フジテレビパラスポーツ応援サイト
フジテレビパラスポーツ応援サイト
1990年9月11日生まれ。滋賀県栗東市出身。東京ガス所属。
筑波大学付属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)―日大-日大大学院文学研究科教育学修士修了。
障がいは先天性疾患による視覚障がい(全盲)。競技のクラス分けはS11。
視覚障がい者の水泳は真っすぐ泳ぐこと自体が非常に難しい競技。木村選手は増殖性硝子体網膜症のため2歳で全盲になっており、人が泳いでいる姿、フォームを見た記憶がないという。
幼少時から体を動かすことが大好きで、小4の時に水泳を始める。
中学から上京し、筑波大学付属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)へ進学。パラ6大会で合計21個のメダルを獲得した日本パラ水泳の“神様”河合純一氏(現・日本障がい者水泳連盟会長)と合宿で一緒に泳ぎ、世界のスピードに驚がく。
研鑽を積んで08年北京に日本選手団最年少の高3、17歳出場。開会式旗手を務めた12年ロンドンで初めてメダルを獲得。100m平泳ぎで銀、同バタフライで銅という成績を残した。
2015年世界選手権では、100平泳ぎ、バタフライで2冠。50m自由形で銀メダルに輝き、日本のパラ界を代表する選手として世界に知られている。
リオに向けてはパワーアップを目指し、1日5食、4500キロカロリー摂取に加え、ウエートトレーニングの比重を増やして肉体改造。コースロープにぶつかったとしても失速を最小限に防ぐパワーを身につけ、日本のエースとして4日連続で4個のメダル(50m自由形銀、100m平泳ぎ銅、100mバタフライ銀、100m自由形銅)を獲得するという快挙を成し遂げた。
2020年東京では、パラリンピックではまだ獲得したことがない金メダルを目指す。
1983年9月10日福岡県生まれ。33歳。リーフラス株式会社所属。
福岡県八女市出身、埼玉県所沢市在住。
14歳の時に右目に黄斑変性症を発症、その後19歳の時に左目にも発症して視野の中心部にモザイクがかかったような状態の視覚障がいとなる。ピアノが趣味で、好きな曲はドビッシーの「月の光」。
障がいが進んで自宅へ引きこもりがちになった時、母からの叱咤激励で一念発起し、ゴールボールと出合う。
ゴールボールで08年北京から3大会連続出場。
2012年ロンドンでは団体競技では日本初となる金メダルを獲得した。
2016年リオでは準々決勝でライバル・中国に敗れて5位も、日本代表ではチーム最多の6得点を挙げたエース。
視覚障がい選手が参加するゴールボールは、パラリンピックならではの競技。
視覚からの情報を断つ「アイシェード」を着用して試合に臨むため、全盲、弱視の選手も平等な条件で臨む。
ボールが相手の投球から自軍ゴールに到達するまでのわずか1秒以内に、内蔵された鈴の音を聴き分けてボールが来る方向を察知。身を挺してゴールを守るという判断力、瞬発力、そして読みも重要となるスポーツだ。
安達選手は始めた当初「簡単に出来る」と思っていたが、いざやってみると自分がいる位置すら分からず、不安に駆られたという。練習の末に、聴覚を中心とした研ぎ澄まされた感覚「サーチ」を身につけ、まるで見えているかのような俊敏な動きで日本のエースに。2020年東京では2大会ぶりの金メダルが期待されている。
廣瀬悠選手 1979年7月17日生まれ37歳。愛媛県出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。
廣瀬順子選手 1990年 10月12日生まれ26歳。山口県出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。
リオパラリンピックに夫婦揃って柔道日本代表として出場。妻順子選手はパラリンピック女子柔道界にとって初のメダルとなる銅メダルを見事獲得。「夫でもありコーチでもある悠選手が練習に付き合ってくれ、ひとりでは逃げ出してしまいそうな練習も二人だから乗り越えられた。夫が指導してくれて獲得したメダルでもあるので、凄く感謝している」と語る。そんな、まさにご夫婦で勝ち取ったメダル獲得までの道のりや私生活、リオの舞台裏、そして2020東京に向けたご夫婦の目標など満載でお届けします。
1984年8月31日生まれ32歳。千葉県君津市出身/在住。
市原ボッチャクラブ、Noble Wings所属。社会福祉法人アルムの森 ペーターの丘勤務。
チームJAPANボッチャのエース廣瀬隆喜選手。先天性の脳性麻痺。子供のころからスポーツは大好きで、中学3年間は射撃のビームライフル、高校時代は陸上競技に打ち込み、卒業間近の高校3年生の夏から本格的にボッチャをはじめる。「世界を舞台に戦いたい!」と、身体の障がいによる緊張があっても、高いパフォーマンスを発揮できるのがボッチャの魅力と語る廣瀬選手。
2003年、日本チャンピオンを決める国内最高峰大会である「日本ボッチャ選手権大会」では、初出場ながら3位入賞。2006年には初優勝を果たし、同大会ではBC2クラスで史上最多の6度の優勝を誇る。
