2012年08月04日 ザ・コンパスで放送
社会・公共

ロンドンオリンピックから考えること

■1:設問テーマの背景(facts)
 4年に一度のスポーツイベントの最高峰として、ロンドンオリンピックが27日から開幕しました。

(日本選手団のメダル獲得状況-30日現在)
日本選手団は大会前に金メダル15個(金メダル獲得数世界5位)を目標として掲げていますが、
30日現在、銀メダル2個、銅メダル3個を獲得するにとどまり、競技2日目の段階で、金メダルが
ないことは、メダルの数を徒に求めることに批判もありますが、日本選手団にとっては予想外の事態
とされています。

(日本のスポーツ振興の現状)
日本のスポーツ振興は、英国、ドイツ、韓国などと比較して予算が少なく、予算配分の方針として、
メダルの可能性が高い競技に予算が配分されるようになっています。その結果として、マイナー
スポーツに予算が回りにくくなっています
(・参考情報:五輪強化費27億4600万、2012年度のスポーツ関係費238億円)
また、日本ではスポーツが種目別文化となっており、学校教育の体育と企業の福利厚生の一部として
成立してきたことから主に種目別に振興が行われ、クラブ制が確立している欧州のように種目をまたぐ
スポーツ振興が不足しているという指摘もあります。

(オリンピックに関する最近の問題点)
大会全体に目を向けると、北京に続き3兆円を超える金額となった開催費用の膨張、スポンサー費用の
増大化などの行き過ぎとも言われる商業主義、外国籍選手の帰化問題など、アマチュアリズムと平和の
祭典としてのオリンピックのあり方そのものについての問題点が指摘されています。

(これからのオリンピック)
これからのオリンピックには、上記のようなオリンピックが抱える諸問題への回答が求められます。
2020年の開催には東京も開催地候補として名乗りを上げているなか、来年9月に開催地の決定が
行われます。



■2:番組として(our aim)
 番組では、コンパス・オピニオンリーダーの皆さまのオリンピックの見方、楽しみ方について
 お尋ねすることから、オリンピックの存在意義について考えるきっかけをつくり、視聴者のみなさんとともに、
 日本のスポーツ振興政策のあり方、これからのオリンピックについても考える機会を設けたいと思います。
 皆さまのご意見をお待ちしています。

オピニオンリーダーへの問いかけ

※コンパスで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
Q1:ロンドンオリンピックを見ていますか?
Q2:問1の回答理由、背景をお聞かせください。
選択肢1,2に回答された方は、具体的に「ここに着目している。」「こんな楽しみ方をしている。」などオリンピックの楽しみ方があれば、是非教えて下さい。
選択肢3,4に回答された方は、具体的に興味を持てない理由をお教えください。
Q3:メダル獲得を目指しながら、結果が伴わない日本のスポーツ振興の現状をどう思いますか。
有効な強化策、施策案があればお聞かせください。
Q4:これからのオリンピックの姿は、どうあるべきと思われますか。
オリンピックの現状のどこに問題を感じ、どう改善してゆくべきと考えられますか?

オピニオンリーダーの回答

( 27件 )
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1. とても興味を持って見ている

山村武彦
防災システム研究所所長
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
・二つの視点からロンドン五輪に着目している
・ひとつは、プレッシャーと声援の中で全力を振り絞る日本代表に感動しつつ応援している
・二つ目は、世界が五輪報道一色の今、その間隙を狙って、重大なことが起こらないかという視点
 二つの視点からとても興味を持ってみている。すべての生活を五輪出場に賭け、他を犠牲にして切磋琢磨してきたアスリートたち。五輪出場決定後はメダル獲得期待を一身に背負うプレッシャーとの戦い。それでも声援とプレッシャーの中でひたすら全力を振り絞る日本代表、その美しい姿に感動しつつ応援している。
 そしてもう一つは、世界中が五輪ニュース一色となる今、その間隙を狙って何か重大事件が起こらないかという視点。2008年8月、北京五輪の際、ロシア軍は開会式というタイミングを狙い澄ましたように、突然グルジアの首都に侵攻した。現在、シリアではアサド軍と自由シリア軍との内戦は激しさを増している。すでに20万人の難民が発生している。五輪というニュースや監視のエアポケットを狙って、内外で重大な動きがないかを、ネットニュースなどでチェックしている。
Q3. コメントする
国家がスポーツに過大関与すべきではないが、国民のモラールに強く影響を与える五輪対策を含め、良識あるルールと予算の上限を設けた上でさらなるスポーツ振興策を推進すべきである。
Q4. コメントを控える
 
 
南淵明宏
医療法人社団 冠心会 大崎病院 東京ハートセンター  心臓外科医
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
選手達のリアルな一喜一憂はドラマそのもの。勝ってもドラマ、負けてもドラマ。すばらしい!
スポーツはウソのない、真剣な、そしてそれを見せることに卓越した、勝負だと思う。
これほどのpositiveなエンターテインメントはない。
選手の一喜一憂は人間そのものの本質を見せていると思う。
トロイ戦争の真っ最中も休戦してギリシア軍がスポーツ競技会を行い、それをトロイ軍が観戦したり参加した競技もあった、などという記事を読んだことがあるが、ルールなしの社会の争いごとにへきへきした気持ちが、スポーツと言う「美しい闘い」に魅力を感じさせるのだろう。
観戦の仕方としては、あまりに日本選手を応援するがあまり、リアルタイムでは心配で心配で観ていられない。負けるとかわいそうだし悔しい気持ちが瞬間に激しく湧き上がるので、それを避けるため、結果がわかってからでしか観れない。
期待外れに終わることがあるのもスポーツ。相手も同じだ。
「スポーツとは、負けることを学ぶもの」
こんな名言もある。ただしこれは、小さいころから悔しい想いばかりしてきた阪神ファンならではの自我防衛機制的「悟り」だろうか?
「人間て、一生に三回しか阪神の優勝は見られへんもんや」
これはやしきたかじんさんのお言葉だ。
ちなみに私は大人になって阪神ファンは辞めた。
Q3. コメントする
目標にするのは結構だがメダルの数にこだわらなくてもいいのではないか。
選手たちは若い世代に期待が持てる活躍を残し、また膨大な感動的映像を日本に配信していると思う。
スポーツの振興は国民全体が対象なのか、国際的に勝負できる人たちだけなのか、よくわからないが、役人にやらせると「何でもいいからとにかく天下り先が増えて予算がとれる方」が選ばれるのだろう。
スポーツは文化であって自然発生のエネルギーに支えられるもの。インチキ御用学者どもがネタにしてはならない。そういった意味でも、国は何もしない、触らない、いじらない。これに徹することでもっともっと民間から人もお金も、そして熱意や才能が集まる。規制と御用人事を押し付ける役所は一切黙るべきだ。
Q4. コメントする
大きなお金が動いてそれがほとんどシロアリに食われてしまうどこかの国のシステムでは問題があるだろうが、「お金がかかる」はそれだけ「潤う人がいる」ということで、コンパスが指摘するようにそんなにお金がかかっているのが事実だとすると、あらゆる産業が停滞している現代社会においては経済効果、と言う点で起死回生の特効薬なのではないか。オリンピック国債とも言うべき金融商品も出回っていると仄聞するぐらいだ。
近い将来、東南アジアやアフリカ、中東での開催も期待したい(それを見ることなくこちらの寿命が尽きそうだが・・・)。
 
 
永濱利廣
(株)第一生命経済研究所 経済調査部主席エコノミスト
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
活躍しそうな選手が関連する銘柄のチェック。過去の五輪でも、活躍した選手の関連銘柄が直後に急騰するケースがよく見られる。ただご祝儀的要素が強く、そのまま高値が持続するケースは稀。また事前に注目されて高値をつけている銘柄は、選手の活躍で材料で尽くしとなり直後に急落する場合も…。
当然のことながら、日本人選手の活躍に最も着目している。ただ、活躍しそうな選手が関連する銘柄を株式市場でチェックすることも楽しみの一つ。過去の五輪でも、活躍した選手に関連する企業の株価が直後に急騰するケースがよく見られる。ただ、選手の活躍による株価上昇はご祝儀的要素が強く、そのまま高値が持続するケースは稀である。また、事前に注目されて高値をつけている銘柄は、選手の活躍で材料で尽くしとなり、直後に急落する場合もあることにも注意が必要。
Q3. コメントを控える
Q4. コメントを控える
 
