フジテレビパラスポーツ応援サイト
フジテレビパラスポーツ応援サイト
vol.7
文=田中ウルヴェ京
2016年11月24日
2016年11月16日 (水) 開催
PARA☆DO!サポーターで、トークMCの
田中ウルヴェ 京さんによる対談後記をお届けします。
「元気の源」は何か? トークは楽しく進む中にも、別所選手の「想い」が熱く感じられた。
リオパラリンピック車椅子卓球の別所キミヱ選手。いまや、知らない人はいないのではないかという有名人でおられます。そのお姿に特徴があり、対談の日も、お顔のメイクだけでなく、39個(サンキューの意味が込められています)のバタフライを髪全体に散りばめ、360度どこから見ても色鮮やかなご登場でした。別所選手が注目を集める理由は、その外見だけではありません。68歳というご年齢を「イキイキと大切に生きることに決めておられる」内面からの輝きが、外の輝きを通して、周囲に元気を与えてくださるようです。
私は、ここであえて、「68歳というご年齢に反して」とは書きませんでした。そもそも私たちは、誰でも年齢を重ねるわけですが、その重ね方、その質感が、その方の「今の存在」を作ります。だからこそ、よくありがちな、「68歳なのに」とか「ご主人さまを亡くされたご経験があるのに」とか「キミヱさんご自身が車椅子生活になったのも、ご病気になられたからなのに」というような「くくり」で、「それなのに元気で色鮮やかなキミヱさん」というカテゴライズをしたくありませんでした。そんな表層的な表現では、キミヱさんの人生経験から、何も学ばせていただけないと思ったからです。
魔球「エアB」を実際に披露。ボールをプレゼントする気風の良さも人気の秘密!
結局、今回の対談で、私は、何か具体的なことで簡単にわかったことなど、そんなおこがましいことはありませんでした。でも、一つわかった気になったことは、「キミヱさんは、ご自身の命は、ご自身のものだけではないことをいつもお感じになっているからこそ、ご自分の感情を大事に、目の前のことに対しての好奇心に正直に、ただただ生きておられる」という、その「存在」でした。でもそんなキミヱさんも、今は、あまりに有名になられてしまって、ご本人とは違う「別所キミヱ選手」という「役割」があるようで、そのことに「対応しよう」というお気遣いも幾度か感じられました。そのご様子こそ、「与えられた命。幾度の大手術で頂いた大量の輸血量。輸血に協力してくださった方々の人生」という想いがお強いからなのだろうか、と想いを馳せてみました。
今回のトークでは別所選手から沢山を学び、元気をもらいました!
対談中、私は実の母を思い出しました。ただただ素直に、「今日の自分は何をしようかな?」という「好奇心」で溢れているキミヱさんの目や、横に座らせていただいて感じていた「温かく柔らかい香り」は、母のそれに似ていました。ああ、好奇心を持って生き続けておられる人生の先輩の背中を見ることは、元気が出るものだ、と。であれば、自分自身の背中からも、その様子が表れる女性でいたいものだと思いました。背伸びしなくていい、頑張らなくていい、ただただ、好奇心を持って、自分のできることをやる。元気を頂きました。ありがとうございました。