2013年02月09日 ザ・コンパスで放送
社会・公共

スポーツ指導と暴力・パワハラ

1:設問テーマの背景 (facts)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

2月4日、柔道の女子選手15人が、園田隆二・全日本女子前監督から暴力などを受けたとして日本オリンピック委員会(JOC)に告発した問題で、選手側の代理人を務める弁護士が大阪市内で記者会見し、選手の声明を発表しました。
声明では、告発は「憧れだったナショナルチームの状況への失望と怒りが原因だった」と説明、さらに全日本柔道連盟に「前強化委員長をはじめとする強化体制やその他連盟の組織体制の問題点が明らかにされないまま、前監督の責任という形を持って、今回の問題解決が図られることは真意ではない」として「指導体制の抜本的な見直し」を求めました。

先月29日、女子柔道日本代表で強化合宿などに参加していたトップ選手15名が日本代表監督の園田隆二氏をはじめ指導陣が、暴力などのパワーハラスメント行為をしていたとして告発文を昨年12月、日本オリンピック委員会に提出していたことが分かりました。

1月31日、園田隆二氏は記者会見を開き、一連の問題の責任を取る形で監督辞任の意向を示し、「選手への暴力、暴言で、自分の意図と違う点はあるが、概ねそういうことがあり、私自身強く責任を感じている。
日頃より、選手に対して信頼関係をもってやっていこうと考えていたが、15人の選手が告発文を出したということで、一方的な信頼関係だったと深く反省している」と述べました。一方、暴力については「私自身は暴力という観点で選手に手を挙げたという認識は全くなかった。選手に対して、あとひと踏ん張りしてほしい、ここで頑張ってほしい、一つ壁を乗り越えてもらいたいという精神的な部分で手を挙げてしまった」と説明したほか、暴行に及んだ理由として金メダル獲得に向け焦りがあったことなどを挙げました。
2月1日に、全日本柔道連盟に提出した進退伺が受理される形で辞任することになりました。

一連の報道を受け、日本オリンピック委員会は、文部科学省に事態を報告。
報告を受けた下村文部科学大臣は、日本オリンピック委員会に再調査を行うように求めるとともに、他の競技についても暴力による指導がないか調査することを求めました。


2:番組として (our aim)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

15名の女子選手の告発は、柔道界だけでなく、日本のスポーツ全体を揺るがしています。
特定の指導者の問題ではなく、日本のスポーツ全体に関わる問題であると考えられます。

また大阪市立桜宮高校での“体罰自殺”問題以降、高校のスポーツ部を舞台にした指導者による様々な体罰が発覚しています。

そこで、1月19日放送の「ザ・コンパス」では、学校教育での体罰についてご回答いただきましたが、今回はスポーツ指導における暴力とパワーハラスメントに焦点を絞って改めてお聞きすることとしました。
スポーツ指導の研究者からは、スポーツの現場での監督、選手の関係が教師・生徒以上に従属的になることが指摘されています。
また、1月19日放送用のご回答でも、日本の学校教育の中での部活動の在り方やスポーツの部活動の成果がスポーツ推薦などの形で進学や就職に関係していること、スポーツ指導者の待遇など、日本のスポーツの環境を巡る問題点への指摘がありました。
単にスポーツの世界だけの問題ではなく、日本の文化や制度の中に日本のスポーツ指導の現場で、暴力・パワハラが起きる要因があるとも思われます。

そこで番組では、コンパス・オピニオンリーダーの皆さまからご意見をいただき、番組ユーザー及び視聴者とともに議論しながら、スポーツ指導に注目しつつ、日本のスポーツ全体の在り方を考える機会をつくりたいと考え、今回のテーマを企画しました。
どうか、ご意見をいただけますようお願い申し上げます。

オピニオンリーダーへの問いかけ

※コンパスで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
Q1:今回、日本のスポーツ界でもトップレベルである女子柔道の
指導の中で、暴力やパワハラが行われていたことについて、
ご意見をお聞かせください。
Q2:(問1つづき)
女子柔道日本代表での指導における暴力やパワハラについて、
ご意見をお聞かせください。
(コメント欄-文字数に制限はありません。)
Q3:日本のスポーツ指導の現場で暴力・パワハラが行われる背景として、
日本人の精神性や学校教育における部活動のあり方など、さまざまな指摘がなされていますが、そうした文化面や制度面から考えた時、どのような問題があると思われますか?
Q4:日本のスポーツ指導の現場から暴力・パワハラをなくすためには、
どうすればいいと思いますか?
問3で指摘された問題点も含め、対処方法やお考えをお聞かせください。

オピニオンリーダーの回答

( 24件 )
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1. コメントする

竹中治堅
政策研究大学院大学教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
いかなる理由があるにせよ指導において、暴力をふるうというのは許されない。
桑田真澄氏らが指摘している通り、暴力をふるうというのは結局、指導者が言葉で選手を理解できるように指導できないということをさらけ出しているだけである。どういう状況で暴力をふるったのかは想定できないが、要するに問答無用で自分の考えを物理力によって強制しているだけではないか。
Q3. コメントする
指導者が体罰、暴力を振るうことを精神性や文化によって言い訳するとすれば、強い立場の人が強権的に振る舞うことを正当化するだけでしかない。精神論や文化といわれれば反論可能性がないからである。つまり、指導者が自分の指導方法を言葉によって理解、納得させることができないから体罰や暴力に逃げ込むのと同じように、議論をしなくてすむ精神論や文化論に逃げ込むのである。むしろ要因は文化よりも構造的なものであるはずである。指導が閉鎖的環境で行われていること、指導のあり方についての情報が十分公開されていないこと、指導者に対する上部組織(JOC)の監視が行き届いていないこと、上部組織の行動についてもより多く人々(世論、国民)からの監視が行き届いていないことなどに起因しているはずである。例えば、ユーストリームを使って、指導を全て公開するようにすれば、体罰や暴力は一気になくなるはずである。そして何よりも、選手が指導者をかえることができず、指導者が権威主義的に非常に強い立場に立っていることが大きな要因である。部活の場合はやめればいいが、オリンピックの代表チームの場合、選手はやめることがより難しい。選手が指導者を選ぶかJOCが選ぶにせよ、リコール制を導入し、やめさせることができるようにすればこのような問題は解消するはずである。
Q4. コメントする
問3の通り。

指導の実態、上部組織の指導者の統制のあり方についての、公開性を高める。指導者を選手が選ぶか上部組織が選ぶ場合もリコール制を導入する。選手だって勝利をおさめたいはずであるからきちんとした判断の上、選ぶ、あるいはリコールするはずである。