 
諸葛宗男
東京大学公共政策大学院特任教授
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
素直に日本選手の活躍を楽しみにしている。
日本選手の活躍している姿を見ると、なんとなく元気が湧くし、
不思議と誇らしい気持ちになれる。
Q3. コメントする
スポーツ振興は小学校低学年での体育の授業から見直すべきである。
最近の小学校では”競争=差別=悪”、という誤った考え方から、運動会
で順位をつけることを止めてしまっている。昔は運動が得意な子は運動会で
1等賞をとることが励みとなって、体を鍛え、ますます運動が得意になり、中高に
進学する頃にはあこがれの運動部に入って活躍する子が多かったように思う。
   
 スポーツ振興で重要なことはすそ野を広げることです。間口の狭くなった現状
をそのままにして、限られた人間だけ強化しても”金メダル”が増える可能性は
限られています。才能のある選手を小さいころから発掘し、その選手に英才教育
を施して、才能を伸ばすべきです。
  
 真っ先に行うべきことは教育現場に持ち込まれた ”競争=差別=悪”、という
誤った考え方を払しょくすることです。お金は一切かかりません。
Q4. コメントを控える
(オリンピックに関する情報の持ち合わせが少ないのでコメントを控えます)
 ”平和の祭典”として世界中の204もの国と地域の人が、紛争を停戦してまで
  集まり、協議に参加する、ということは手放しで喜ばしいことだと思います。
   多少の費用が掛かっても目くじらをたてる話ではないのではないか。もちろん、
  費用は少ない方が良いに決まっています。華美に走らないよう、常にウォッチ
  することは必要ですが、費用対効果で考えれば、3兆円はそれほど高いとは
  思われません。
 
 
坂野尚子
株式会社ノンストレス社長
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
オリンピックやワールドカップの時には日本の選手を応援し、自分が日本人だと意識します。また、アスリートの人生には色々なドラマがあり、「頑張っている」人を応援したくなります。ただ、メディアの取り上げ方も一部であり(美人だとか、スポーツの種類であるとか)偏りがあることが気になります。珍しい種目であるとかも取り上げてほしいと思います。
Q3. コメントする
メダルが全てではありません。メダルの数や特に金メダルを期待することは簡単ですが、選手の立場からはかなり酷なことです。よく、選手が謝って、「申し訳ない」ということがありますが、違和感を覚えます。メダルは頑張った自分へのご褒美です。国のためではないです。
Q4. コメントする
私は東京オリンピック誘致には反対です。確かにオリンピックで経済効果がないとは言えません。しかし、現在の国や都のあるべき姿を考えると、オリンピック以外にお金をまわすべきだと思います。前回の東京都の誘致にかかった費用を考えると、本当に無駄金だったと思います。
 
 
田中ウルヴェ京
国立鹿屋体育大学客員教授(スポーツ心理)
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
元選手、コーチ、解説者として見ているだけでなく、現在はメンタルトレーナーとして担当する様々な競技選手たちの様子をメールでやりとりしながらライブで見ている。同時に、どんな競技を見る時も逃さない瞬間は選手が勝った時、負けた時の行動。そこにその選手の「人として何を価値観としているか」という素顔が出るから。
自分はシンクロナイズドスイミング競技で1988年ソウル五輪で選手として、1996年アトランタ五輪で日本代表チームコーチとして、そして1992年バルセロナ、2000年シドニーでは解説者として、五輪に参加した。
現在では、様々な競技のコーチや選手に対するメンタルトレーナーとして指導しており、ロンドン五輪では、自分が長年メンタルトレーニング指導をしてきた選手たちが戦っているので、現地とはメールでやりとりをしながら、日本でできるだけライブで観戦をしている。
自分が担当している選手以外の試合を見ているときにも、「楽しむ」という感覚はないが、どんな競技を見ていても、「着目している」点としては、「選手が勝った瞬間の行動と、負けた瞬間の行動」。
そこにスポーツマンシップや、「人として何を価値観としているかの素顔」が如実に出るから。
そこに、各国の「人としての選手教育」が出るから。
うすっぺらいマニュアル化されたような、ロールモデル教育ではなく「なぜ選手でいるのか」「勝負で得るものは何か」「人として、選手という人生を生きるとはどういうことか」といった思考をその国が選手にどれだけ植えつけさせているかは、その瞬間の行動に出る、という点で、非常に着目している。
自分はメンタルトレーナーという役目として、当然、結果を出す=勝つ、ということを目標に、選手やコーチのメンタルトレーニングをしているわけだが、同時に、「たんに勝つ」だけでなく、「勝者になった後も、選手は、人としての人生が続くわけで」、その意味では、「勝ってどうするのか?」というところまでを、メンタルトレーニングの方向性としている。
理由は、たんに、自分自身が大学4年で銅メダリストになり、その後のキャリアトランジションにおいて、スポーツ心理学的には典型ともいえる、「アスリート特有のセルフアイデンティティー葛藤」を経験したからだ。
自分は、学術的専門分野として、「競技引退時の心理葛藤」があるので、その意味では、「引退後の人生」を視野に入れた「選手として勝つ人間になった後の、人として世界に役立つ人間」になれるための自己成長トレーニングが大事だと思っている。
五輪のような舞台で勝てる人間は、そもそも、「自分のなかに、やる気スイッチを自らで作り、そのスイッチを自分で押せる人間」である。もっといえば、スイッチを押した後の発電能力を異常なまでに高め続けることのできる人間である。
そんなセルフモチベーターが、競技の世界だけで活躍するのは、国としては、残念なことで、いかに、競技引退後も、真の意味での自己認識というプロセスを経由することによる「人としての次のステップ」に成長していけるかが、国の財産であるとも思っているし、それが可能になると、文化としての競技スポーツの価値があがると思っている。
Q3. コメントする
「金メダルの数だけで」判断し、結果が伴っていない、とは考えていない。
メダル総数は、このコメントをしている段階では、世界3位。
スポーツ強豪国に比べて、これだけ政府からの競技スポーツにかける予算が少ないなかで、現場は大健闘していると思っている。
自分が日本代表コーチをしていた時、代表チームコーチとしての日当は2000円だった。(時給ではない)
コーチとしてだけの報酬では、実家からの通いでない限り、自立した生活はできなかった。
結婚し、子供を産み、コーチを続けたくても、生まれたばかりの子供のベビーシッター代の方が、自分のコーチ時給より倍以上高かったこともあり、代表コーチを続けることは結果的に断念した。
当然、自分の例は十年以上も前のことであり、改善はあったし、様々な企業がサポートをしている指導者もいるが、まだまだ指導者に対する報酬は、「アマチュアスポーツ」という名のなかで、厳しい状態である競技は多い。
強化には金が必要だ。もしも「勝て勝て」というのであれば、選手への経済的支援は当然重要だが、その選手を支える指導者(技術指導者だけでなく、フィジカル、メンタル、メディカル、栄養なども含めたサポートチーム)に対しても、もはや、「ボランティアで頑張る」の域は超えた経済的支援が必要と思う。同時に、報酬を支払わなければ、責任自体を追及することすらできない。
Q4. コメントする
世界的には商業化、開催費の肥大化を問題に感じるし、日本のメディアでの露出では、うすっぺらい「感動ドラマ」に仕立て上げるような脚色を見ると問題を感じる。同時に、すべての露出がうすっぺらい、と思うわけではない理由は、「選手の親」とか「苦しい環境」などを表面的に取り上げるのではなく、心身の限界への挑戦という、そもそものスポーツ自体にある究極の美しさだったり、勝負の厳しさだったりを取り上げてくれるときがあるからだ。
自分のような人間に、「オリンピックの姿はどうあるべきか」などといった問の解があるなら、とうに、真の姿の方向性は顕在化しているわけで・・・、たんに商業化しなければいいものでもないだろう。
ただ元選手としての狭い視野で理想とすることは、人間の研ぎ澄まされた心身が戦って得られる勝敗が、国々の対抗になるのではなく、国々の共感=平和につながることだ。
日本の道の世界では、「勝って反省、負けて感謝」がある。戦うことで、負けた者は、自己の不足を知り、さらなる磨きをかける場所を見つけることができる、というような感謝があり、勝った者は、そこで自己成長を止めることなく、「勝ってはみたが、己に足りないことは何か」と省みる、という状態。そのスポーツならではの「勝敗から得られる自己成長」などは、出場する者にとってのかけがえのない貴重な経験であったりする。勝っても、負けても、だ。その精神を見る者も、そこで自分を省み、翌日の仕事に感謝をもって向かう・・・なんてことがあれば理想なのだろうが、書きながら、むなしく感じる自分が残念である。
 
