までは首相+三閣僚、施行後はその担当大臣)に決定させるのが最適と考える。多くの閣僚に最終責任を負わせる形は、結局は責任所在を曖昧にするので良くない。
認否の方法については、エネルギー需給及び原子力安全の2つの観点からの基準を設定し、それに適合するかしないかを以て判断するべきである。
認否のプロセスについては、先ず、環境アセスメントを始めとして従来からのものを全て踏襲する。次に、いわゆる「地元同意」を求める場合の「地元」の範囲については、現行よりも拡充する方向で原発から一定距離以内の全ての自治体(首長及び議会)とすることが最適と考える。その場合、立地交付金など自治体への財政措置の変更についても当然に考慮することになるだろう。
尚、“脱原発”を今後の原子力政策の主軸にしていくに際しては、現存する全ての商業用原子炉の廃炉時期を明示するための廃炉計画と、原発代替とする大型電源に関する電源立地の策定を速やかに始めるべき。
松田千恵子
首都大学東京教授/マトリックス株式会社代表
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
我々日本人は、福島第一原発の事故によってどんな教訓を得たのだろうか。
国土の一部が実質的に長期使用不能となるまでの大きな損害を受け、計り知れない将来への
不安を抱え続けることとなった、そこから何を反省し何を学びとるべきか、は、
単に今の日本の問題ではなく、今後の人類のためにも、血のにじむような思いで真摯に
直面しなければならない問題なのではないか。そうした反省が全くなされていないままであることが
第一の理由。それに加えて、まず稼働ありきで進められ、稼働における論点や稼働の
必要性など当然あるべきロジックが明確に示されていない点が第二。第三に、政府は稼働をいたずら
に急ぐ前に、将来のエネルギー戦略の大綱を示すことこそが仕事であろう。原発とにかく反対といった
昔ながらのある種の運動に与する気もないが、少なくともこれら三点について具体的な考え方が
示されない限りは、稼働や非稼働、賛成や反対、評価や批判、ということができるスタートライン以前
の段階でしかないと感じる。
Q3. 国民
いったん事故が起これば国民全体の問題となることも、原発再稼働は単に稼働をどうするといった
問題ではなく日本国の向かう将来をどうするかという問題であることも、多くの人々が感じているはず。
イタリアのように国民投票をやってほしいと思っている国民は多いのではないだろうか。ただ、設問2の
論点が明確にならなければ単なるポピュリズムに陥る懸念もあるので、その点を政府及び所轄官庁が
明確に示す(バイアスをきちんとメディアが指摘することも必要)ことが前提。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
再稼働を前提に、住民に「理解」をしてもらうというやり方は、解せない。
事故が起こって、即死の状況にはなかったことぐらいは幸いだったが、
今後何十年、何百年にわたって住めない土地になってしまったことを二度と繰り返しては
いけないことを考えると、稼働ありき、原発ありきの国策というものを
もう少し慎重に検討すべきではないか。
そもそも、使用済み核燃料の処理が方法が不完全な状態で
原子力発電政策に踏み切ったこと自体、不審に思う。
環境にやさしいといううたい文句が、環境破壊を起こしてしまった。
この責任は、政治家にある。
決めたのは40年前といわず、今施工したことが、何十年か後に同じように検証される。
それを踏まえて決断をすべき。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
国民投票というやり方も一つの方法と思うが、
国民の全てが、原発の実態の全てをわかった上で、判断するというのならそれでもいいが、
世に出た、与えられた情報のなかでしか材料がないから、
メディアからの情報に大きく左右され、歪んだ結論を招きかねない。
つまり、原発がない場合に本当に電気の供給ができないのか。
停電がどれほど起こるのか。
原発の再稼働のために、供給が間に合わないと言いながら、
大隊エネルギーで充足できるのではないか。
ただし、その場合の料金が何倍にもなるのか。
何れ、石油石炭ガスが枯渇し、いつかやはり原発に頼らざるを得ないのか。
そんなことは、優秀そうな、(そうとばかり思えないが)我々が選んだ政治家が
判断し決断することを委ねる。ただ、今の政治家選びの制度、党議拘束による数合わせなど、
やはりここで実態がゆがめられているから、現状では信用できない。
政治家が知り得る情報にしても、「稼働ありき」の勢力側の情報であれば、
政治家も誤った判断をしてしまう。
誤った判断ではなく、国民誘導の罪とし、将来に誤った結果となった場合は、拘置する。