とにかく今回の事件は2020年東京オリンピック招致に向け、なんということをしてくれたのだという思いでとても残念である。抜本的改善方法を講じ、発表するべきである。
 
 
南淵明宏
医療法人社団 冠心会 大崎病院 東京ハートセンター  心臓外科医
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
文部科学省・教育委員会が一生懸命、自らの態度をもってして、日本全国の学童を中心に日々刷り込んでいる卑怯極まりない隠ぺい、責任転嫁、ほとぼりさめるまでほおっかむり、の行動規範が社会に蔓延していることが諸悪の根源であって、日本のあらゆる組織に巣食う病根であるような気がする。
平手打ちやコーチの暴力より実践の相手の攻撃の方が格段に痛そうなので、単なる「コーチの暴力」と言うより、コーチと言う立場のあり方、本戦出場の人選など絶対的権力を持つ立場の人間の在り方、ということが問われているのだろうと思う。かつては女子バレーボールでもそういった報道があったようにおじさんは記憶しているのだ。今回問題になった女子柔道で実際何があったのか、当事者しか知り得ない事実関係や背景があるのだろうと思うし、そういった世界、つまり女子柔道と言う全く別の物理方程式が支配する別宇宙での出来事であるかも知れないので、一つの出来事だけを一側面からだけ辺境に観察して取り上げて「これは酷いですねぇ―!」とメディアがネタとしてだけ喜んで報道しているだけかも知れない事態については、直接コメントする意味はない。しかしそれにしてもコーチとは、360度、誰から見ても非の打ちどころのない人間性で選手を圧倒しつずけなければ、必ず何らかの批判を浴びてしまう立場であるのだとも思うし、そういう覚悟をしっかりもって指導に当たる必要はあると思う。つまりあらかじめリスク・ヘッジするような卑怯でみっともない、まるで言い訳ばかりする無責任な公務員のような情けない指導態度は今後も絶対にとるべきではない。そんな教育委員会のようなコーチばかり出てきたら日本のスポーツは格段に弱くなるだろう。スポーツ指導者は依怙贔屓、セクハラ、パワハラ、などありとあらゆるそしりを受けるかも知れない究極のリスクをしっかりと覚悟して、自分の全存在を賭けて、がちでしっかりコーチしてほしい。
そう考えると今回はやはり教育委員会の指導方針に乗っ取った卑怯な態度で隠蔽に走ろうとした中途半端さが選手たちの逆鱗に触れたのではないか。
その原因としては文部科学省と教育委員会が日々精魂込めて一生懸命全国で自らの態度でしめして全児童、生徒、学生に刷り込んでいる卑怯極まりない保身を目的とした責任転嫁の様々なテクニックが我が国のありとあらゆる組織に蔓延してしまっていることが考えられる。また年功序列でアクティビティの下がった爺さん達が組織の頂点に鏡餅の上の飾りのさらにその上に降り積もったハエのフンのごとくに据えられると言う、「君臨すれども統治せず」体質の組織が社会の隅々であたりまえのように機能不全ならぬ機能廃絶を来しており、そういった不甲斐なさ、世の舐めんなよ!的鬱屈した悲壮感がこの国を停滞させていることの傍証でもあるように思う。
今後は選手にもどんどん主張させ、何から何まで透明にして、逃げない、隠さない、手加減しない、そんな指導環境でがんばってもらいたい。
Q3. コメントする
まじめに真剣に勝とうとしていないから形や権威や維持に囚われ、自己陶酔で終わってしまう。その延長線上に体罰などの儀式があると断言できる。
日本人特有の権威盲従の思考停止病と、要職への人材登用に上部機関の天下り受け入れシステムや縁故、学閥、閨閥など合理性を排したシステムがある点がせっかくの潜在性を踏みにじり、結果スポーツを弱くしているように思う。敵を知り、己を知り、もっと真剣に取り組んでほしい。
Q4. コメントする
もっと真剣に、死ぬ気でスポーツに取り組みなさい!
 
 
本田宏
医療制度研究会副理事長
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
 個人の能力を伸ばすシステム改善よりも精神論に頼る日本人の特質がある。一方日本人は目上の人に逆らわないことを良しと教育され、それが官尊民卑の官僚主導政治と社会貢献意識が乏しい経済界によるクレプトクラシー(収奪・盗賊政治)から脱却できない原因ともなっている。
 個人の能力を伸ばすシステム改善よりも精神論に頼る日本人の特質がある。一方日本人は目上の人に逆らわないことを良しと教育され、それが官尊民卑の官僚主導政治と社会貢献意識が乏しい経済界によるクレプトクラシー(収奪・盗賊政治)から脱却できない原因ともなっている。
Q3. コメントする
大戦中に日本人を研究したR・ベネディクトの「菊と刀」に今回の問題の温床とも言える日本人の特質が指摘されている。大変象徴的であるので以下に紹介する。
①アメリカ人は不眠と精神的緊張とをほとんど同意語と考えているが、日本人は容赦なく眠りを犠牲にする。試験準備をする学生は、寝た方が試験を受けるのに有利だという考えに拘束されることなく、夜昼ぶっ通しに勉強する。軍隊教育では平時の演習中に、ほとんど睡眠を取らずに、三日二晩ぶっ通しの行軍を行った。「『どうして一部のものに睡眠を取らせないのか』と英国軍人が尋ねると日本軍の指導者は『とんでもない、その必要はありません。あいつらは教えなくとも眠ることは知っています。必要なことは眠らない訓練をすることです』と言った」。
②降伏に関して、西欧諸国の軍隊では戦死者がその全兵力の四分の一ないし三分の一 に達した時はその部隊は抵抗を断念して手をあげるのがほとんど自明の理とされている。 投降者と戦死者の比はほぼ四対一である。ところが 日本はかなり大量に降伏したおりでさえも、一対五であった。
③戦争中、日本軍には負傷者を砲火の中から救い出し、応急手当を施す訓練された救護班がなかった。また 組織だった医療システムがなかった。医療品の補給に対する配慮は慨嘆に堪えないものがあった。
④危急の場合には入院患者は、全く見殺しにされた。ニューギニア等で病院のある地点から退却せねばならない場合、まだ時期を逸しない間に、あらかじめ傷病兵を後送するという慣例がなかった 。
⑤敵がもうどんどん占領してきている時になって、やっとはじめて何らかの処置が講ぜられた。しかもその処置というのはしばしば、主任軍医が退去に先立って入院患者を射殺するか、あるいは患者自ら手榴弾で自分の生命を絶つことであった。
Q4. コメントする
 日本のサッカー選手がワールドカップに出場し、欧州の一流リーグで活躍できるようになった最大の理由は、日本リーグからJリーグへとシステムが変わり、サッカーの底辺が拡大し、選手のモチベーションが高まったため。勉強もスポーツも一番重要なのは本人自身のやる気、環境整備をせずに、暴力や威嚇で強くしようとしても、一時的なもので限界がある。
 今回の問題から、日本が先進国一の高齢化社会で、目前に未曾有の高齢化社会を迎えるのに、先進国最少の医師数と医療費を放置して、現場の頑張りで乗り切ろうとしている(精神論)ことが再び思い起こされた。さらに世界では医療事故調査の主眼は再発防止で、個人の責任を問わないが常識だ。しかし日本では今でも個人責任を問う事故調を作れという声が強い。ここにもシステム見直しなく精神論(医療者なのだから注意すべき、責任が問われるべき)に頼る寂しい現状がある。
 
 
山田秀雄
弁護士
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
全く驚かない。以前から暴力やパワハラ、さらには内柴選手のセクハラに類することはしばしばあることを聞いていたし相談に乗ることもあった。柔道界に限ったことではない。スポーツ界全体にこの傾向は指摘できる。野球や相撲の世界でシゴキと称して暴力的な指導が行われてきたことは悲しい現実である。またこの現実を容認する社会風土があることも確かである。自分自身の経験に照らしても学生時代の部活動で体罰やや暴力を受けたことはあるし、授業でも体罰はあった。不愉快に感じても大きな声を出せる空気はなかった。またスーパーアスリートが若い時代に体罰に類する厳しい指導を一種の通過儀礼として受けていることもしばしばみられる事実である(長嶋茂雄の月夜の千本ノック等)。しかしこの方法は本来、正しいやり方ではないのは暴力が刑法上の暴行罪や傷害罪に当たることを考えれば当然である。問題はこの風潮を許容してきた風土がかなり根深いものであることである。日本の戦時中の軍隊教育の背景や勝つためには手段を選ばせないスポーツに特化した学校の存在や誤った精神主義等々、原因は多様である。これらの土壌を少しずつ変えていかなければ一罰百戒で監督やコーチを厳しく処分するだけで解決する問題ではない。
Q3. コメントを控える
問2と同様である。
Q4. コメントする
スポーツ指導に一定の厳しさは必要である。優しくしているだけで結果を出すことはできない。叱咤激励の言葉が時に過ぎることもありうる。
 しかしそれと暴力や人格非難のパワハラやセクハラは別である。この境界は本来明確であるべきだが主観や思惑で外部からは判断があいまいになることが多い。会社で頻発するパワハラにも同じ傾向がある。
大事な事は教育や指導の場合、厳しい内容であってもそのあとの指導者のフォロウーがあることと受け手の側の得心がポイントである。そして何よりもスポーツ界全体に潜む暴力容認の土壌を時間をかけて改善することが一番重要である。
 