 
森信茂樹
中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
メダリストは才能と努力と運の合致した勝者。そこから学ぶサクセスストーリーは、われわれを勇気付ける。いじめ問題にもいい影響を及ぼすはず。そのような報道を期待。
オリンピックのメダルは、才能と努力と運が合致しなければ得られない。選手の悲喜こもごもの人生を、競技の成績という冷酷な結果から学ぶことになる。まさに人生ゲームそのもの。そこで、メダルの色にかかわらず、選手のサクセスストーリーを知ることは、われわれにとって大きな指針となるし、いじめなどで悩む若者に勇気を与えることになる。そのような報道を望みたい。
Q3. コメントする
あまり金にこだわらなくてもよいのではないか。そこは人智を超えた世界だから。創刊あげると、日本選手の活躍は悪くない。
Q4. コメントする
日本・東京がオリンピックを招致できない最大の原因の一つに、国民の支持が少ないという事情がある。5月に国際オリンピック委員会(IOC)が公表した支持率は47%だという。
そうなら、東京都は、外国に向けてというより、国民に、もっとオリンピック招致の意義について、訴え、説得することをすべきだ。たとえば、競技施設の充実に2000億円以上かける必要があるのかどうか、東京都民と直接議論すべきだ。逃げている感じがする。それでは招致は無理ではないか。
 
 
小幡績
慶應義塾大学ビジネススクール准教授
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
オリンピックはビジネスで反吐が出るが、選手は美しい。
開催の仕方、ビジネスとしての過熱、その結果として、興行収益優先の開催方法、競技の設定など、多くの不満がある。
しかし、その一方で、能力、努力の限界を追求する選手たちの姿は美しい。それは、開催意図や主催者がどんなに汚れていても、変わらない事実である。
その事実だけを、なんとか汲み取ろうとして、観ています。

後は、文化による価値概念の違いや、法制度、ルールに対する考え方の違い。柔道の判定についての騒動も、日本柔道が本当に強いのに、オリンピックだけで結果が出ない理由も文化的な理由があるので、大変興味深いです。
Q3. コメントする
結果が出ていないとは思わない。

改善するとすれば2つ。

オリンピックで人気のある競技に多いのは、過去のスター選手が競技団体の理事などを独占し、すべての意思決定を牛耳ること。彼らは、優れた競技者であっても、組織のマネジメントに向いていないことが多いし、将来のヴィジョンを描くことに長けているとは限らない。ここは、外部の人材も活用して、組織の運営、経営と言う点でのマネジメントを考える必要がある。そのように、競技団体などを改革する。ガバナンスや経営のしっかりしている団体にのみ、政府から優遇措置や補助を与えることにしてはどうか。

一方、マイナースポーツに関しては、あまりに日が当たっていない。これらの競技を政府で支援することが重要である。そのために、日本政府が率先して、マイナー競技の世界選手権(1年か2年に一度行われているもの)の開催を日本に誘致し、様々な補助を行う。マイナー競技は、ほんの少しの補助があるだけで劇的に競技環境が改善する。マイナー競技もよく見るとおもしろい、というものは多い。冬季で言えば、カーリングなどである。そういったものの世界大会を日本で行うことで、メディアもカバーし、一般の知名度も人気も出て、その競技の発展に資することとなる。そうなると、それらの競技人口が増え、長期的に、その種目で、日本人が活躍することにもなる。


別の観点から言うと、社会や経済が成熟化すると、メダルは減ってくると思われる。

まず第一に,高い水準の経済であれば、ビジネスの世界で多くの仕事があり、そのやりがいも給与水準も高い。それらを捨てて、オリンピックに出られるかどうかも分からないのに、人生を捧げる決断はしにくくなる。日本女子が男子よりも活躍しているのは、日本のビジネスの世界では、女性が十分に実力を発揮する機会を与えられていないことがあると思われる。

第二に、同時にスポーツという、本質的には何も生み出さない自己満足の活動が盛んになるのは、経済的余裕があるからだ、ということになる。しかし、そうなるとスポーツというモノに過度に人気が集まる結果、プロ化し、経済的にも冨が集まるようになる。みんなが観戦などにお金を払うからである。その結果、プロスポーツが発達する。そうなるとその競技に競技人口が集中し、マイナースポーツ、あるいは単純で純粋なスポーツに運動神経に優れた才能のある選手が集まりにくくなる。その結果、スポーツは盛んになるが、オリンピック競技で活躍する選手は減るようになる。

これらの結果、経済的に豊かになり、余暇をもてあました国民達は、オリンピックにこれまで以上に期待と関心を寄せるが、同時に、そうなればなるほど、オリンピックでの競技者のレベルは相対的に低下し、メダルは期待はずれになる。

中国が多いのは、野球、サッカーなどのプロスポーツに人材が流れない結果であり、柔道よりもプロレスや他の格闘技に人材が流れてしまうのである。

マラソンは、ケニアの男子にとってはプロスポーツであり、賞金レースで飯を食い、オリンピックで金メダルを取ろうモノなら、日本とは比較にならないほどの英雄となり、セレブとして、名誉も金も手に入れ、豪邸に住むようになる(前回の金メダリストが、あまりにセレブ化したために妻との争いから事故になり死亡したのは象徴的)。
Q4. コメントする
商業主義になりすぎた結果、選手の純粋な競技であることが損なわれていること。

日本独自のオリンピックを企画してはどうか。

マイナー競技の世界選手権を複数種目同時に同じ会場で行うことにより、地味にイベントとして日本だけで盛り上げる。IOCなどが関心を持たないぐらい地味に、儲からない程度に。しかし、マイナー競技にとっては、テレビカバレッジもあり、国民の認知を高めることになるから、意義がある。そして、強くなる。イベントとしては、我々は商業主義でない選手の美しい姿を見たいのだから、理想的であり、予想されるよりもテレビであれば視聴率が上がる。やはり、テレビは生で、みんなで熱中するものが向いているから、今後のコンテンツとしてもいいのではないか。

プロ競技にはない、美しさが見られるのをみな楽しみにするのではないか。
 
 
有馬晴海
政治評論家
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
世界の競争は、単純に興味がわく。
何のために見るという理由はなく、みたいから見る。
家族との会話。友人との会話。
この時期は、社会全体がオリンピック一色。

チャンネル回してとにかく見る。一度見たものでも番組の解説者や切り口で新たな発見もある。
要するに、人物に興味があるのだろう。
何をしてきた人が、この結果で、どのように発言するか。
専門の政治家についても同じ目で見ている。
3回目の出場の人にはそれなりの思いがある。
年齢差もある。
仕事柄か、結果そのものよりエピソードに興味があるし、
能力があるからといっていい成績が取れるわけではないことも興味の一因だ。
実力以上が発揮されたり、まったくできなかったり。
若い選手は、オリンピックの予選、準決勝、決勝の一戦一戦で記録が伸びるのは、興味深い。
無冠の帝王なるものも背景を探りながら見ることで、凄さを知る知る。
そんな人生もあるのだと。
凡人はしがみついて地位に拘るが、天災は結果が出せずに終わるケースがある。
そんなものも知る。
努力しないといけないレベルはするしかないが、しなくてもいい人はしない。
もっと努力していればと周囲は思うが、天災は才能だけで勝負しようと努力しない。

そんな100人100様の人生が2週間で凝縮されて見れる。
Q3. コメントする
お金があれば、技術の向上につながるのか。
そういう面も否定できない。
強化マシーンがあるかどうかで成績の違いはあるだろう。

野球小僧だった自分も、
ピッチングマシーン相手に毎日バッティング練習をすれば、それだけ上手くなったかもしれない。
マシーンがある学校かどうかで技術も違ってくるだろう。

体格の大きさで、成績が決まるなら、競技そのものが成り立たない。
だが、そういう競技が多い。
100m、ハンマー投げ、バレーボール。
メダリストで、参議院議員の橋本聖子氏が、
「体格には差があるが、魂には差がない」
とある会合でおっしゃるのを聞いたが、体格の差は大きい。
時々の番狂わせがあるが、主戦論ではない。
相撲を見てもそうだ。
だから、柔道やレスリングは体重種目だ。
番狂わせは楽しませてくれるが、所詮番狂わせでしかない。
体格の差、食べ物、科学的な知恵、施設や環境で勝負が決まると思うと興味が薄れる。
でも体格差を埋める工夫がないと負けてしまう。
その点で、日本は、世界の中ではかなりましな方だろう。
酸素の薄い高原でのランニングができる選手は羨ましいと、
私程度の人間でも悩んだ。