2008年北京パラリンピック、2012年ロンドンパラリンピックに出場。3大会連続出場となるリオパラリンピックでは、団体で悲願の銀メダルを獲得した。リオでは電動車いすを、赤のフレームと白のホイールの”日の丸カラー”にし、ハンドルは”金色”にした<リオ仕様>に装飾。メダルに賭ける想いが伝わるエピソードを残した。
リオから帰国後、廣瀬選手が在住する君津市から「君津市の名を高めるなどの顕著な功績を残した」として、同市では初となる「市民栄誉賞」が贈られた。
ボッチャの魅力を一人でも多くの人に知ってもらうために戦いを挑み続ける廣瀬選手。2020年東京へ向けて新たな戦いがはじまる。
1947年12月8日生まれ68歳。広島県山県郡出身。兵庫県明石市在住。
総合リハビリテーションセンター体育指導課所属。兵庫県立障害者スポーツ交流館勤務。
パラスポーツ界のリビングレジェンド、別所キミヱ選手。
「マダムバタフライ」の愛称で親しまれるド派手キャラだが、40歳の時に夫がくも膜下出血で他界。
その3年後、自身も骨に腫瘍が出来る「仙骨巨細胞腫」という難病に罹患。生死をさまよい、数度の大手術で一命を取り留めるが、車いす生活を余儀なくされた。
障がいを背負う以前は、バレーボールやソフトボールなどのスポーツを得意とし、卓球との出会いは、喫茶店のポスターで「パラ卓球」の存在を知り、46歳で始める。
68歳となった現在も、バランスボールに乗り、自動車運転時は太ももにゴムを巻いて内転筋を鍛えなど、日常生活の隙間すべてにトレーニングを入れ込むパワフルウーマン。実生活では男女2人の孫のおばあ様。
リオパラリンピックでは、2008年北京パラリンピック以来、3大会連続準々決勝進出。
2016年3月のジャパンオープンでは、車いすの部で貫録の5連覇。現在世界ランキング7位。(※1)
(※1)2016年10/1現在
1977年1月19日生まれ39歳。山口県下関市出身。福岡県太宰府市在住。
三井住友海上火災保険所属。
日本盲人マラソン協会(JBMA)/大濠公園ブラインドランナーズ倶楽部(OBRC)。
日本人約3万人に1人が発症する難病、膠様滴状(こうようてきじょう)角膜ジストロフィー」で、13歳の時に右目を完全に失明。25歳の時に左眼も発症し、26歳で左の視力もほぼ失ってしまう。人生に絶望を感じる中、ダイエットのつもりで始めたランニングであったが、風を切って走る爽快感に感激、その魅力に徐々にはまっていきマラソン大会に出場するようになる。
2013年防府読売マラソンでは日本新記録を更新、2014年の同大会では当時の世界記録を塗り替えた。女子の盲人マラソンは競技人口が少なくいままでパラリンピックの正式競技になっていなかったが、今回のリオ大会から正式種目に採用され、見事銀メダルに輝く。
1980年5月4日山梨県生まれ 36歳 SMBC日興証券(株)所属。
日本初の義足走り高跳び選手として、2000年シドニーパラリンピックに出場し、以降アテネ、北京、ロンドンと4大会連続入賞。クラスT44のアジア記録、日本記録を樹立、5大会連続の出場となるリオパラリンピックで、悲願のメダル獲得を目指します。
1977年4月26日生まれ 奈良県出身 39歳
株式会社乃村工藝社 所属
3年前に車椅子陸上からパワーリフティングに転向し、2015年、2016年の全日本パラ・パワーリフティング選手権大会で優勝、
リオパラリンピック日本代表候補選手。
現在54kg級で135kgの日本記録保持者。
1978年1月23日北海道函館市生まれ 38歳
北海道ビッグディッパーズ所属
アディダス・ジャパンに勤務するパラアスリート。
2012年、日本代表としてロンドンパラリンピックに出場し、メダルまであと一歩となる過去最高4位を獲得する。ロンドンでの雪辱を果たすべく、リオでの金メダルを狙う車椅子のサムライ。
1991年4月12日生まれ 25歳 兵庫県出身
株式会社NTTドコモ所属
13歳中学1年で史上最年少で臨んだアテネ大会以降、4大会連続でパラリンピック出場を決めた水泳パラリンピアン。
「過去3回のパラリンピックを経験して、今は一番メダルに近い位置にいる」と語る弱冠25歳が、社会人として初めて迎える今年のリオで世界の頂点を狙う。
エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社所属。
埼玉県出身、現在23歳。中学生の時に骨肉腫で左下腿を切断。高校で本格的に陸上を始めると、才能を一気に開花させ20歳でロンドンパラリンピックに出場。
仁川アジアパラ競技大会では日本選手団の旗手を務めた。2015年に開催されたIPC陸上競技世界選手権大会では、幅跳びで銅メダルを獲得。現在100m(T44)の日本記録を持つ。
「東京パラリンピックの時は28歳。陸上選手としてはピークを迎えている。だから20代のあいだは、好きな事を好きなだけやろう!」と陸上もプライベートも全力投球で前進する、彼女のポジティブライフに迫ります!