 
伊東乾
作曲家・指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
選手が文書で告発したことは画期的。タテ社会の中でこれが可能だったのは「女子」だったからではなかろうか? オトコならそのままだっただろう。女性の持つ自由な可能性が旧弊打破の起爆剤になった、ここにこそ快哉とエールを送りたい。
選手が文書で告発したことは画期的。タテ社会の中でこれが可能だったのは「女子」だったからではなかろうか? オトコならそのままだっただろう。女性の持つ自由な可能性が旧弊打破の起爆剤になった、ここにこそ快哉とエールを送りたい。
Q3. コメントする
日本の「体育会」というのは、つまるところ旧大日本帝国陸海軍以来の軍隊気質の隔世遺伝と思う。明治以前にも武道はあったけれど、間違ってもこんなみっともないものはなかったのだから。そろそろ卒業して良いころと思うが、後に記すように構造的に直らない要因も容易に思い浮かぶ。
Q4. コメントする
基本的に無くなりにくいと思う。ひとつの理由は就職と就職先にある。今回、女子選手団から画期的な弾劾を受けた園田監督の勤務先はどこか? 警視庁だ。では警視庁内部での武道指導はどのような体質か? そこは勤務先でもあり、状況はなまなかではない。また、旧軍ともども明治以来の近代日本に共通する体質をもっとも強く保持している可能性が考えられる。本気で対処しようというのなら、まずこの「就職先」という、動かしがたいところの空気から、全面的に改めてゆく必要があるだろう。容易なことではなく、当分変化はないように思われる。
 
 
武貞秀士
拓殖大学大学院特任教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
「柔能く剛を制す」という精神に戻れ
 日本代表15人の選手全員が、「日本代表監督をはじめ指導陣が、暴力などのパワーハラスメント行為をしていた」として、告発文を出したのだから、深刻なことがあったのだろう。暴力やパワーハラスメントが許されることはない。柔道界の体質が関係しているのかどうかを解明することが大事だと思う。スポーツの種目によって深刻な問題がある種目と、そうでない種目がある。自分が経験した高校の体育会サッカー部の場合、暴力とパワハラを目撃したことはない。サッカーは英国が発祥の地であるので、常に「サッカー選手は紳士的であれ」と教育された。京都サッカー協会の会長が、選手権京都予選の開会式での挨拶で「最近は紳士的ではない選手が増えてきた」と壇上で苦言を呈したことを鮮明に覚えている。47年前の話である。それほど印象的な言葉だった。その挨拶を聞いたあと、英国が発祥の地であるサッカーの歴史を勉強した。選手に要求される「紳士的たれ」という教訓は、指導者にも要求されていることを知った。サッカーの練習で厳しい訓練をしている話は聞くが、練習のときに暴力、パワハラはあまり聞かない。柔道は体同士がぶつかるからだろうか。しかし、柔道は心を鍛えるスポーツでもあるのではないか。「柔能く剛を制す」という言葉をおもうと、力づくで選手を指導する方式は、本来の柔道の精神とは違うと思う。日本の柔道界が閉鎖的であり、国際社会の流れに必ずしも敏感ではないのであれば、それは改善する必要があるだろう。
Q3. コメントする
 「暴力で指導することが日本人の精神性と関連がある」などといった説明は、欧米のマスコミや政治家が飛びついて、日本批判に利用するだろうが、誤解も甚だしい。日本文化の「特異性」を作り上げて、奇異な視点で説明して、「日本社会の常識は国際社会の常識と違う」という結論を出す人々が増えている。しかし、その誤解は解いておきたい。「相手を慮って、相手を傷つけないようにして、最後には勝負に勝つ」、これが日本精神である。
 暴力とパワハラが頻発するのは、監督やコーチが、自分のチームを私物化する感覚があるからではないか。一人の大事な素質のある選手を預かっているのだという気持ちになるべきだ。国家から、国民から、五輪でメダルをとる選手になるように、預かっているという意識が欠けているのではないか。
 確かに、指導するということは難しい。自分も大学1年生の若者を指導をしていて、困ることがある。講義中に私語をする者、スマートフォンを使っている者、電話を使うために教室外に出てゆく者、眠っている者もいる。注意をしてもなおらない場合、私の場合はあきらめる。他の教授は、私語をするとマイナス1点、遅刻はマイナス2点、講義中の飲食はマイナス3点と、最初の時間に宣言するそうだ。私はペナルティーをかさない。もちろん実力も行使しない。注意はするが叱らない。「君の将来にとって、いま大事な話をしているのだよ」という言葉だけにとどめる。10年、20年あとになって、「先生の言葉が正しかった」と思ってほしいと期待しているから。先日、昨年教えた大学2年生からメールをもらって、「2年生に進級して勉強しながら、去年、先生に教えてもらった講義内容の濃さがわかった。いま先生の教科書を読み直しています」と書いてあった。欠席の多い学生だったが、「努力しなければ自分が困るのだから」と考えて、強い措置はとらなかった学生だった。メールを読んでとても嬉しかった。
 暴力、パワハラは法に触れるわけであり、論外だが、過剰な指導も不要だと思う。スポーツの場合、練習していて技術が向上しなければ、代表資格を剥奪すれば良いではないか。
 
Q4. コメントする
 第一に、第三者の判断を仰ぐ制度を確立する。暴力、パワハラがあったという場合、その人の立場を守るようにして通報を受理して、通報の内容を審議する制度である。原発問題でもそうだが、利益を共有している人々同士で審議しても意味はない。通報を受けたら、中立的であり、当事者ではない第三者の委員会で審議をする。仲間同士のかばいあいにならないように委員会委員を構成する。あらゆることには政治がつきものであるから、指導者を罠に嵌めるような「通報」が起きる可能性もあるだろう。その場合は、「悪意ある通報」として記録に残す。柔道界については、今回のハラスメントについて外部有識者による調査委員会を設置するための準備委員会を立ち上げることが決まった。良いことだ。
 第二に、今回の改善策として、強化委員会の中につくった強化選手支援ステーションを拡充することや、選手がハラスメントなどを通報できる弁護士らとのホットラインの開設を検討しているそうだ。良いアイデアだと思う。
 第三に、柔道の女性理事の選出は急ぐべきだろう。
 
 
山田昌弘
中央大学教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
一つの「ジェンダー」問題としても考える必要がある。
日本では、女性の進出が世界的に遅れているが、スポーツ界の状況が、一番ひどい。
現実に世界で活躍しているのが、女性選手の方なのに、指導層が、ほとんどが男性であることが問題
指導体質などもあるが、これは、一つの「ジェンダー」問題として考える必要がある。
日本では、女性の進出が世界的に遅れているが、スポーツ界の状況が、一番ひどいのではないか。
現実に世界で活躍しているのが、女性選手の方が多いのにかかわらず、指導部、幹部、コーチなど指導層は、ほとんどが男性である。(これは、日本企業や政界とも重なる)
特に、柔道は男子が金メダルを取れない一方、女性の活躍の方が、めざましい。
にもかかわらず、会見で出てくる連盟の幹部に女性の姿はみられない。
女性の指導は女性に限るとは言わないが、女性の指導層を増やせば、このひょうな問題はかなり防げると思うし、女性コーチが男性選手の指導するという機会ができれば、男性選手へのパワハラも少なくなるだろう。
Q3. コメントする
「勝てばよい」という発送ができたのは、多分、第二次大戦ごろから出てきた発想ではないか。決して日本の伝統ではない。
暴力をふるうことが、上に立つものの特権であるかのような錯覚があるのではないか。日本で、ノブレス・オブリージュの考え方や、スポーツマンシップの考え方が浸透しなかったのではないか。
Q4. コメントする
1.女性の指導層を増やす。
2.暴力、パワハラをした人への厳罰
 