それでもバレーボールの試合中のデータ戦術は、せこいと感じる。
そこまでして勝つ勝負に楽しさがあるのだろうか。
素材だけでの勝負か、練習か、それも設備を整えて科学的にやるのか、食の制限管理、難しい問題だ。

メダリストになると、国から報奨金や、企業からの支援、コマーシャルなどで
生活が一転する国もあると聞くが、それなら死に物狂いで、インチキしてでも勝ちたくなるだろう。
スポーツだけで、人生も変わる。

そういうことから、オリンピックも参加することに意義があることから大きく変わった。
日本は未だ許容範囲だ。

際限がない話だが、ある政治家が言うところの
「生まれた場所、環境、おカネのあるなしで命の長さが変わってはいけない」
ということだったが、それはスパーツにも言える。
とくに、幼少期については、なるべく多くの児童が同じ環境でスポーツが楽しめて、
その中から、選手になりたいものができやすい環境をつくるのが政治の役割だと思うが、
そうはいかない。
民間任せでは、生まれた環境で差がある。
でも、そんなものという程度でしか動かないのではないかと思える。
Q4. コメントする
ここもあそこも平等、同じ条件でという思いはあるが、
どんな方法をとっても
そもそも国同士に差があり、全てが納得いくようにはなるわけがない。
いろいろ言いながらも、現状でやるのかやらないのかしかないのであるから、
取りあえずオリンピックにより世界が向上し、競争を楽しむということでいいのではないか。
そもそも国威発揚が目的。
競技でのトラブル、審判員の未熟、国を背負った選手間のいがみ合い。
だが、それでも競争心というものを満足させ、世界中が楽しんでいるというものが大きい。
改善は、その都度の微調整で進めるレベル、彌縫策で進んでいいのではないか。
今のところ。
 
 
中津孝司
大阪商業大学総合経営学部教授,国際問題評論家
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
選手たちの活躍に注目が集まるが、本当は指導者たちの力量が競われている。良き指導者の選手は強くなれる。そうでない指導者の選手はオリンピックに出場できない。オリンピックとは世界水準の指導者の指導力が問われる空間である。
選手たちはしばしば、コーチ(指導者)との二人三脚と言うが、本当にそのとおりだと思う。スポットライトを浴びるのは選手だが、選手を生かすも殺すも指導者次第。才能のある選手を発見し、その才能を伸ばし、さらに花を開かせる。オリンピックは選手ではなく、指導者の品評会だ。オーケストラや合唱団の場合、指揮者で決まる。同じように、スポーツも指導者で決まる。団体競技の場合、それは経営学、特に、組織論の具現。強いチームを作り、選手たちをまとめあげることのできる指導者はある意味で有能な経営者になれる。選手ではなく、指導者たちの存在を想像しながら競技を観戦している。
Q3. コメントする
スポーツの世界では指導者に対する報酬があまりにも過小評価されすぎている。指導者の情熱に任せ、それに安住する始末だ。芸術の世界と逆の現象がスポーツの世界で見受けられる。選手たちの評価もさることながら、指導者たちに適切な手当てをすべきではないか。日本のスポーツ振興予算が少ないこと、スポーツビジネスに対する理解が乏しいことも日本の問題点だが、優秀な指導者を優秀だと評価する第3者の姿勢が問われているのではないか。
Q4. コメントする
オリンピックがスポーツビジネスの最高峰であることを再認識すれば、相当程度のマネーが動いていることは仕方ないのではないか。ただ、透明度を上げる努力は必要だろう。オリンピックは純粋なスポーツの祭典ではなく、国の政治力と経済力の関数である。改善策を講じる前に、実態を把握することが先決だと思う。
 
 
田中雅美
スポーツコメンテーター
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
元オリンピアンとして、全ての競技に注目しています。
日本選手はもちろん、世界のトップ選手がこの大きな舞台の中でどのようなパフォーマンスをするか、注目しています。
この場に立つ選手たちの努力に嘘はなく、作られたストーリーではない、その瞬間の汗や涙に人々は感動するのだと思います。それがスポーツのあり方と考えます。
オリンピックはアスリートにとって最大の目標であり最高の舞台であると私は考えています。
様々なスポーツがプロフェッショナルに移行している中で、もはやアマチュアの定義はなんなのかは疑問ではありますが、4年に1度世界のトップを目指して努力するスポーツ選手が存在することはとても大切なことだと思っています。
その姿は確実に未来に希望を抱く子供たちに大きな夢と希望を与えているのではないでしょうか。
活躍する選手を見て、その競技に興味や夢を持つ子供たちがいることは間違いないと思います。

ただ、メダルや結果ありきの報道のあり方には疑問もあります。
Q3. コメントする
そもそもメダルという存在がいったい何なのか。
メダルにこだわりすぎている気がしてなりません。
経験上、世界の3位以内がよく頑張ったと賞賛され、4位は惨敗、残念な結果と位置され評価も全くされないことを実感しています。
確かに、選手はあくまでも世界の1番に挑戦します。自分自身の進化に対し努力します。
その挑戦に、メダルという結果がただ存在し名誉が与えられるという今だからこそ、過度な緊張やプレッシャーへと変化し結果を残せない状況になるのではなのではないかと思うのです。

日本のスポーツがより発展し進化するためには、自分を越える、自分にチャレンジする心を育てなければならないのではないでしょうか。

うまくなったら嬉しい、速くなったら嬉しい、評価されたら嬉しい、そんな純粋な気持ちはみんな持っていると思います。
その頂点がオリンピックだと位置付けできれば、また違った想いの選手がこの先に現れるのでは。

もしくは、アマチュアリズムがあいまいな現在、オリンピックで結果(メダルだけにこだわらず)を出すことでなんらかのはっきりとした未来の道への選択枠があるとモチベーションも上がるのでは。
Q4. コメントする
メダルにこだわりすぎる。

日本独自の評価の仕方があってもいいのではないでしょうか。
 
 
朴斗鎮
コリア国際研究所所長
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
オリンピックで、アスリートが全精力を傾けて挑む真剣勝負は、ごまかしのない最高の人間ドラマだ。多くのものを学ばせてくれる。また競技を競う姿やアスリートの真剣なまなざしは人間美に満ちている。そして彼ら彼女らの磨かれた技量は、人間の能力のすばらしさを教えてくれる。そうした視点からオリンピックを最高のドラマとして受け止め楽しんでいる。
だが、アスリートの真剣勝負は「審判」という人たちによって興ざめさせられることが多い。オリンピックをより高いレベルで楽しむためにもこれは何とかしてほしい。「審判」もアスリートのように厳しい試練を乗り越えた人たちで構成されるべきだ。そして「審判」の場をアスリートと同じレベルでの「真剣勝負」の場に変えていく必要がある。そうすれば、オリンピックはもっと輝かしい祭典となり、人々をもっと感動させられると思う。
Q3. コメントする
 まずは、選手に対する精神力強化を行なう必要がある。それと同時に支援体制と競技結果に対するインセンティブも強化すべきだ。少なくともメダルを取った人たちには、報奨金のほか通常の年金に上乗せする「スポーツ年金」のようなものがあってもよいのではないか。それによって心置きなく地域のスポーツ振興に専念できるようになれば、学校教育と地域のクラブが結びつき、それはそのままスポーツ人口の拡大にもつながる。そうなれば培った技量や経験がより多くの国民に還元できるだけでなく、選手強化の新たなシステムの開発にもつながるはずだ。
Q4. コメントする
最近のオリンピックは商業主義的傾向が強く、大国中心、メジャ―種目中心の運営となっているのは確かだ。オリンピック運営に多大な費用がかかることからこうした傾向はある程度仕方がないとしても、そうした弱点を調整する努力、例えば弱小国家のスポーツ振興やマイナー種目の育成に一部収益金を優先的に配分するなどの調整ぐらいはしても良いのではなかろうか。
また、最近のオリンピックは、ナショナリズムが強くなりすぎて「国威発揚」の場となり、そういった意味での「政治介入」が許容されている。一部の国ではオリンピックでの成績が支配者の権威付けにも利用されている。
建前上、オリンピックはスポーツの祭典で政治と関係ないとされているが、現状でそれを額面どおり信じている人は少ないだろう。100歩譲ってもしそうだとするならば、人道主義、人権基準も適用し、人類愛に反した団体や国家には警告を与えるぐらいの「中立性」を発揮しても良いのではないか。
オリンピックがスポーツの祭典として今後とも人々に愛されるためには、出発時の理念をたえず反芻し、人間の尊厳を高める祭典とすべきであろう。
 