その前提の下で、政治家に判断をさせる。
いっけん専門家の判断が良さそうに見えるが、科学者の夢やエゴ、業界からの圧力や買収もあり得る。
自用法は出させても、最後は国民が代弁者、代理として選んだ政治家が、判断するのが筋だ。
だが、票を受け続けられるものと、業界の圧力のハザマも考えられるので、
「国民の生命と財産を守る」ことこそが政治家の最大の役割ということから、
万が一国民に対して不利益が生じた場合には、情報不足、資質不足などのあらゆる理由よりも、
故意の判断と解釈し、刑罰を与える。
そのくらい政治家には責任と資質を求める国にしたらいい。
不慮の事故も、想定外の地震、事故を何処まで想定して策をめぐらしたか、予防策を撮ったか。
裁判で判断し、罰則を与える。
国会での発言は、不逮捕特権の対象になっているが、これがいい加減な政治家をつくってきた。
国民に、国に命を賭けた国士の政治家というものを醸成する時代ではないか。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
再稼働に対する政府としての見解にぶれが見える。安全か経済か、といった対抗軸が
そこに見え隠れするが、そういった対抗軸を設定すること自体に問題を感じる。
フクシマの経験を日本がいかに覚悟をもって背負っていくつもりなのか。
未曾有の災害の痛手を、一体日本はどの程度身にしみているのか。
復興までに程遠い現実から目をそらすべきではない。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
決断はだれが下すかというと、国の原子力政策という観点から、政府になると思い
ます。ただ、そこでは、立地及び周辺自治体の住民の合意を必要条件とすべきだと
考えます。言い換えれば、住民たちがノーといえる拒否権を発することができるよう
な、住民による決定プロセスへの関与が望ましいと考えます。
特に長期にわたって因果関係が特定しにくく、人の命にかかわるような危険がつき
ものの原発については、リスク回避を最優先に決定を下すべきと考えます。もちろん、
どんなことにも危険や不確実はつきものですが、地震国の日本において、原発に頼る
エネルギー対策に無理があることは今回の被災でわかったわけですから、「当面は」
という済し崩し的に対処するのではなく、長期的な脱原発への政策転換を今から始める
べきと考えます。そこでは、何よりも、立地及び周辺自治体に生活する人々、特に、
これからの日本を支える子どもたち、若者がいるのですから、最終的な決断を下す
際には、立地および自治体で生活する人々の声に耳を傾けることが重要だと考えます。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
昨年来の重大事態を引き起こした最大の要因は、万一のことへの備えができていなかったことだ。
ところが、大飯原発再稼働をめぐる検討を見ていると、この教訓が活かされているとは
思えない。
「地震・津波がきても大丈夫と確認した」というが、それ以外の要因で重大事態に万一なったら、
どうなるのか。関西圏の住民に十分な情報が提供され、備えができている状況ではない。
このまま、もし万一のことがあれば、再び「パニックを起こさないため、情報を出さない」
といったことが起きるだろう。
この一事だけをとっても、1年間、いかに政府がやるべきことをやっていなかったかが明らか。
やるべきことをせずに、「電気が足りなくなる」という圧力だけで、再稼働に突き進もうと
しているとしか思えない。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
まず、信頼に足る規制主体(専門規制機関)を作り直すことが先決。
十分に機能できていなかった原子力安全・保安院と原子力安全委員会のままで専門的チ
ェックを行い、それをもとに、素人の大臣たちが「政治判断」といっても全く信頼に値
しない。
「自治体の同意」や「国民の判断」といっても、専門的チェックが機能していない状況
では、感情や利害に流されたものになってしまう。
松田哲
松田トラスト&インベストメント株式会社 代表取締役
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
「暫定的な安全基準」が、正しいのか、間違っているのか、検証できない。
福島原発事故が起こる以前にも、当然ながら「安全基準」があった。
その「安全基準」が間違っていたから、原発事故が起こった。
福島原発事故は、
地震や津波といった自然災害が原因ではなく、私は、人災と判断しているが、
仮に、地震や津波といった自然災害が原因だとしても、
原発事故は起こってはならないことなのだ。
しかしながら、「事故が起こってはならない」としても、