 
松田千恵子
首都大学東京教授/マトリックス株式会社代表
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
特に驚きはない。ロンドン五輪の戦いぶりを見て、オリンピックの重圧等々と
いう以上に、よほど耐え難い何かを耐えているように見えた。
柔道に限って言えば、精神論・根性論に頼った指導法が昔から非難されている
にも拘わらず何も変わっていない。アスリートからの指摘通り、ひとりの監督
の問題ではなく、柔道界全体の体質だろう。プロであり様々なスポーツ以外の
要素を背負っているはずの相撲界の問題があれだけ取り沙汰されたことに比べ、
純粋なスポーツであり(一応は)アマ競技に属する協会の対応はより透明性を持った
ものでなければならないにもかかわらず、実態はそれよりはるかに閉鎖的、
陰湿、根が深いように見える。また、その割にはその点をきちんと指摘する論調が
意外に少ない。女性平社員の上層部に対する反乱のような捉え方をされているのでは
なかろうか。非常に疑問を感じる。
Q3. コメントする
精神が大事云々の問題として、科学的コーチングの導入の遅れが著しい。
スポーツ指導においては、たとえメンタルな指導をするにしても、現代では様々な
科学的な手法が取り入れられているし、コーチをする側にどのようにコーチングを
学習させるかといったことにも重点が置かれている。どのような手法を用いて
どのようなコーチングをするか、ということをコーチ自身にきちんと体験させる場が
必要。部活のあり方や文化の問題というよりも、こうした当たり前のことをやって
いないだけではないか。
Q4. コメントする
上記同様。一流のアスリート=一流のコーチではない、ということは過去からも
言われているし、実例も数多く挙げられる。現役を退いて人の指導に尽くすのであれば
当然、それなりの勉強が必要である。「教えることのプロフェッショナル」の育成に
力を尽くすべきだし、そうしたプロフェッショナルが増えてくれば、今のように
問題が起きると門外漢が大挙して見当はずれの意見を述べまくるような、本当の
プロフェッショナルに失礼な状況も解消に向かうだろう。
 
 
坂野尚子
株式会社ノンストレス社長
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
私の育った世代はスポ根ものが真っ盛りで、サインはV、巨人の星、アタックナンバー1など、非常に厳しいスポーツの世界、そして、小学校でも頭をこつん、お尻を打つなどの体罰を見ていた。それが普通だと思っていた。しかしながら、暴力であったかというと、明らかに今問題になっているところと根っこが異なっているように感じる。先生は尊敬されていて、悪いことをしたので当然の罰。誰も不思議に思わず、暴力の危険水域には入っていなかったので、問題にされたこともなかった。もちろん、中には軍隊的な教育をしているところもあったのだろうから、すべての体罰が暴力ではなかったとは言い切れまい。むしろ、今は問題が露呈しやすい環境になったということかもしれない。
Q3. コメントを控える
Q4. コメントを控える
 
 
有馬晴海
政治評論家
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
一世代前は、愛情があればとか本人のことを考えてという理由で、仕方ないというより当然とまで考えられた。確かに、強くしたいという思いもあったが、指導者として評価されたいという思いがどこかにあったのではないか。
冷静に考えれば体罰で技術が向上するとは考えられないが、その場ではもっとやれという「喝」を入れた。
根性を入れるという意味合いがあったように思う。
我々世代も体罰を受けたが、上に立ってやった覚えのある人、それを見過ごしたことも含め同罪といわれても仕方ない。
その程度は当たり前だという認識がまかり通っていた時代があったように思う。

園田監督が選手を足蹴にする映像をテレビで見たが、いじめようという感じではなかったように見える。あくまでも、真剣にやっていたようだ。
ただ、どんな思いでやっていたのだろうかと推測すると、やはり自分が評価差れたいという思いが強く選手のことを考えてとか、強くしてあげようと選手のことを考えての行為には感じ取れない。
根性入れてやれという瞬間の思いはそもそも何のためだったか。指導者の歯がゆい思いをぶつけているのだろうと思われる。
Q3. コメントする
中には叩くのが好きとかストレス解消をしている指導者がいるということも聞くが、私はそういう経験がない。叩かれていたのは、中学までのふざけてやった行為に対して、真剣見が足りない他にく影響を与えるということへ、馬車馬扱いを受けたような気がする。
ただし、剣道をしていて、先輩にかかり稽古をしてたまたま強く叩いたことで、逆のかかり稽古でコテンパンに仕打ちをされ嫌で仕方がなかった経験があります。先輩の場合はどうしようもありません。指導ではなく、腹いせです。
これは格闘系のスポーツではどうしようもないような気がします。
Q4. コメントする
全て手をあげることは禁止。あげたら影響追放。
それで得られた順位で満足するしかない。

それでも、桑田投手が云うように体罰でうまくならないということは、成績は変わらないということ。
私は、若い選手や、人によっては、根性で育つレベルもないわけではないと思うが、
命を奪われるようなスポーツがあってはいけないので、全て禁止。
これからは、恐怖で行われるスポーツは日本には存在させない。
政治的にいえば、罰を与えないとまらなければ、永久追放はもちろん罰則をもうけるなどで、阻止すべきた。
 
 
浜辺陽一郎
青山学院大学大学院法務研究科(法科大学院) 教授,弁護士
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
基本的には上層部の保身、見通しの甘さ、非合理的思考、隠ぺい体質などが原因。暴力やパワハラの害悪など、今さら改めて説明するまでもなく、そんな基本的な認識ができていない人たちが、組織を動かしている。そんな偉い人たちがまだまだ沢山いるというところに、日本の悲劇がある。
有能で、賢い指導者ならば、あのような不合理かつ理不尽なことはやらないはずだろう。
まず現場で起きたことは、ほとんど語るに値しない。

次に、その現場で起きた問題が、組織的に対応できないどころか、組織が誤った対応をした問題は、日本に限らず、いろいろな組織で見られる現象だが、基本的には上層部の保身、見通しの甘さ、非合理的思考、隠ぺい体質などによる。

暴力やパワハラの害悪など、もう今さら改めて説明するまでもないのだが、そういう基本的な認識ができていない人たちが、組織を動かしている。そういう偉い人たちがまだまだ沢山いるというところに、日本の悲劇がある。

そういう意味では、この構造的問題は、決してスポーツ界に限った話ではないように思われる。
Q3. コメントする
日本人に限ったことではないと思うが、基本的には上層部の保身については、年功序列のシステムがまだまだ根強いことがマイナスに作用している。

また、上層部の見通しの甘さは、仲間内の論理しかわからない人たちで組織が固められていることが原因だろう。もっと組織構成員の多様性を追求することが必要である。我が国は同質性の高い国民性であることから、その問題性に気づきにくく、かえって同質性の高い仲間で組織を運営することの心地よさに甘えていることが多くの組織でガバナンスが機能しない原因となっている。

非合理的思考が蔓延しているのは、あまり勉強しなくても、視野が狭くても生きていける甘い組織構造、年功序列的慣行などがマイナスに作用しているからだろう。これも外部の目を入れて、合理化を図る必要があるだろう。