 
長田渚左
スポーツジャーナリスト
Q2. 「1 - とても興味を持って見ている」の回答理由
“4年に一度人類は夢をみる”と言われるように平和の祭典としてオリンピックならではの面白さは格別。
人間の可能性を感じられて見逃せない。
Q3. コメントする
金メダルの数以外では、大健闘をしている。いくら何でも結果が伴っていないなどと切り捨てられない。
日本はすばらしい結果を出しています。
Q4. コメントする
競技への男女の均等化がはかられた大会として注目されるのは良かったが内容や試合進行をあまりにも大資本のテレビに合わせ過ぎている。また柔道や体操など一度出た判定がひっくり返る様子が目立つ。審判のレベルを上げる努力はもっともっと必要だろう。
 
 
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2. まあまあ興味を持って見ている

本田宏
医療制度研究会副理事長
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
男子日本サッカーは日本リーグからJリーグへ移行し、全国各地でサッカー人口や底辺拡大が行われた。その結果日本選手が世界で活躍するという日本リーグ時代には想像もつかない発展を遂げた。日本人もシステムを整えれば世界で活躍できる能力があることを男子サッカーは示している。
 サッカーの躍進に注目している。特に男子サッカーは日本リーグからJリーグへ移行したことによって、サッカー人口拡大や全国各地でサッカー文化の底辺拡大が行われた。その結果日本選手が世界で活躍するという、日本リーグ時代には想像もつかない発展を遂げた。日本人もシステムさえ整えれば世界で活躍できる能力がある、それを男子サッカーは示している。
Q3. コメントする
 医療では「不確実性と限界がある」が常識だが、恐らくスポーツの世界でも多くの種目でトップクラスの実力は伯仲。過度に勝つことを期待することは時には余分なストレスを選手に与える危険性もありかえって逆効果なのではないか。勝ちを期待する気持ちはわかるが、「勝負は時の運」という余裕も応援する側、見る側に必要なのではないだろうか。
Q4. コメントする
 オリンピックやスポーツは人生に楽しみや生きがいを与えてくれる重要なジャンルである。しかし市場原理が世界を覆い、スポーツの世界でも大金がその在り方に大きな影響を与えかなりいびつな物となってしまっている。スポーツ振興も重要だが、日常の社会保障(医療•介護等)整備を置き去りにしてはならない。現在巨額を投じてオリンピック誘致が進行しているが、今の日本は高度成長期の東京オリンピックと時代が根本的に異なっている。先進国未曾有の高齢化社会目前、日本はオリンピック誘致より社会保障システム等の抜本的整備が優先課題だ。
 
 
山田昌弘
中央大学教授
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
個人、チームが、技を磨き、努力して、同一条件で、競争して、結果が決まる、という「努力が報われる」という物語にひたる。
だから、マイナーでも下馬評が低くて、注目されなかったが、努力の結果が実って上位に食い込んだというものをみるのが楽しみ。
個人、チームが、技を磨き、努力して、同一条件で、競争して、結果が決まる、という「努力が報われる」という物語にひたる。
だから、マイナーでも下馬評が低くて、注目されなかったが、努力の結果が実って上位に食い込んだというものをみるのが楽しみ。今回なら、アーチェリーとか男子サッカーが最高。
勝と思われていて、勝てなかったとういうものは、つまらないからあまりみない。
Q3. コメントする
体格の人種的特性から、メダル数には限界があると思う。アジア人種が得意な競技(特に女性)は、結局人口が多い中国が人材育成を本格的に始めたらなかなかかなわない。
現状でよいのではないか。
Q4. コメントする
グローバル化しているなか、個人競技中心のものと、団体競技中心のものでは方向性が違うだろう。
個人競技は、国籍が無意味になってくるかもしれない。(国籍を変えて出場する選手がますます目立つようになってきた)
団体競技は、人口規模が違う国を競わせることの意味が問い直されるだろう。数カ国が一緒になってのチームを作るといった案が出てくるかもしれない。
 
 
岸本裕紀子
エッセイスト,政治コラムニスト
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
居間のテレビ2台を、夜はほぼつけっぱなし状態にしています。日本が強い種目はもちろん、オリンピックでは、自転車ロードやカヌーなど、普段観ることができないスポーツをテレビで観戦できることも楽しみです。
個人的な好みを言えば、競技をできるだけ多く、幅広く放送してほしいです。ハイライトは同じシーンを何度も観ることになり、飽きてきます。また、メダリストをスタジオに呼んで、いろいろインタビューするのは、まだ競技が残っている選手については気の毒な気がします。質問もだいたい同じだし、練習するか休むか、させてあげたいなと思います。
Q3. コメントを控える
Q4. コメントを控える
 
 
沈才彬
多摩大学大学院フェロー(中国ビジネス研究所代表)
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
回答:ロンドンオリンピックに興味を持っている。私なりの着目点は2つ。

 1つはロンドン五輪の開会式と北京五輪開会式の相違である。
 ロンドン五輪の開会式は国民的立場からリラックス・ユーモア雰囲気の下で、イギリスの歴史・社会・文化を世界に展示し、成熟した先進国の余裕を示した。
 一方、北京五輪は民族的、国家的立場から広大なスケールで、高揚感が漂う中で、中国の歴史・文化・社会を世界に展示し、先進国に追いつき、追い越す新興国の気概を示したものと思われる。
 ロンドン五輪と北京五輪の開会式はそれぞれ特徴あり、テレビで見て良かったと思う。

 2つ目の注目点は各国の金メダルの獲得数と経済成長の間に、どんな相関関係あるかに興味がある。
 経済分野における日米欧先進国の停滞と中国など新興国の勃興は、実はスポーツ分野にも影響を及ぼしている。8月1日まで、中国の金メダル獲得数は13個で1位、2位アメリカの9個、3位フランスの4個を大きくリードしている。
 つまり、全体的にいえば、新興国の経済躍進と体育振興は正比例の相関関係を示していると言える。ただし、例外もある。インドである。経済成長が著しいインドだが、スポーツ競技は低水準にとどまる。なぜこんな現象が起きるか?研究をしてみたい。
Q3. コメントする
回答:
 全体的には日本人選手の競技ぶりは今一つ。控えめ的で、高揚感と気概・迫力が欠如している。これは日本国全体がいま閉塞感、停滞感が漂う現実と大きくかかわっていると思う。

 8月1日まで、日本人選手の金メダル獲得数はわずか1個、中国・アメリカに遥かに及ばすのみならず、北朝鮮の3個にも及ばない。正直に言って、納得できない。

 2009年の民主党政権の事業仕分けで「なぜ2位ではだめなのか」と話題になった。1位を目指さず、2位に安住する政府の姿勢自体が問題だと思う。民主党政権誕生後、経済分野にも、産業分野にも、1位陥落のケースが続出している。なぜか?政府は反省すべきではないか?

