フジテレビバスケットボール

第1回 千葉ジェッツ 島田慎二代表

持ち味である決断から行動の早さに加え、絶妙なタイミングが、関東アーリーカップ開催実現の要因

Bリーグ常勤理事、副理事長候補者となる決断とタイミングも絶妙だった島田代表

アメリカの歌手ジミー・ジョーンズが1960年に発表した『Good Timin’』を、
坂本九がカバーして歌った詞の中に、「この世で一番かんじんなのはステキな
タイミング」というのがある。今シーズンのBリーグで大きな飛躍を遂げた
千葉ジェッツの島田慎二代表は、強烈なリーダーシップ、決断と行動の早さで成功を手にしてきた。
それはジェッツを破綻寸前から再生させるなど、彼の半生を振り返ればすぐに
理解できるだろうし、そのタイミングも絶妙だった。

船橋アリーナへの1本の電話は絶好のタイミングだった

Bリーグの2017-18シーズン開幕を前に、プレシーズン・トーナメントとして
開催が決まった『アーリーカップ』も、アイディアの提案を受けた島田が短時間で
決断したことにより、プランは一気に進んだ。アーリーカップの意義について質問とすると、島田はこう答える。
「意義の一番は新しいことにチャレンジすると言いますか、
野球でもオープン戦のようなこれから始まりますというような雰囲気を助成する
ようなものっていうのが、各チームの練習試合からしかなかったわけです。
その中で、このような明確にできて毎年行われるというのは、開幕前の一つのイベントとして、
ファンが楽しめるような場ができたというのが一番の意義だと思います」

アーリーカップの開催に向けて即行動に移せたとしても、会場の確保については、
決して簡単にできるものでない。しかし、島田は記念の第1回を地元で開催したいという気持から、
ミーティングの途中で船橋アリーナに電話をかけた。
「なんでも第1号でやりたいほうなので、
関東6チームでやりましょうという話が出た時にうちが一番に声をかけて、
その場で船橋アリーナに電話をかけて、体育館が空いているかどうかを確認して、
説明会をしている中で電話をして、そのまま予約してしまったという、
相変わらずジェッツらしいスピード感で取れちゃったので、うちでやってくださいという感じだった」

こう振り返った島田の決断から行動への早さに加え、絶妙なタイミングで船橋アリーナを
押さえられたことで、関東アーリーカップの開催は一気に決まったのである。
また、2017年は船橋市にとって市制80周年を迎えているというタイミングも、
第1回大会の誘致における最高のアシストとなった。

レギュラーシーズンで44勝16敗の好成績でチャンピオンシップに進出したジェッツは、
クォーターファイナルで、東地区のライバルである栃木ブレックスと対戦。
しかし、アウェイで2連敗を喫し、オールジャパンとの二冠達成は実現できなかった。
今シーズン終了にあたって挨拶で島田は、「更なる成長のために打つべき手は明確にわかっています
ので改善してみせます」とコメント。来シーズンのB1制覇への第一歩を踏み出す意味で、
一発勝負の関東アーリーカップはジェッツが進むべき方向性を再確認する絶好の機会と言える。

来シーズン全体に目を向けると、プレシーズンのアーリーカップとチャンピオンシップのファイナルが
同じ一発勝負というのは、60試合という長いレギュラーシーズンが軽視されているという見方をしたくなる。
しかし、会場の確保といったクリアしなければならない課題が多いことからすれば、
以前NBLが行っていた5戦3勝のファイナルでなく、一発勝負での決着もやむを得ないという考えを島田は持つ。

「5戦3勝で本当の実力がわかるという部分と、一発勝負であるとテレビが放映できるといった、
どちらがいいかという判断は難しいです。けど、クォーターファイナルとセミファイナルで2試合ずつやって、
そこを勝ち進んできている。優勝するために2つ勝って、もしくは1勝1敗でまた最後延長
(5分ハーフのタイブレーク)で勝ってというのを2回くぐり抜けて決勝に行くというのは、
決勝で勝つよりもこの2つを抜けることが大変だと思っています。だから、そこまでで十分篩(ふるい)
にかかっていて、実力を図るろ過はされているのではないかという意味で、私はありだと思います」

真の強さがわかる5戦シリーズのファイナルを開催するためには、やはり本物のアリーナでホームゲームを
全試合開催できる環境が必要だ。それが現実となるまでには、長い時間を必要とするだろう。
しかし、島田が決断から一気に行動に移したとき、絶妙なタイミングで新アリーナの建設なんていう話が
出てきたとしても驚かない…。

島田代表がSNSの力を最大限生かした結果、5月3日の秋田戦で7327人の観客が集結

島田慎二

1970年11月15日生

(46歳)

1993年株式会社エイチ・アイ・エス入社

1995年株式会社ウェストシップ代表取締役社長

2001年株式会社ハルインターナショナル代表取締役社長

2012年株式会社千葉ジェッツふなばし(旧株式会社ASPE)代表取締役

2015年公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事(現任)