隠ぺい体質も、世界中にあるが、日本では特に「恥の文化」であることから、隠ぺいを正当化する論理が組織の中で力を持ちやすいということがある。
Q4. コメントする
組織構成員の多様性を図る。特に指導層や上層部、幹部の中に、女性(異性)や外国人、若手などが加わって、いろいろな人たちが組織の中で何が合理的であるかを追求することが重要である。
日本でも、女性など、少数の人たちを強制的に割り当てるように求める「クゥオーター制」などの導入を考えてもいいかもしれない。

また、問題が起きた時の対応ができるような内部通報(公益通報)のシステムをきちんと整備して機能させること、それを受けた後の第三者委員会など、内輪の論理だけではなく、外部の有識者も入って、公正な対応をするようにすることも必要。

さらに、紛争がこじれた場合に備えてスポーツ仲裁などが利用できるように制度を整えることも必要で、それが利用できるようになっていないなどという組織には、そこに加入させるべきだろう。
 
 
長田渚左
スポーツジャーナリスト
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
過去にもつらい思いをしていた人は多い。
よくぞ、今回まとまって声を上げた。拍手です。
女子柔道の指導者や理事に女性を入れる。
女性側の意見を入れないと、またこのような事態を招く可能性がある。
Q3. コメントする
日本のスポーツは競技力を向上させることと「心を育てる」という精神論が強く結びつき学校体育という教育として全国に広まった。
これはメリットでもあったが、デメリットも目立つ。
可能ならばスポーツは学校以外でやるシステムが求められる時代だと思う。
Q4. コメントする

学校教育の中から部活を外へ出す。
スポーツクラブでスポーツをするようにすれば種目を変えることもOK。


スポーツの本質を再確認する。
元々の語源は遊びや気分転換です。遊びだというと、ダラダラいいかげんにやるのかと思う人もいるが、
そうじゃない楽しく面白く、工夫し、自発的に練習してスキルアップするもの。
できないといって上から下へなぐり飛ばされるようなものとは断じてない。
 
 
中津孝司
大阪商業大学総合経営学部教授,国際問題評論家
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
選手陣のためではなく、指導者自らの功名心が先行した結果である。優秀な選手が優秀な指導者とは限らない典型的な事例だろう。辞任した強化委員長、監督、コーチのための組織であって、選手は度外視されている。
 辞任した強化委員長を頂点とする権力ピラミッド構造が構築されていたのだと思う。同じく辞任した監督やコーチは強化委員長の弟子的な存在ではなかったか。強化委員長の命令・指示は不動、絶対的なのものであり、監督もコーチもそれに逆らうことはできず、結果を出すことに必死だったように思われる。その歪んだ実態が今回のような事件の根底にあったのではないか。
 選手陣に対する指導とは、結果を出すため、自らの功名心のためのものと化したのだろう。功を急いだなれの果てだったと思う。柔道のみならず、強豪チームほど陥りやすい罠である。
Q3. コメントする
 根深い問題だ。高校の指導者は中学校で優秀な選手をスカウトし、大学の指導者は高校で優秀な選手をスカウトする。プロチームの指導者は大学で優秀な選手をスカウトする。その先にはナショナルチームがある。そこに指導者同士の上下関係が絡む。この上下関係に即してスカウトされた選手たちが移動していく。要するに、ナショナルチームの指導陣を頂点とする権力ピラミッド構造が構築される。指導者はチームを私物化し、「俺の目が黒い間は・・・」的に選手たちを操っていく。選手は世代交代するが指導者は既得権にしがみつき、世代交代を拒否する。
 選手は選手で上を目指すために指導者を利用する。強豪チームに入ろうと、ボス的な指導者に擦り寄っていく。ここに癒着関係が成立する。
 双方の思惑が異なった場合、上記の関係が崩れ、今回のような事件に発展する。処罰に対してもスポーツ界は総じて手ぬるい。これは「誰が猫の首に鈴をつけるか」の問題となる。ある不祥事を引き起こしても、どのチームか、あるいは指導者が誰かによって処罰の内容が異なる。ダブルスタンダードで判断される。あの指導者には昔お世話になったから、あるいは処罰するには突出した強豪チームだから、強豪チームがリーグ戦から脱落すると面白みが半減する、といった弁解で処罰が甘くなる。頂点に君臨する権力者に苦言を呈することができない権力構造を破壊する必要がある。
Q4. コメントする
 指導者の世代交代を促進する以外に方策はないだろう。一つの種目、一つのチームに1人の指導者が権力を行使することを防ぐことが重要である。いかなるチームの指導者も任期制を徹底化し、指導者(権力者)の新陳代謝を図ることが何よりも重要である。
 
 
細川昌彦
中部大学教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
スポーツ界の一部に巣食う旧態依然たる悪しき伝統が露呈。スポーツ立国を目指して法整備したスポーツ行政に欠けていた、、①指導層の「人材育成」の問題と ②競技団体の「組織の閉鎖性」がポイント。
スポーツ界共通の問題であるが、これが柔道で表面化したことは最も恥ずべきこと。私も学んだ講道館柔道の精神は「精力善用 自他共栄」
柔道の“道”はどこへ行った!?

スポーツの指導においていかなる体罰も禁止されるべきは言うまでもない。これまでの旧態依然たるスポーツ界の体質、意識を変える機会にしなければならない。
これは同質の閉鎖社会の甘えでもある。仮に外国人選手がいれば、指導者も「合理性」を意識したに違いない。


今回の事件を見ていると、①指導層の「人」の問題と ②競技団体の「組織」の問題がポイント。

2年前にスポーツ基本法が超党派で議員立法された。私はそのアドバイザリー・ボードのメンバーとして、参画したが、これは『スポーツ立国』ニッポンを目指したもの。国家戦略としてトップスポーツの振興を目指すことになった。予算も拡充され、組織もスポーツ庁を作ろうとしている。オリンピック・ナショナルトレーニングセンターも整備された。
ところが、これらの取り組みで決定的に欠落していたのが、「人」と「組織」の問題。
そのしわ寄せは選手に負わせられていることを反省する。
Q3. コメントする
日本の体育会系の悪しき伝統が長年、暗黙に認められていたものが表出したもので、氷山の一角。
今回の事件の本質は前監督の個人の問題ではなく、あくまでも日本のスポーツ界の構造問題。
それは上記「指導層の人材」と「競技団体の組織構造」
Q4. コメントする
1指導者の資質を高め制度的な仕掛けも必要。
最近、大学の教員について講義能力を評価しているが、これと同じように、スポーツの指導者の指導状況を抜き打ちで視察する。また選手からの評価を定期的に調査する。

2また競技団自体の閉鎖的体質も早急に改革すべき。かつての代表選手ばかりで組織運営されているが、マネジメント能力、国際交渉能力は別物のはず。
かつての選手以外の有能な外部人材を活用すべき。同質社会を打破して、多様性を持つ組織に変えるべき。
 
 
山村武彦
防災システム研究所所長
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
礼節を重んじる日本発祥の柔道、しかも世界注目の日本代表に対する強化合宿での不祥事。残念というより恥ずかしい。講道館柔道の創始者加納治五郎先生の言葉「人に勝つより、自分に勝て」を、指導者は今一度かみしめるべきである。
礼節を重んじる日本発祥の柔道、しかも世界注目の日本代表に対する強化合宿での不祥事は残念というより恥ずかしい。講道館柔道の創始者加納治五郎先生の言葉「人に勝つより、自分に勝て」を、指導者は今一度かみしめるべきである。
Q3. コメントを控える
Q4. コメントを控える
 