 女子サッカーのなでしこジャパンは立派だ。逆境に負けず、努力を弛まず、結果的には世界頂点になった。なでしこジャパンのようなチーム、選手が輩出できるような環境作り、振興策をやってほしい。
Q4. コメントを控える
 
 
若狭勝
弁護士
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
日本や日本人が一つになるなどという目的のもとでオリンピックを見てはおらず、ただ単に、選手がみなメダル獲得向けて長期にわたり努力し、その結果、オリンピックというステージで勝負が展開され、悲喜こもごものドラマをみることができる。そのことに興味を持って見ている。
もっとも、目的として見ているものではないが、結果として、日本や日本人が一つになっていく雰囲気を感じる取ることができれば、日本社会の今後を考えるに当たり嬉しさや意義を感じる。
Q3. コメントする
選手活動を支える資金援助が必要と思う。もっとも、今後、それを国からの一層の援助に求めることは財政状況からして事実上難しい。従って、今後は、企業の社会貢献活動の一環として選手への資金援助、スポンサー等の道を拡大することがよい。企業の社会貢献活動に要する費用は、税額上、控除できるとする税制上の措置を講じる。また、もっと広報することにより、個人からの資金援助の道も開けるように思う。
Q4. コメントする
あまり表面化していない大きな問題(商業主義的ないし政治的影響等)もうかがえるが、もっと分析が必要なため、ここではコメントできない。そこで、比較的直ぐに改良すべき問題点として、直近の柔道における審判・ジュリーの在り方を指摘したい。裁判員・裁判官が無罪を言い渡したのに、裁判所の幹部(所長など)から考え直せと言われ、その10分後に、今度は、同じ裁判員・裁判官メンバーのもとで、有罪と言えば、その裁判の重みや権威は崩壊する。それと同じような今回の状況は即刻改良すべき。ビデオ分析が大事だとすれば、白旗・青旗を上げる前に、ビデオ映像から認められる状況を審判員に情報提供するなどの方策を講じるべき。
 
 
潮匡人
国際安全保障学者,拓殖大学客員教授
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
もちろん「日本」を応援しています。友人が監督を務める自転車競技や、(元自衛官として)自衛官の選手などに注目、応援しています。
Q3. コメントする
諸外国と比べ、日本はスポーツにかける公費の割合が低い。民間のサポート体制も弱く、選手の負担が大きい。スポーツ庁の創設を含め、官民をあげた対策を講じるべきだと思う。
Q4. コメントする
期間中もシリアの内戦が激化するなど、従来の意義は大きく薄れている。個々の競技に関しても、判定が覆るなど、正直しっくりこない場面が目立つ。今一度、原点に立ち返るべきではないだろうか。
 
 
松田千恵子
首都大学東京教授/マトリックス株式会社代表
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
あれこれ言おうと思えば幾らでも難癖をつけられるのは確かだが、
世界が平和に「祝祭」を持つことができるのは素晴らしいし、様々な競技において極限まで
自分を鍛え上げたアスリート達の技は本当に美しいと思えるので、素直にそれらを楽しんでいる。
Q3. コメントする
メダル獲得と結果、という事象と、スポーツ振興における課題とはいったん分けて考えたほうが良いのではないか。

参加しているアスリートでメダルを目指したくない人間はいないだろうし、だからといって必ずしも取れるとは限らない。
国による助成が大きければメダルが取れるというものでもないことはなでしこが立証済み。

メダル獲得という「錦の御旗」をだしにして、そのくせプロフェッショナルスポーツについて統一的な支援を行うわけでもなく、あちこちの省庁や都道府県、市町村、公共団体等々が「国民の健康増進」というテーマを単に争っているようなスポーツ振興のあり方自体は再考されるべきだろう。
「スポーツ立国戦略」など殆ど何を言っているのかわからない。省庁の権益拡大にしか見えない。

スポーツをやりたい、観たい、という国民の自主性にもっと任せれば良い分野に見える。その上で本当に必要なプラットフォーム整備(ハコモノという意味ではない)が必要ならやればよい。
例えば、国民が自発的にあるスポーツの振興を願って寄付したいと思う時に、そういうことをやりやすくするのが国の役割。
Q4. コメントする
商業化やプロフェッショナル化、開催費用の増大などが課題とされているが、
本当に「撲滅されるべき」課題なのか。
不正行為やモラル逸脱行為は厳しく取り締まるべきだが、企業がその製品や技術や
アイデアを使ってスポーツへの貢献を行うこと自体を問題視し、企業抜きのオリンピックを
やろうなどと言うこと自体、現在の世界ではナンセンス。
プロフェッショナル化にしても同様。行き過ぎたアマチュアリズムが健全だとも思えない。
開催費用の増大といっても、単に国威発揚だけを狙って今やゴーストタウンと言われる
北京オリンピック施設などを良しとはしないが(まあ、それとてもその国の選択である)、
この時代にはテロ対策費用なども莫大にかかるだろうし、
それを国民が引き受けてそれでも開催するというのであれば、とやかく言うことではないのではないか。
それよりも、例えば開催費用の一部は必ず貧しい国の援助に回すなどといったシステムを作ると
いった建設的なアイデアを出していくほうが、これからのオリンピックを考える上では適当と思われる。
 
 
鈴木豊
青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科教授・公認会計士
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
1.日本人の比較的関心の強い種目の決勝に近い段階をみます。
2.国をあげて強化している種目をみていることになっているのではないか。
3.他国の選手の戦い方と比較しながら望ましいスポーツの戦い方をなんとなく考えている。
Q3. コメントする
1.メダル獲得を最優先すべきかというと疑問もあるが、各国間の戦績も気になるのも自然だと思う。
2.とすれば、最優先順位を再検討し、強化種目を特定し人・資金を投入すべきではないか。
3.選手も国を代表して、強化されるのであるから、責任と倫理も植えつけられるような施策が必要ではないか。
Q4. コメントする
1.極端な商業主義は排除すべき。
2.手作りのオリンピックスポーツ大会のような雰囲気に作り替えるべき。
3.そうでないと民族的・国別的に差別があるように見える。
 
 
にしゃんた
羽衣国際大学教授/落語家
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
「感動」したいですかね。でも今のところ、もっぱら「酒の肴」ですね。言うても、祭り事ですから、踊らせするアホや踊るアホもいる中の「見てるアホ」ってとことですかね。まあ、気軽にやっています。だけど、「ゼッケン67」のような話って、今後起きなかったら淋しいですね。
至って個人的な話ですが、スリランカにいた17年間はTV放送がなく、日本での25年もバタバタしていたので、少し心のゆとりをもってオリンピックと向き合えているのは今回が初めてなんです。

自分の場合、オリンピックに期待するのは、格好良く言えば「感動」ですかね。でも今のところ、もっぱら「酒の肴」ですね。言うても、祭り事ですから、踊らせするアホや踊るアホもいる中の「見てるアホ」ってとことですかね。まあ、気軽にやってます。だけど、「ゼッケン67」のような話って、今後起きなかったら淋しいですね。あれは1964年の東京大会だったから、彼此、50年近く語り継がれていますから、「感動話」としても「酒の肴」としても賞味期限ないですからね。ロンドンオリンピックで言うと、一番印象に残っているのが、関係ない女性がオープニングパレードを堂々と歩いたことですかね。あれは最高ですね。我々庶民にはあの手の話はちょうど身丈に合いますかね。
Q3. コメントする
■ 老大国 (オリンピック先進国) 日本は『ブロンズ・コレクター』が似合う。

西欧『先進国』のお遊びでスタートしたオリンピックが、アジアで初めて開催されたのは1964年の東京大会。日本はこのオリンピックを契機に経済発展を遂げ、国際社会の仲間入りし、そして『世界の一流国の仲間入りをした、という自信』を持った。アジアでは1988年の韓国・ソウルが続く。韓国も日本同様、オリンピック開催で国際社会の仲間入りを果たした、として大きな自信を持った。そして2008年には中国での北京大会。中国も国際社会の仲間入りを果たし、途轍もない程の大きな自信を持つに至った。

オリンピックは開発途上国で開催されると、ナショナリズムが沸騰する。アジアだけを見ての話だが、老大国日本はこのところ、金メダルで中国と韓国に大負けしている。中大国韓国は金メダルの数に、それほど大騒ぎしなくなってきた。新大国中国は金メダル数では日本や韓国には絶対に負けないと、国を挙げて大騒ぎしている。八百長まがいのプレーをしてまで、金にこだわる。スポーツマンシップよりも金メダルが大事な新大国。その点、さすがは真面目な老大国、日本!!