100%絶対に事故が起こらないということも、また、あり得ない。
つまり、いかなる「安全基準」を設けようとも、人間が行うことなのだから、
事故は起こるものなのだ。
結論として、原発は、廃止するべき、と考えています。
電力不足とか、さまざまな産業でのコストが上昇する、という理由で、
原発の再稼働を誘導する意見が散見されています。
しかし、昨年も電力は足りた。
節電の効果も大きかったのだろう、と考えます。
不必要な電気を使わないことで、
また、産業分野では、電気を少なく使う技術を、もっと発展させることで、
対応ができるのではないか、と漠然と考えています。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
ドイツなどの欧州の国々のように、
国民投票で、原発を再稼働すべきか、否かを、問うべき、と考えています。
現在の日本の制度では、
こういった問題を国民投票にすることは、難しいことも理解しますが、
法律を改正してでも、国民投票で、問うべきだ、と考えます。
個人的には、原発廃止を求めます。
それも、段階的原発廃止ではなく、即刻廃止で良い、と考えます。
電力が不足するのならば、
日本国民全員、日本国全体(産業なども含む)で、
我慢することも必要だ、と考えます。
国民投票を実施すれば、原発の再稼働は不可能になるだろう、
つまり、日本国民の総意は、「脱原発」と考えます。
無論、全員が即刻廃止を求めるのではなく、
段階的廃止を是とする意見も多いことでしょう。
いずれにせよ、福島原発の事故で、日本人の意識は変わった、
と考えます。
原発の再稼働を急いでいる人たちは、その利益関係者だけだ、と考えます。
政治家や官僚も利益や権益があるので、再稼働をしたいのだ、と考えます。
国民の総意は、現時点での再稼働には反対、と、私は判断しています。
私は、そう思っていますが、
きっと、そうではない、という意見の人もいることでしょう。
だからこそ、国民投票が良い、と考えます。
小西克哉
ジャーナリスト 国際教養大学大学院客員教授
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
直近の福井県大飯原発再稼働への動きで検証したい。
再稼働の最終決定権をにぎるのは首相と関連3閣僚。
4月3日、この4人が初会合。5日、枝野経済産業相が安全対策の新基準を提示。
6日、その新基準を承認。 9日、関電が安全対策を記入した中長期の行程表を提出。
ここまで一週間かかっていないことからも、 野田政権トップの動きが、5月5日に北海道泊原発が
停止し、国内全原発54基がすべて停止する事を回避するために、安全基準の墨守をずさんに
しているとしか思えない。
しかも、関電の工程表では、欧米では常識のベントフィルターの設置や、免震施設、
恒久的非常電源の設置は、2015年となっており、あと3年間、東日本大震災級の地震が
起きないという科学的根拠が皆無である以上、 大飯原発の再稼働は到底容認できない。
要は、大阪府市エネルギー戦略会議が出した八条件の「そもそも論」で述べている
次の指摘が全てだと思う。
「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が
欠けているのではないか。
Q3. 立地及び周辺自治体
地域のエネルギーは、地域の意思決定を反映させるべきだと考えるから。
石黒不二代
ネットイヤーグループ株式会社代表取締役兼CEO
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
再稼動に伴うリスクの評価が曖昧で納得がゆく説明がされていないと思います。
・地震国である日本で稼動するという特殊事情を含めた性能の評価
・原発を稼動しないときの電力供給の不足が経済に与える企業活動への影響とまた企業の業績悪化が
マクロ経済に与える影響
の2つをにらみながら再稼動を決めることになると思いますが、そもそもその説明がないこと。
また、この2つを同様のリスクとして扱うのではなく、生命に関わるリスクには重み付けを
するべきだと考えます。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
原子力発電は、今や個々の経済単位を超えた事象であり、やはり中央政府が判断の中心となるべきですが、その判断には
原発が立地する地方自治体や周辺の住民の方々の民意を反映すべき、また、国民はこれを判断する政治家を
選ぶという形で選択に加わるべきだと思います。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
専門家ではない立場での発言であるが「拙速」であるという一般論を否定することはできない。