 
田中ウルヴェ京
国立鹿屋体育大学客員教授(スポーツ心理)
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
自分はブログを含め様々なところでもすでにコメントを書いているが、ここで改めて書きたいことは、一つ前の桜宮高校での体罰問題と、今回の柔道の問題では、まったく話が違うことを強調しておきたい。どっちがより悪質だとか、どっちは許せるとか、そういうことではなく、考える上での材料が違う。
1) 選手の年齢、選手の競技目的
2) 指導者側の指導目的
3) 学校と日本代表チーム
さらに、女子柔道チームにおいての「暴力」という言葉がメディアで使われているが、それが、「具体的にどんなことを暴力と定義しているのか」がまだ不明であるように思われる。一方、桜宮高校の場合は、メディアで出ている内容のなかに、40発顔を殴られた、というような表現がある。もしもそれが事実なら、これは、明らかに意味のない「暴力」であり、当然、しつけのうちにも入らない。
しかし、柔道チームでの問題は、まだ明らかになっていないことが多いと思う。

さて、そういったなかで、改めて、スポーツ指導でも、育児でも大事な「人を育てる時に、何を育ませることに尽力することが大事か」ということで、8つのポジティブプッシングという私が大事にしていることがある。アメリカでの大学院留学中に、学んだことだ。
以下、「成功の種を蒔く」(講談社)から引用する。

1)I am loved. 私は愛されている(自己親愛感)
2)I am capable. 私はできる(自己肯定感)
3)It is important to try. 大事なのはチャレンジすること(チャレンジ精神)
4)I am responsible for my day. 自分のおこないに責任を持つ(自己責任感)
5)It is OK to make mistakes. 失敗しても大丈夫(失敗受容感)
6)I can handle things when they go wrong. 間違っても修正できる(逆境対処能力)
7)I enjoy what I do. 自分のやっていることが楽しい(自己幸福感)
8)I can change. 私は変われる(自己変容感)

どれも書けば、当たり前の大事なことだ。
これらの人生で生きる上で大事なすべてを「育めることができる」のがスポーツでもある。
こんな素晴らしいことを「伝えていける」のがスポーツ指導者の醍醐味でもある。
Q3. コメントする
私が6年半、アメリカとフランスでシンクロナイズドスイミングのコーチをしていた期間、おもに指導していたのは、それらの国々の代表選手たちだが、そのほかに、民間のシンクロクラブの12歳以下のジュニアチームや、大学の運動部としてのシンクロ部に所属する選手たちにも指導をした。

シンクロ指導をしていた時に、同時に、大学院でスポーツ心理学を学んでいたわけだが、その当時に、先輩のアメリカ人のコーチから厳しく言われたことがある。

「ミヤコ、あなたは、メダリストであるだけであって、指導者としては何もわかっていない。あなたはシンクロの技術指導や身体トレーニングの指導はできるかもしれないが、スポーツの指導で大事なことであるほかの3つがわかっていない。ほかの3つとは、戦略的、心理的、哲学的な視野から考えるトレーニングのことだ。」

この5つのトレーニング側面(技術、身体、戦略、心理、哲学)は、スポーツ指導において非常に大事な側面だ。これらは、スポーツ指導現場のベテラン指導者に聞けば、当たり前にやっていることだとも思う。

しかし、同時に、まだまだ現場の指導者のなかには、「心理」や「哲学」という定義が「根性ってことだろ」と解釈されていたり、「戦略」という定義もその競技によって曖昧であると、実際に会話をしていて感じる。

制度面という点で、特に、代表レベルでの競技スポーツ指導においては、この5つそれぞれを明確に定義し、現場が実践していくにあたっての科学的サポート体制により力をいれていく必要があると思う。
Q4. コメントする
何度も書くが、今回の女子柔道の問題は、一つ前の桜ノ宮高校の問題とは、まったく違うので、ここでは、日本代表レベルでの競技指導において、今後どうするといいかについて考える。

私の知っている範囲だけで感じることなので、間違っているかもしれないが、代表レベルを指導する指導者への研修などといった学習の機会は、すでに確立されていると思う。(完璧というものはないので、当然、もっと量、質ともに向上していけるのであれば、それに越したことはないだろうが。)

ナショナルトレーニングセンターでは、ナショナルコーチアカデミーがあり、各競技のナショナルコーチは、そこで様々な講義や実践トレーニングを受講できる。(自分自身、「アスリートのキャリア教育」について講義を担当もしている)

自分が20代の時に、10年間日本代表チームのコーチをしていた頃には、まったくなかったシステムで、今では、各競技のナショナルコーチ同士の横のつながりも増え、様々なディスカッションも増えたと感じている。正直、競技によって、「古い体質、新しい試み」の差はあると感じてはいるが。

選手側に対しても、JISS内に、スポーツ心理学の専門家が常駐している。勝つためのメンタルトレーニング指導も行われているが、同時に様々な心理的アプローチも行っている。

つまり、ここ20年のシステム構築の方向自体は、私は、決して間違っていないと思うし、その意味では、今回の女子柔道での問題は、もっと「本当に何があったのか」「本当に何が問題だったと選手は思っているのか」といったことがわからなければ、システムの「どこを修正していくか」「どこを強化していくか」といった具体的な対処がみえてこないと思う。

事実を表面化という言葉が先走りするが、それ以前に、「事実を事実として解明し、具体的な対処法を考える」という方略を、実際の現場である柔道代表チーム、柔道連盟、JOC、文科省が、今後していくことが必要になるわけだが、ここで、大事なことは、「事実を、自身の色眼鏡で見る事なく、できるだけ正確にとらえられる人間」が事実解明体制のなかで必要となる。

私は、「あなたは、目の前の事実を、本当に事実として見ていますか?」といったことを聞いていく認知行動療法的アプローチでのメンタルトレーニングをおこなっているが、この「事実を解明する」という部分で、様々なしがらみがあったり、言いたいことが言えないような上下関係があったりしては、結局、またうやむやになってしまい、表面的な対処法しか現れないことになる可能性がある。

スポーツ全体を包括的にとらえることのできる、スポーツ社会学的、スポーツ心理学的な側面での素晴らしいスポーツ専門家は老若男女、沢山いる。今こそ、スポーツを愛する沢山の有識者が集まって、「なんでもあり」の議論をすべきと思う。今、日本に足りないのは、「なんでもあり」の議論だ。
 
 
潮匡人
国際安全保障学者,拓殖大学客員教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
告発を受けた監督個人の問題もさることながら、全国柔道連盟やJOCなどの対応にも大きな疑問が残った。いじめを直視しない学校や教育委員会と重なる体質を感じる。個人的な問題と処理するのは告発した選手らの本意にも反する。、
Q3. コメントする
いまだに一部のキャスターや保守派論壇人が、体罰や「愛のムチ」を容認する発言を続けていることのほうが問題ではないかと思う。
Q4. コメントする
「開かれた社会」を目指すのが正しい方向だと思う。具体的には、公正な第三者によるチェック体制を導入することも検討されるべき。ただし学校での「体罰か懲戒権行使か」の線引きと違い、肉体的苦痛を伴う指導を否定できない。仮に一線を引くなら、冷静かつ精緻な議論が求められる。
 
 
原田曜平
博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
フラットな横社会が世界的に生まれ始めていることの一つの象徴的な出来事だったように思います。
スポーツの世界における暴力やパワハラは、昔からあったと思います。
むしろ、昔の方が酷かったように思います。
しかし、一方的にある種の権力者(スポーツの世界で言えば指導者)の言うことに
従わざるを得ない軍隊的な空気に支配されていた過去と、今の状況とは違います。

中国でも共産党政府に対し、市民がソーシャルメディアを使って汚職を摘発した
り、不満を述べたり、そしてそれを政府が気にかけるようになったり、世界的な潮流と
して、「(昔の)弱者の発言権や地位が上がる」現象が起きていると思います。