この国・日本は今回、金メダルが10いくつとか言われていたが、今のところ、調子は上がっていなく、現時点で2個止り。しかしメダル数自体は結構取っている。銅メダルが多く、『ブロンズ・コレクター』ですね。老大国日本には、これが似合っていると言えば、ナショナリストに叱られるでしょうか。日本以上の老大国(正真正銘の老大国)イギリスは、開催国なのに、射撃とか自転車なんていう、日本人にはイマイチ人気のない種目いくつか金メダルを取ったぐらいですね。老大国日本は中大国とか新大国とナショナリズムで対抗してはいけない。国民レベルの不毛な対立をより硬直化させる恐れもある。

もう1回言いましょう。老大国日本は『ブロンズ・コレクター』が似合う。『これで~良いのだ~』
Q4. コメントする
■ 老大国の一つ、ドイツは、各地域・市・町にスポーツクラブがあって、市民が勝手に参加して、『その結果』として、かなりの金メダルを獲得している。だから、かなり年取った選手がメダルを獲得している。うんと若い時から国がピックアップして、15~16で金メダル、というような『新大国』とはまるで違う。オリンピックの主催は国ではなくて、都市です。中国なんか、100%国が主催、韓国も多分そう。日本だって、東京がまた立候補するけど、結局、国がカネを出す。日本は東京以外はみんなイナカ?ってことですかね。ドイツのシステムは中国なんかとかは、まるで違って、文字通り、対極的な国です。日本も老大国大国である自覚をもって老大国に学び、老大国らしく穏やかに取り組めばよいでしょう。

もうすぐ甲子園の高校野球全国大会が始まるけが、日本の高校野球がこれほど盛んでなければ、日本のメダルはもっと増えているハズだとも思う。体力・運動神経の優れた少年は、ほとんどは野球に独占されている。スポーツの多様化も進み、参加者数の輪も広がるといいですね。スポーツ
日本のスポーツ界にはびこる「上下関係」や「精神論」や「かけもち不可」や「国のため」といった体質がスポーツを楽しめなくしている。改善されていくといいですね。
 
 
渡辺敦美
日経トレンディ編集長
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
単純に選手たちを応援しています。選手の一生懸命さ、ひたむきさ、ドラマに感動します。
また、メジャーだけでなくマイナースポーツについても情報があれば、見る。
選手とは別に、スポンサー企業の商品展開やCM展開の手法なども少し気になってみています。
Q3. コメントする
選手が練習をするのに莫大な費用がかかる、というのはメジャー、マイナー問わず、
さけるべきで、若いころからの育成のために有効な予算を取る必要はあると思います。
Q4. コメントする
スポンサード手法が商業主義だといわれるが、企業側もPR活動はかぎられ、
なかには育成のために助成する企業もある。
商品や企業イメージアップだけでなく、そういった長い、地味な活動をする企業を
もっとクローズアップしたほうがいい。
運営に資金は必要なわけで、そういう部分と選手のアマチュアリズムの部分を
分けて考えられないだろうか。
 
 
武貞秀士
拓殖大学大学院特任教授
Q2. 「2 - まあまあ興味を持って見ている」の回答理由
自分のマンションにはテレビを置いていないので、大学の共用施設でお茶を飲みながら一日1時間程度、五輪競技中継を見るだけで、五輪競技を細かく掌握しているわけではない。高校時代、体育会のサッカー部に所属したことがあり、スポーツには関心があって、サーカーの中継だけは夜中でも見る。中継画面で選手がシュートを打つときには、無意識のうちに右足を上げている自分に気付いたりする。五輪に関心はあるのだが、仕事関連の文献を集め、読み、論文を書くという仕事柄、1日に何時間もテレビを見る時間がないのは残念だ。この30年、五輪のたびに「それガンバレ」とブラウン管の前で叫んだこともない。
 五輪の中継を見るときは、「世界にはどのような国があるのか」「それぞれどんな国旗を持っているか」「どこのチームの選手が試合前、自国の国歌を口ずさんでいるか」「金メダルの表彰を受けるときや、審判の判定に不服の気持ちを表すとき、思わず出てしまう国民性」「韓国と朝鮮民主主義人民共和国の対戦のときは、双方はどんな表情をしているか」など、無意識のうちに国際政治、比較文化論、地理の勉強をしまう。
 最近の話で面白かったのは、ロンドン五輪出場を逸した中国の女子バレーボールチームの監督が五輪参加国決定戦で負けたとき、「中国の選手たちは、何週間も肉を食べていないので、試合の後半はスタミナ切れとなって逆転負けが続いた」と言った話だ。中国では違法薬物入りの飼料で育った家畜の肉を知らずに食べた選手がドーピング検査で「陽性」になるケースが増えたので、国家代表クラスの選手たちは、40日間「肉なしの生活」をしているという。「痩肉精」は飼料に混ぜると肉の赤身が増すが、筋肉増強剤と成分は同じらしい。それを違法に混ぜて売る悪徳業者が絶えないから、スポーツ選手ら個人が注意していても限界がある。ドーピング検査のことを考えて選手たちは肉を食べなかったという説明だ。ならば中国で怪しげな赤い肉を食べている中国人、中国在住の外国人、外国人観光客の健康はいったいどうなるのだろうか。五輪関連の記事のなかにも、食の安全をどう考えるかというヒントがある。
Q3. コメントする
 「メダル獲得は二の次だ」「参加することに意義がある」という主張には賛成しない。それなら税金を使って選手強化をする必要はない。今回、日程の前半なぜ金メダルの数が少なかったか。
 第一に、柔道競技の中継画面を見ていると、日本の選手は緊張しすぎている。「緊張していて何がなんだかわからないまま試合が終わってしまった」という感想を述べた選手もいた。これはコーチの責任だろう。韓国、スペインなどの柔道選手を見ていると、コーチが試合前から、肩を抱きかかえて、スキンシップをして、リラックスを心がけている。日本の柔道競技の場合、「金メダル取りではなく、銅メダルへの挑戦などというみじめなことになったのは、残念だ」といった雰囲気でコーチが選手を冷やかに見ている。コーチ、選手の両方に悲壮感が漂っている。これでは、若い選手は萎縮してしまい、気の毒だ。世界の頂点をめざすスポーツの祭典であるのだから、勝負師、粘り強い選手、精神力が強い選手を優先して選抜すべきだ。「真面目だけれど、精神力がいまひとつ」という選手は、このような国際舞台に弱い。
 第二に、五輪開催の前に選手のインタビューや、金メダル確実であることの秘訣などをテレビの特集番組で延々と放映していた。この放送番組の準備をし、台本の説明をしながら、撮影に際しては膨大な時間を費やしているだろう。選手たちはその取材に応じながら、長い時間を練習以外のことに費やしていなかったか。練習時間が少なくなり、選手は自分のペースを乱してしまったのではないか。学者でも、テレビのコメントにしばしば出ていると、読書時間、執筆時間が失われてゆく。「金正恩第一書記の隣に総参謀長が立ったことの意味」について、報道番組で20秒間の自分のコメントを流すのに、1時間の収録時間が必要だったといった経験を思い出す。テレビで騒ぎすぎると、スポーツ選手、学者は仕事のペースが乱れてしまうのではないか。学者が話をするときの説得力は、こなしてきた読書量で決まる。スポーツ選手の成績は、練習量で決まる。選手の練習時間を維持するために、テレビで騒ぎすぎないことだ。
Q4. コメントする
 五輪の開会式、閉会式がエンターテイメント化していること、商業主義が蔓延していることを批判することは簡単だ。しかし、本来のアマチュアリズムの時代に戻ることはない。銅メダルより金メダルのほうが良いと誰しも思う。負けるよりも勝つ方がいい。メダルを取るために皆が全力を尽くしている。開会式は地味であるより、派手であるほうが楽しいし、開会式の出来栄えは、主催国のメンツに関わる。開会式が派手になるのをやめることはできない。各国が国家の名誉をかけて選手を育成して、予算を使い、多額のカネが投入され、五輪本番を迎えるという流れは,これからも変えることはできないだろう。多くの選手強化費用を使う国家が多くのメダルをとることになるのも仕方ない。
 しかし、日本が金メダル獲得数でトップレベルの国家に並ぶために、選手強化費用を大幅増額する必要はない。五輪の度に惨めな思いをすることになるが、五輪のほかに、日本にば国家予算を使うべき分野がたくさんある。科学の振興、安全な生活を確保するために、国土の改修を実施し、教育のための投資などたくさんの課題があり、そちらのほうに予算をとられる。地震、津波、台風による災害、急速な老齢化、資源輸入に頼る産業構造などに対処してゆかなければならない。他の国家よりも災害が多いのが日本だ。スポーツ分野を偏重することはできない。
 ただ、今回は選手強化費用の使い方について再吟味することは可能だろう。いまの強化費の使い方で良いのかどうか。期待にそぐわない結果に終わった種目に関して、代表選考が適切であったかどうか。選手は最高の状態で競技に臨めたのか。競技中、選手の能力を引き出すためにコーチらの助言が適切であったのかどうかの検証をする必要はあるだろう。
 バトミントン競技で、次の組み合わせを有利にするために、わざと負けるという試合をして失格になった選手たちのことが話題になっている。五輪の精神、観客の期待などを裏切る話で失格は当然だ。問題となった試合を見るために高価な入場券を買った人、休暇をとり飛行機に乗って競技会場に行き、たまたまその試合だけを観戦したバトミントン競技のファンは失望しただろう。将来、バトミントン選手になりたいと思っている子供たちもその試合を見ていただろう。同じように女子サッカー競技で「次の試合はこの会場で競技したいので、引き分けになるように指示した」という話があった。メダルをとるために恣意的な試合運びをするということはどの競技にもあるだろうが、それは人前で語ることではない。「映像で見ると、どうもそのような意図があったようだ」と観客が思えばよいのである。
 