なぜなら、残念ながら自分たちの力で原子力や核廃棄物をコントロール出来ない我々人類は
原子力をエネルギー源として利用できるレベルに科学が到達していないのではないか、との
疑問が消えないからである。この夏の関西地区の電力不足を理由に再稼働に踏み切るのであれば、
反対論者を説得できる具体的論拠を示すべきだと考える。
Q3. 国民
日本の福島における原発事故は、当事国である日本はもちろんのこと世界的にも少なからず被害と
脅威を与えた。
そのことを重く受け止めるのであれば、日本の一部の地域における電力の安定供給という狭義の
利益追求のためだけに、原発の再稼動は許されるべきではないだろう。今回の原発事故を契機として、
原発により今まで恩恵を受けてきた全ての住民が当事者としてこの問題に向き合うべきである。
大きく「直接的被害者」と「未来」に対し責任を背負うことになったのではないか。
事故から1年以上経過する今でも、放射能汚染のために屋外で遊べない子どもや、放射能測定器を
首からぶら下げ、放射能量や累積を気にかけ、将来起こり得ると考えられている副作用など
目に見えない恐怖に怯えながら日々生活をしている人々が大勢いる。私自身が被災地で多くの
被災者と直に接触した印象からしても、原発再稼動は心情的には到底受け入れられるとは思えない。
熟慮なき決断は、直接、間接被害者に限らず、世界からの対日信用にも影響するのではないかと
懸念している。
またこの度私たちは、原子力についてより切実に考えるきっかけを与えられている。そのなかで、
個人として最も気になるのは「核廃棄物処理問題」である。原子力(核)という物は、2012年の現在に
おいても人知を超えた化け物なのだ。
その化け物と共存するというのなら、その影響を受けるであろう全ての人がリスクを正しく理解し、
覚悟を決めなければならないと考える。一方で、厳密にいえば原子力の危険性は専門家にしか正確には
理解できない。安全性を保証する専門家の団体であったはずの原子力委員会が政府や東京電力によって
作られた原子力村の論理で動いていたとの批判を受けている。
つまり、先に述べた、その影響を受けるであろう全ての人が正しくリスクを理解すること自体が
困難な状態であるということだ。
そうであるならば、少なくとも新たな規制組織として編成しようとしている「原子力規制庁」の専門家等が現在持ち得る原子力に関する情報の全てを開示し、目先の利益だけでなく、将来に思いを馳せ、「自分の家族の未来のための決断」として住民(国民)が自らの手で決断を下すべきであると考える。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
きちんと説得力のあるプロセスを踏んでいない。
再稼働ありきで進んでいることが明白。
Q3. 立地及び周辺自治体
ただし、「周辺」の範囲を、万一の際に被害を受ける可能性のある地域にまで、
大きく広げるべき。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
政治に求められるのは「説得力」。経済最優先の再稼働ありきに見える対応は政治への信頼を失墜させる。
政治の使命は十分な説明責任を果たすことによって国民の納得をえること。「再稼働ありき」のように見える動きは、かえって政治への信頼を失わせている。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
議院内閣制による総選挙システムは、争点があいまいになりがちで、国民や国家全体にかかわる重要問題でさえ、国民が自身の意志表示をすることは容易でないという構造的問題をはらんでいる。
期限を決めて、テレビや新聞すべてのメディアで地震や津波の危険性、電力需要見通し等、プラスマイナスすべての情報を公開して討論を繰り返した後に、「国民投票」によって原発再稼働の是非を決めるべきだ。
当然国民には、その後発生する問題に対して、自身の判断責任を受け止める覚悟が必要となる。選挙を他人事のように棄権し、その後は誰かのせいにしているようでは、重要な事項、税金の使途も一部の既得権益者たちの思惑通りになってしまう。
原発再稼働問題は、日本人が真の民主主義国家の国民に成長するために絶好のチャンスと捉えるべきだ。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
毎日のように日本列島は地震が起きています。
さらに、大地震の可能性も高いと伝えられています。
福島のような状態は、日本列島どこでも起こる可能性があります。
そのような不安の毎日の中で、福島第一原子力発電所の事故原因が特定されていない今、
何をもって安全だと言うのか信じがたい。
安全基準というものの不安を充分すぎるほど私たちは分かったはずではなかったのですか?