つまり、もちろん国によって程度の差はありますが、スポーツの世界に限らず
従属的な上下の関係が徐々に減り、良いか悪いかはさておき、フラットな横社会が
世界的に生まれ始めていることの一つの象徴的な出来事だったように思います。
Q3. コメントする
日本人の体育会系的精神性や慣習は、批判的要素を多分に含みながらも、
それに従う人間が多かったため、スポーツに限らず、日本の組織力はこれまで世界
的に見ても強かった、というプラスの面があるかと思います。

例えば「30人31足」などの競技には、世界中の多くの人たちが驚愕します。
つまり、30人が足を結びあって走ると1人1人が走るよりも早くなるといった
強い組織力は、どこの国の人々も信じられない程のもので、そこには、これまでのスポーツ指導で
の慣習が寄与していた面もあるとは思います。
上述したような完全な横社会に移行した場合、スポーツの世界の組織力も、大幅に
減少してしまう可能性があります。

とは言え、決して許されるべきではない暴力やパワハラが多分に横行していた面が
あったのも恐らく事実だと思います。
日本の組織力を失うことなく、悪い慣習は改めていくべきだと思います。
Q4. コメントする
暴力を振るった時点で「アウト」というルールを厳格化し、「パワハラ」の定義や
ルールもある程度厳格化すれば、今回のように大きな騒動は起こり難くすることができると
思います。

ただ、過度に厳しくしてしまうと、指導者が過剰に選手に気を使い過ぎるようになり、
日本のスポーツの弱体化にもつながってしまう可能性もあるので、「ある程度」に
留めることも必要だと思います。

しかし、本質的な問題としては、選手15人に告発されるまで、選手と信頼関係を築
けていたと思い込んでいた監督のコミュニケーション能力にあり、指導者、選手ともに
コミュニケーションのスキルを上げる教育や研修が必要な時代になっていると思います。
 
 
村沢義久
合同会社Xパワー代表/ 環境経営コンサルタント
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
私自身、大学時代に名門ボート部に所属し全日本で2回4位に入っているが、その間に体罰どころか「罰」などというものを受けたことがない。その経験からも、成績をあげるために体罰が必要、などと考える者は、最初から監督・コーチの資格なし、と考える。
言語道断。組織としての健全性の調査を第三者機関がしっかりと行うべし。

私は、大学時代に名門ボート部に所属し、「死ぬほど」ハードな練習をやらされたが、コーチからの「罰」などというものはあり得なかったし、恐れたこともなかった。それでいて、私自身は全日本のエイトで2回4位に入っているし、先輩・後輩は優勝もしている。成績をあげるために体罰が必要、などと考える者は、監督・コーチの資格なし。
Q3. コメントする
根拠のない精神主義。

監督・コーチが選手の「上司」であるとする勘違い。

不祥事を隠そうとする組織体質。
Q4. コメントする
コーチは選手を強くするための補佐役である、という当たり前の考え方を徹底させること。

暴力・パワハラの疑いが生じた場合には、まず、当該監督・コーチを停職させたのち、直ちに第三者による調査を行うこと。

内容によっては、調査を警察にゆだねることも必要。
 
 
稲増龍夫
法政大学教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
球技などとは違い、柔道などの武道においては、指導自体に体罰的要素が内在しており、にもかかわらず、選手側から告発があったのは、ある意味、象徴的なことかもしれない。つまり、「体」へのダメージを日常的に受けている選手たちが、「暴力に耐えられない」と声を上げたのだから、他のスポーツよりも深刻である。
選手たちの「指導体制に失望した」という思いは真摯に受け止める必要があるが、ある面で「ジェネレーションギャップ」の問題もあるだろう。指導者側にとっては、「選手のため」「勝つため」と思っておこなった暴力行為は、自らが選手時代には日常茶飯事だったかもしれず、それを乗りこえて強くなったという自負もあるだろう。それは、今の現役選手世代には通用しない論理なのだろう。単純に、選手に媚びろとは言わないが、指導者側も、今の若者たちの心理と生理を理解する必要があるだろう。
Q3. コメントする
「タテ社会」的組織体制と厳しい上下関係意識が根底にあるだろう。師弟関係における「技術」の伝授という側面では、それを全面否定はできないが、「タテ社会」の論理が一人歩きをして、組織を蝕むと、今回のような醜態をさらすことになる。
Q4. コメントする
悪い意味での「精神主義」から脱却して、選手も納得できる、より合理的トレーニングを導入すべきである。
 
 
小幡績
慶應義塾大学ビジネススクール准教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
一流の成人のアスリートと高校生の自殺は別問題
これは 高校生が自殺した問題とは大きく異なる。

暴力もパワハラもよくないが、こちらは、一流の選手。その暴力が起こった現場で対処、勝負するべきだった。そのためには、代表も辞す覚悟で、監督、コーチに望むべきだった。今訴えるのはおかしい。
Q3. コメントする
監督、指導者の全体的なレベルが低いことが背景。根性や気合中心の指導にならざるを得ない。

一方、選手の自立が足りないという面もある。日本の選手は、監督、コーチ依存で、また、引退後の生活も考えられない選手もいる。

もちろん、暴力、パワハラはよくないが、双方の問題が背景にはあると思う。
Q4. コメントする
監督、コーチの技術力などのレベルアップ。

選手の自立。
 
 
土居丈朗
慶應義塾大学経済学部教授
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
極めて残念な事態である。これを機に、こうしたことが再発しないように取り組んでもらいたい。
Q3. コメントする
西洋的な個人主義が明確でなく、儒教的な発想が強い日本社会では、悪い側面として、目下の者は目上の者に従って当然という風潮が強い。人格的にも優れ、高い能力を身につけているからより優位な立場にあるならよいが、そうでなく人格的にも能力面でもさほど優位ではないにもかかわらずただ目上(年上、先輩、上位の地位)であるというだけで、目下の者はそれに従わざるを得ない状態になると、パワハラの素地が生じてしまっている。こうしたことも、スポーツ界に限らず、日本社会の中でパワハラがなくならない主な一因になっていると考える。
Q4. コメントする
スポーツ指導において、暴力を一切用いない原則を確立し、JOCを中心にその徹底に努めるべきである。

暴力は目に見えるものだからその原則の徹底はまだ容易だが、パワハラの防止は、精神的なものもあるがゆえに容易ではない。パワハラは、スポーツ以外のところでもその防止に努めているがなかなかなくならない。上司と部下、コーチと選手が、それぞれの人格を尊重できれば、パワハラはなくなるが、スポーツ界だけの取り組みでは防止は容易でないかもしれない。むしろ、これを機に、日本社会全体でパワハラを防止する取り組みを積極的に行い、その一環としてスポーツ界でもパワハラをなくせるようにすればよいと考える。
 