 
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3. あまり興味を持って見ていない

浜辺陽一郎
青山学院大学大学院法務研究科(法科大学院) 教授,弁護士
Q2. 「3 - あまり興味を持って見ていない」の回答理由
他のいろいろなことで時間が割かれてしまっています。
自分や、自分の周囲の人々が取り組んでいる他の課題がたくさんあって、それに時間がとられてしまっているので、自分とあまり縁遠い人たちの活躍については、それほど熱中するほどではない。

ただ、個別の人間ドラマであるとか、日本がどれだけメダルを取るかとか、一般的な関心として結果がどうなっているといった程度のお付き合いはするといった形での見方になる。
Q3. コメントする
結果が伴わないのは、スポーツだけではない。個々人はみんながんばっているし、成果を出している人も多いとは思うが、全体としての傾向、方向性として、衰退しつつあるのではないかという危惧感を抱かざるを得ない現状にある。

もはや産業競争力も、経済も政治も、寿命も、それから私が関わっている将来の法律家を育成するための法科大学院や法学部も、ありとあらゆる日本の現状は、人が減り、力が弱まって、全体として日本の国力が衰退している状況にあるのであって、日本のオリンピックもその例外ではないと思う。

もちろん、個別的にはダルビッシュのように天才的な人たちは、様々な業界に、たくさんいる。法律の世界にも天才はいる。新しい有望な人たちはいる。つまり、個人レベルでは素晴らしい人はたくさんいるので、明るいところの光を当てて、前向きに評価することもできる。また、たとえ成果が思わしくないにしても、良い時もあれば悪い時もあるのであって、決して悲観的に見る必要ないかもしれない、。たまたま銅メダルに集中してしまうのも時の運ということがあるだろう。次回は挽回すると信じたい。

しかし、マクロ的な目で見ると、日本ではあらゆる領域の人材の「すそ野」が細っている。つまり、中間層が没落し、底辺の人たちが増えており、日本全体としては、決して「少数精鋭」にはなっておらず、人数が減る分だけ、全体としての力、エネルギーも減退しているのだ。だから、別にオリンピックに出場するようなスポーツ振興がどうのこうのいっても、それはスポーツだけではなくて、日本全体がそういう状況なのだ。

しかも、その資源(お金)を、誰が、どこまで振り向けることができるのかという問題がある。日本の経済力は、残念ながら、それほど余裕はなくなっているのである。

とすると、有効な強化策、施策も、小手先のことではもう済まない深刻な状況だと思う。根本的には、まずは人間を増やし、その人間の育成に力を入れて、全体のレベルアップを図る必要がある。そうすれば、スポーツの世界にもおのずとひとかどの人材が成果をあげるようになるだろう。全体としての力をどうやってアップさせるかということは、日本の国力をどのように強めるかという課題そのものでもあるのではないか。
Q4. コメントする
オリンピックそのものは、基本的に今まで通りでよいのではないか。選手たちはすばらしいし、感動的な話も伝わってくる。各人の頑張りが見えるオリンピックの姿は悪くない。「オリンピックは参加することに意義がある」という言い方もある。でも、金メダルをたくさん取るとか、成果を出すという観点からするならば、これは世界の中でゼロサムゲームをやっているのだから、現状のようなことでやむをえない。

ただ、そのルールに関しては、日本に不利な形に変えられるような場面があったのではないかといった問題があったようではある。そこで、そのルール作りがフェアになされるように、日本の人材が活躍するようにもならなければだめだろう。その意味では、スポーツだけやっていても強くなれない面があって、それをサポートする様々な専門領域の人材育成もまた不可欠だ。
 
 
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4. ほとんど興味を持っていない

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5. その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)

伊東乾
作曲家・指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
Q2. 「5 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
競技は生で見るほうが良い。
出先のため、物理的にオリンピックを見ることができない、というのが
過不足ないところだが、仮に在京でもそんなに首っ引きでは見ないと思う。

理由は、とりわけ一部「人気種目」について、代理店などが介在して、なのだろうか、
演出過剰が見えるのが好きではないから。

実際の競技場では、例えば体操など、並行して驚くような演技がたんたんと
披露されている。そういう本物のほうが、個人的には好きで、メディアを通すと
違うものになってしまう。

まあ、テレビ評の本欄に書くのも、何だけれど、正直そうですね^^;
Q3. コメントする
学術予算における「ノーベル賞」と同様のものを
オリンピック一部種目の「金メダル」に見て、私は個人的に好きではない。
メダルを取ることに血道をあげるとは一体なんなのか?

スポーツ振興の真の目的は、決してトップアスリートを育てること
だけにあるわけではない。
むしろ、高齢化社会を迎え、全国民の健康の振興など、スポーツの
あるべき形を多様に読み替えることが必要だし、
ビジネスセクションは、それを具体化するモデルを立て、きちんと
社会でまわして行くことを考えるべきだと思う。

安易な「金メダル」獲得話は、頭の足りない「ノーベル賞」目標学術と
似たようなもので、実はかなり恥ずかしいものだと知るべきだ。

大昔の話しだが、柔道で山下に金を譲ったエジプトの懐の深さを思い出すべきだろう。
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そもそも近代オリンピックが出来た19世紀末は、いまだ日露戦争以前で、
ロシアとか清朝とかオスマン帝国とか、まったく違う国際社会の力学の中で
クーベルタン男爵らのある種の政治のもとに作られたもので、この初期の
完成系はナチス・ドイツによるベルリンオリンピックにあり、それ以降北京、
ロンドンにいたるまで、本質的にはその縮小再生産でしかない。これは
いくつもオリンピックスタジアムを手がけてきた建築の磯崎新が、財務など
背景を示しつつ強調していた。内容はベルリンオリンピックを凌駕せず、
ただしサマランチ体制あたりで商業化がやたらと進み、利権イベント化
した「スポーツの祭典」とは一体何か?

21世紀の国際社会におけるオリンピックの存在意義を、途上国その他
グローバルな複数の視点から考え直す必要があるだろう。個人的には
焼け野原の東京に新幹線や首都高を齎した64年の東京オリンピックのような
事が、バクダッドやカブール、カイロやチュニスなどで起きればよいと
思っている。東京にもういちどオリンピックを、と本気で考えるのなら、
もっと踏み込んで考えることはあるが、紙幅もないので別の機会に譲る。
 
 
土居丈朗
慶應義塾大学経済学部教授
Q2. 「5 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
ひとりのスポーツを楽しむ者として、自らの生活が犠牲にならない範囲で見ている。時差の都合上、真剣に見ると睡眠不足になるだろうが、そこまではしていない。

日本代表選手の活躍は喜ばしいことだが、仮にメダルが取れなくとも、見ごたえのある試合である方が楽しめる。場合によっては、日本代表選手がいない試合でも、試合内容としてレベルの高いものであれば、その方が楽しめる。
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メダルは結果論。選手は自らを高めるために頑張り、観戦者はスポーツを楽しむという気持ちで観戦すればよい。メダルが取れなかったからスポーツ振興は失敗だったと見るべきではない。スポーツ振興は、選手の強化だけではなく、観戦者(その競技はせず見るだけの人)を増やしたりその目を肥やしたりすることも含まれるべきだろう。

確かに、スポーツ振興のために税金を財源とした財政支出が投じられているが、スポーツ振興は文化振興と同様に、(目的は違えど)支出の意義は「結果」だけに求めるものでないことは明白。

ただ、スポーツ振興のために投じられている税金は、納税者たる国民の理解がなくては持続できない。スポーツ振興にかかわる者が、どのように納税者に説明責任を果たすかは、引き続き問われる。それは、(私は「結果」だけがすべてではないとは思うが)「結果」を求める納税者が大多数だとすれば、「結果」が伴わないと早晩スポーツ振興のための税金の投入には理解が得られなくなる恐れがあろう。
Q4. コメントを控える
 
 
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