そんなに安全基準を信じるなら、永田町の実務を原発施設の中でやったらいいでしょう。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
(再稼働する/しない)はどちらもメリット、デメリットがあります。
互いの意見をまな板の上にすべてのせて、将来を見すえて国民投票で決める。
生き方を変える時期に来ていることは、
皆分かっているのだと思います。
浜辺陽一郎
青山学院大学大学院法務研究科(法科大学院) 教授,弁護士
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
安全性に対する説明不足は免れない。
「政治が責任を負う」という言い草は空疎。
結論の先にありきの拙速な進め方には誰も納得しない。
第1に、原子力発電の専門家も安全性について疑義を呈しており、特に「今後の安全対策がまだ計画段階であっても、工程表の提出があれば安全と見なす」というのでは、福島原発の失敗の教訓が生かされていないとしか考えられない。
第2に、「政治が責任を負う」というが、まったく空疎。具体的には責任は取れないし、取ることもできない。つまり、最初から責任を取る意志も能力もないのに、国民をだますために述べている口上にしか聞こえない。
第3に、野田政権の今までの情報公開の消極性、つまり信用のなさが大きい。大阪市の出す8条件のほうが説得力がある。
こうした状況で、地震の活動が活発化しているという状況で、現実的な「もしも」の事態が現実に起きた場合、琵琶湖は汚染され、関西の水はダメになる。そんな事態になったときに、誰も責任を取りきることはできない。
これを結論先にありきで、見切り発車的に進めようとしている野田政権の進め方は評価に値しない。少しでも大阪市の8条件を満たすための努力をするのが先決で、その方がまだ前向きの対応だ。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
国民のだれもが「なるほど」と思えるような、信頼できるメンバーから構成される第三者委員会方式が、いまのところ最もシンプルだと思われる。
委員としては、周辺自治体、特に原発の専門家(原発推進反対派の科学者などを含む)など、十数人で徹底的に議論していただいて、それなりに納得のいくような解決手順を策を示すといったようなことでどうか。どうもこれまでの決定主体は、信用できないから。もちろん、その議事録は公開していただくこと。そうした冷静な議論の場における高度な議論の結果として、賢明な判断が出されることを期待したい。
Q2. 「4 - 評価できない」の回答理由
野田政権は、原発再稼働をめぐる意思決定の一番最後のステップに「政治判断」を位置づけていると聞く。しかし、このことは二重の意味で、評価できない。第一に、民主党政権は、「3・11」後に、すべての原発を停止させるという選択肢があったにもかかわらず、そうしなかったのであるから、同政権は、実は、すでに一つの大きな政治判断をした、つまり「安全であれば稼働させる」という大きな政治判断を終えているのだ、と捉えなければならない。あたかも「政治判断を最後にする」とうたうことで、この原初段階での政治判断を隠蔽できるかのように振る舞っていることが、おかしい。
第二に、したがって、残されているのは、「安全かどうか」という判断にすぎないが、その判断ができるのは、専門家であり、政治家ではない。保安院や原子力委員会の人的構成や組織構造を根本的に変えることもなく、また原子力規制庁もつくれてないのであるから、ポジティブに評価することは到底できない。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
一般論からすれば、国家の政策を決めるべきは、憲法で定められているように国権の最高機関すなわち「国会」か、あるいは民主主義の理念にのっとり直接的な「国民投票」か、のどちらかでしかない。よく、責任をもてるのは「政府」しかないとか、「国」が最終的に決めるべきだ、という声を聞くが、私にはこれらの主張の意味するところが理解できない。もし、政府を「行政府」のみと捉えているのだとすれば、それは民主主義的というよりはエリート主義的である。
議院内閣制のもとでは、政府とは国会の多数派政権であることをわすれてはならない。また、こうした文脈においてよく言及される「国」なるものが、なにを指しているのかは、曖昧である。仮に、将来また原発事故が起こったとき、国が「責任」をもつとしても、その補償は結局は「国民」からの税金と財産でまかなわれることになる。ゆえに、「国が責任をもつ」、というのは、つきつめると、国民自分たちが責任をもつ、ということに等しい。