 
結城未来
灯りナビゲーター/新潟大学非常勤講師
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
大阪市立桜宮高校での“体罰自殺”問題が火をつける形で、
これまで外部から守られてきた閉鎖的な世界の実態が明るみに
なってきていると思います。
このひとつの原因は、問3の回答にも書きますが、
こういった閉鎖的世界では往々にして「体系的な指導体制が整っていない」
ことも原因のひとつにあげられると思います。
たとえば、サッカーなどで体罰問題などがあげられない大きなポイントは
コーチングなど、指導システムが体系的に出来上がっているからでは
ないでしょうか?その一方で、柔道などの伝統スポーツは、昔ながらの
『根性』『やる気』といった精神論が今も息づき、指導の根幹にあるため、
それがときには『暴力』『パワハラ』といった形に変わってしまうのだと思います。
Q3. コメントする
パワハラや暴力が起こる現場の大きな原因は大きく分けて2つ考えられます。
1:問2に書きましたように、指導方法が体系的に確率していないために、
昔ながらの『根性』論が突っ走り、その結果、『鍛える』という名の暴力という形になるの
ではないでしょうか。
2:以前より、人間のおかれた環境が人間を変えるというデータがあります。
たとえば、ナチスドイツがなぜ、第二次世界大戦で残虐な行為を行なったのかという
深層心理を実験する研究が世界中で行なわれています。その中で、学生を囚人と看守に振り分けて1ヶ月過ごさせたところ、2週間後には囚人役の学生は囚人らしく、看守役の学生は囚人を威圧するそれぞれの役割らしくなってきてしまうという結果もあります。
現在の通常の教育の現場では、ちょっとした言動に敏感な保護者や教育関係者、世間の眼もあり、「体罰」という形が育ちにくくなっています。
ところが、いわば希望者が集う部活やスポーツの現場では、客観的な目が届きにくく、閉鎖的な空間になりがちです。そういった場所で、指導者と選手は、昔ながらの師弟関係が顕著になり、指導者はともすると圧制を敷く暴君のような心理状態に陥ることもあるのだと思います。それがときには「熱意」という名の暴走になっていくのではないでしょうか。
Q4. コメントする
・昔ながらの『根性』などの精神論ではなく、
 勝つための選手育成のためのコーチング、体系的な指導法を整備していくこと。
・閉鎖的ではなく、第3者が定期的にチェックをいれるオープンな世界に変えていくこと
 
 
にしゃんた
羽衣国際大学教授/落語家
Q2. 「1 - コメントする」の回答理由
日本は「暴力・パワハラ」を容認し「美化」してきた。柔道に限らずこの社会が「暴力・パワハラ」に満ちていて、容認していることに気づくべきだろう。今回の報道を受けて、日本人全員がどう今後変化、進化するかこそが肝心である。
専門家ではないが、まだ幼い子供を見ていると強い子が弱い子供を虐めているのを目にすると、暴力は人間の本性に由来するのかとも思う。人間がどのような教養・教育を享けてどのような常識や英知が積まれた社会に育つかが大切である。その点、日本はどうかというと「暴力やパワハラ」が容認どころか、美化された社会であった。

特に「体育会系」でのそれらの言動は、暴力の内に入らなかった。話題に上がっている監督のケースとは次元は別にしても、例えば、同じ柔道で実刑判決が出ている準強姦罪のケースも同じ延長線上にあろう(被害にあわれた方々の気持ちを案じます)。日本社会が「暴力やパワハラ」を美化し、容認してきていた以上は、一個人を辞任させ全て終わったと思うならこれほどの不細工な始末の仕方はない。柔道会の関係者に限らず国民全員が共犯者である。そして柔道に限らずこの社会が「暴力・パワハラ」に満ちていて容認していることに気づくべきでしょう。日本人全員が今回の報道を受けてどう変化、進化するかこそが肝心である。
Q3. コメントする
他の文化(価値観)を受け入れても変わらないのが、「伝統文化」だろうが、体罰などは、少なくとも、伝統文化ではない。江戸時代の藩校、郷学、寺小屋などではほとんどなく、戦時中の軍国主義教育の影響の中で生まれた、歴史の浅い日本の文化である。恰も日本の伝統文化の一つかのように、教育現場に限らず、大人の職場(パワハラ)にも鎮座しており、被害者が子供であれ、大人であれ、時として自殺に追い込んでいる。真の日本文化を知らない点を反省し、真摯に日本文化を学ぶ必要があろう。

時代の変化に伴い、価値観の普遍化が進んでいる。少なくても、弱者擁護に関する世界の常識は共有すべきだろう。かつて容認された奴隷も今では認められない。世界の常識を取り入れて進化することも大事であろう。伝統文化ではない限り「暴力・パワハラ」は無くせる。

日本の精神論や自己鍛錬を否定するつもりはない。自ら進んで修行を選んでいる禅僧にとっての警策や阿闍梨になるための飲まず食わずの荒修業は「暴力・パワハラ」とはだれも解釈しない。しかし日本の精神論の代表格である「根性」の元は「機根」という仏教用語で、その意味は「各々の人間がもって生まれた器の大きさ(仏の教えを受け入れられる能力や器の浅深)を刺します。根性のルーツは「機根」であること、そして「機根」こそ、まさに一人一人を大事にする「日本人らしさ」ではなかという部分も含め再び考える機会にしたいものです。

ロンドンオリンピックの開催時も、体罰を受けている日本人の柔道の選手を目撃し、不快感を覚えたと証言している海外の選手もいる。柔道を通して日本から世界が学んだ「礼に始まり礼に終わる」美学、そして、ロザンゼルスオリンピックの決勝戦で山下泰裕の怪我した右足を狙わず戦ったモハメド・ラシュワンが思い出してくれた「日本の心」の裏は「暴力とパワハラだった」では、格好悪いだけでは済まない。柔道のお家元の役割というのは、世界が感動して受け入れた柔道の普遍的な価値に乗せて、次に世界に対してどんな素晴らしいメッセージを送るのかを考えることである。

最後にもう一つ。体育には「理系体育」と「文系体育」と「スポーツ体育」という3つあり、それは、運動による血液の流れ、筋肉の動き、発汗作用、などなどを学ぶ理系体育。スポーツのルールの成り立ちからその変遷、スポーツマンシップなどを学んだりする文系体育。そして実際に体を動かすスポーツ体育。日本の特に教育課程での体育、さらにはクラブ活動での体育はスポーツ体育だけで、「うまくなりたい」のと「先生に叱られる・殴られるのがイヤ」で一生懸命やるだけ。理系体育とか文系体育なんかまるで知らない。柔道も一緒で、創始者の嘉納冶五郎師範が謳った柔道の修行として必要な「実技」(型や乱取)ばかりが優先されて、もうひとつ大切な座学(講義や問答)を疎かにしているのではないか。「心」「技」「身体」がバランス良く成長することを大切にしてきた日本やはりここでも「心」を置き去りにしますか!?おかしなことをするスポーツマンの話を耳にします。それは、身体つくりと技を教えただけで、「心」を教えない周りの責任である。強さと正比例して、優しさ、しなやかさ、美しさ、豊かさが育たなければならない。
Q4. コメントする
暴力・パワハラを防止の法律・ルールの改善や徹底、情報開示および全員監視が必要である。柔道に限らず、あらゆる空間において上位が、立場上の弱者の声を中心にを聞く姿勢、そして立場上の弱者が声を届けられる窓口の整備が必要。日本には被害者がたくさんいますが、気持の受皿は余りにも少ない。日本国内で親身に話を聞く窓口をもっと増やすべき。親身な窓口が増えるほど自殺者が絶対減ります。そして、声を出した当事者に絶対に不利益が被ることないよう保護することも忘れてはいけない。

そしてなにもよりも、一般の日本国民の大人としての成長が最も求められる。この前のオリンピックにしたって、国民がみんな、金!金!金!という、金メダルにしか、価値を見いだせない、喜べない、この文化を、国民性を卒業すべきだろう。「柔道はお家芸」で「絶対金を取れ!」の日本の狭い考えから、世界中の人々が日本生まれの柔道を楽しみ今年はどこそこの国が金を取っておめでとう!柔道発祥地の日本から、もう一個金を送ろうって言えるぐらい広い視野と心のゆとりを養おう。そして柔道の「道」の意味を日本人としてかみしめ、そのことを外国人にも教えよう。その、日本人の精神的な成長が、暴力・パワハラを無くす最大の対処方法であり、そのことがさらには、「何の脈略もない国の国籍に変えてまでオリンピック出たい」とか「金メダルのため、お金で国籍を売買するような」不細工な世の中をも、少しは美しいものにしてくれるだろう。金メダルを一個もとったことのない国も何ぼでもありますが、みんなが楽しそうですよ。
 
 
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