では、国会が決めるべきか、国民投票で決めるべきか。私は、原発の存廃については、後者によるべきだと思う。この選択は、民主主義における意思決定として間接民主制と直接民主制のうち、どちらが選ばれるべきか、その根拠はなにか、という問題である。現代においては、すべての意思決定を、国民全体の直接投票できめるということは、いうまでもなく効率的でないが、効率性という基準は、間接民主制を選ぶ「消極的な」理由にすぎない。そうではなく、直接よりも間接が選ばれる積極的な、そして非常に重要な理由は、後者の方が「意見の集約」できる、という点に見出される(このことを高らかにうたったのはジェームズマディソンの手によるFedralist Papers
第10篇である)。100人の人が集まってそこからひとりの代表を選ぶというプロセスは、その100人のまったく異なる意見を反映させて意思決定するのではなく、最大公約数をみつけていくプロセスである。そして、このような最大公約数を見つける作業が、個別利益にもとづく対立を打ち消し合う、という積極的な意味をもつ。
しかし、このような「意見の集約」は、異なる政策争点や異なる利害を、いわば「取引」し合うことによって、ようやっと成立するものである。私は、原発の存廃は、他の争点や利害とリンクさせて決めるべき問題ではない、と考える。それは、次世代に人間の想像力を超えた影響を及ぼすかもしれない意思決定なのであるから、このこと一点のみに絞った、直接投票をすべき問題だと考える。
最後に、日本では国民投票をする法的手続きがない、という意見をきくが、この意見も私には理解できない。国権の最高機関である国会が、原発存廃について「国民投票する」という特別法をひとつ制定するだけの話であると考える。
5. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
伊東乾
作曲家・指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
Q2. 「5 - そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
再稼動する、しないというGO・NOばかりが強調されることに疑問をもつ。わが国の中長期的なエネルギー政策シフトの観点と切り離し、局所的な議論に集中しすぎること、またそれが喉元を通過したあと、真摯な議論への空気が流れ去ってしまう懸念を、むしろ強く持つ。
Q3. そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)
択一の選択肢に疑問を持ちました。今回の再稼動に限局するとしても、高度な専門性を問われる問題に対して1-6にならぶ選択肢はなんら考慮のきっかけを与えていないように思います。むしろコンパスも含め、むしろマスコミが、シロクロの結論に性急になりやすい世論に熟慮の必要性を促す、成熟した社会が必要ではないか、というのが、私の過不足なく思うところです。
Q2. 「5 - そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
評価「する」「しない」ではなく、政府として必要な電力供給と経済の腰折れ防止などを考えれば、比較的安全が確保できる一部原発の再稼働以外に選択肢はないだろう。
「想定外」の想定を恐れて決定を先送りするのは、事なかれ主義であり無責任だ。
Q3. 政府(首相と三閣僚)
決定するのは、その決定に責任を持てるものであるべき。
再稼働後に万一の際の責任を負うのも、再稼働せずにエネルギー不足の責めを受け止めるのも政府しかないはずで、決定するのも政府でしかありえない。
Q2. 「5 - そのほか(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
大飯原発再稼働について結論を出す前に、原発のあり方を国民投票で決すべきである。
Q3. 国民
(意見)今後の原発のあり方については、国民投票で決すべきである。
(理由)福島原発事故によって、科学の力では、原発が完全に安全であることは保障できないのが明
らかになったのであり、、万が一にも事故が起きれば、多くの国民に深刻な被害が及ぶ可能性は、誰
にも否定できない。
他方、原発がないと電力不足に陥る蓋然性が高いことも事実であり、原発の再稼働を認めないこと
による国民生活や経済への影響には極めて大きなものがある。これは、わが国社会の将来のあり方
をどう考えるかという問題でもある。
以上のように、原発を再稼動させるにしても、させないにしても、その影響を受けるのは国民であり、
他方、政府が政策決定の根拠とする「科学的見解」は、信頼に足るものではない。しかも、この問題は、
現在だけでなく、将来の国の姿を問うものでもある。このような問題は、現在の内閣に対する国民の委
任の範囲を超えているので、国民投票を実施して、その是非を決めるべきであろう。
なお、投票に際しては、再稼働する場合としない場合それぞれの長期的影響を明示すること当然である。
※ご入力いただいた情報の取り扱いについては、『
利用目的』をご覧下さい。
また、メッセージを送信される前には『
フジテレビホームページをご利用される方へ』を必ずお読み下さい。
※送信内容に個人情報は記載しないようお願いします。
※投稿する際は、件名を編集しないでください。