2015年07月04日 新・週刊フジテレビ批評で放送
社会・公共

少年Aによる『絶歌』出版とテレビ報道

1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32歳・事件当時14歳))が
「元少年A」の名前で書いた手記「絶歌」(太田出版)が6月10日に刊行されました。
さらに、太田出版は17日、初版の10万部に加えて、5万部の増刷を決めました。

 加害男性も出版社も、被害者遺族に手記を出すことを知らさずに出版しました。
出版後、被害者遺族の土師守氏は、出版中止と回収を求める趣旨のコメントを
出しました。一方、太田出版の岡聡社長は「加害者の考えをさらけ出すことには
深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え、最終的に出版に
踏み切りました」などと説明しています。
http://www.ohtabooks.com/press/2015/06/17104800.html

岡社長によると、加害男性は印税を遺族への賠償金に充てたいと話していると
しています。しかし、一方で、遺族が受け取らない場合も考えられます。

アメリカでは、犯罪者の著作出版などの収益を被害者や遺族が得やすいようにする
「サムの息子法」といった制度が1977年から法制化されていますが、日本では、
まだそういった取り組みは進んでいない状況にあります。

この出版は世間の大きな注目を集めると同時に、メディアもこの問題を取り上げ、
様々な議論を呼んでいます。加害男性が「元少年A」という匿名で出版したことに
対しても賛否の声があります。また、販売する書店や図書館などでの対応が
分かれています。

「表現の自由」や「出版の自由」、「知る権利」は守られなくてはならないという
前提がある一方で、重大事件を起こした元少年の更生、遺族への配慮、犯罪内容の
商業利用の是非など様々な議論を呼んでいる今回の出版をどう捉えればよいか、
それを伝えるテレビ報道はどうあるべきか、コンパス・オピニオンリーダーの
皆様からのご意見をいただきますようお願い申し上げます。

オピニオンリーダーへの問いかけ

※コンパスで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
Q1:元少年Aによる手記「絶歌」出版をどう捉えますか?
Q2:問1の回答理由をお聞かせください。
(コメント欄-文字数に制限はありません。)
Q3:今回の出版に関するテレビ報道についてご意見をお聞かせください。
(コメント欄-文字数に制限はありません。)
Q4:事件加害者による表現活動のあり方について、ご意見を
お聞かせください。
(コメント欄-文字数に制限はありません。)

オピニオンリーダーの回答

( 10件 )
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1. 社会的意義があると思う

中津孝司
大阪商業大学総合経営学部教授,国際問題評論家
Q2. 「1 - 社会的意義があると思う」の回答理由
出版の標的市場を一般社会に据えるとすれば一定の社会的意義はあるのではないか。
出版のターゲットマーケットによって刊行の趣旨は異なってくるが、一般には出版とは社会全体をターゲットに据えるだろう。とすれば、被害者家族の立場を無視している点は否定できないものの、社会的意義の観点からは一定の意味はあるのではないか。もちろん、被害者家族の怒りは頂点に達することは当然の帰結ではある。
Q3. 回答する
メディアの立場としては被害者家族に同情的な論調に傾くのは致し方ないか。
Q4. 回答する
一般論で恐縮だが、出版の自由は保障されるべきではないか。
 
 
砂川浩慶
立教大学社会学部メディア社会学科教授
Q2. 「1 - 社会的意義があると思う」の回答理由
社会的意義のあるなしでいえば、イエスだが、出版までの被害者遺族への配慮を考えれば問題が多い。
Q3. 回答する
背景や問題点の説明が必要であり、ストレートニュースで扱うには配慮が必要と感じた。
Q4. 回答する
加害者が表現する場合には、編集者等関係者による十分な検討が必要であり、その点で今回の出版は不十分であった。
 
 
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2. 社会的意義はないと思う

浜辺陽一郎
青山学院大学大学院法務研究科(法科大学院) 教授,弁護士
Q2. 「2 - 社会的意義はないと思う」の回答理由
元少年が表現したいと考えるのは仕方ないが、それを出版として取り上げる企業の倫理に問題がある。
元少年が表現したいと考えるのは仕方ないが、それを出版として取り上げる企業の倫理に問題がある。

著者の印税だけを「被害者への賠償金の支払いに充てる」とのことだが、必ずそうなる保証がないだけでなく、版元の利益が被害者に還元されることはないのだろう。そうすると、出版社は、この問題から収益を得ることになるわけで、遺族、被害者への賠償金をはるかに超える利益を出版社が得ることを狙った10万部という出版企画は問題がある。

加害者本人の表白は、たぶんに主観的なものであって、他者の視点を加えた客観的な分析をしたものとは異なる。もちろん、主観的な本人の供述は資料としての価値はあるので、それは資料として誰もが自由に閲覧できるようなものであればよく、お金を出して買うようなものではないだろう。
Q3. 回答する
テレビ報道等のおかげで、その書籍を読む必要がないことがわかるという点では評価できる。

たとえば、題名から、内容表現まで、かなりドラマティックで、文学的ぽく描いているとの報道(Mrサンデーなど)であるとか、10万部発行という典型的な「売らんかな目的」の出版であることが伝わっている。
もっとも、すべての売らんかながダメではないとしても、この事案に限っては、その内容といい、出版の経緯といい、一線を越えている。

なお、どんな出版でもペンネームでの出版もできるので、出版名義が仮名でも構わないが、これは事件となって、自ら社会に出てきている点から、プライバシーを放棄したものとして、報道側が実名を出すことも許容されることになるかもしれないが、それは控えているのは冷静な姿勢と評価できる。
Q4. 回答する
事件加害者の表現を出版企画として取り上げるかどうかは、企業側の問題である。

それに対して、事件加害者本人が、どういう表現をするかは別問題ではある。その加害者と被害者の関係もケースバイケースなので、一律に決めつけることはできないだろう。

たとえば、被害者側遺族からの希望に沿うものであれば、それが許容されるような事案もあるかもしれないが、今回の事件はその逆とのことである。

自己責任で、表現の自由を行使することは妨げられないだろうが、社会としては、それをお金儲けに結び付けるようなことにならないように注意していく必要がある。それは事件海外者本人の問題というよりも、出版・報道の側の問題であろう。
 
 
潮匡人
国際安全保障学者,拓殖大学客員教授
Q2. 「2 - 社会的意義はないと思う」の回答理由
どれほど饒舌に出版意義を語ろうと、定価のついた商品として売る以上、すべてむなしい。
著者印税が寄付されたとしても、版元には多額の売り上げが残る。
元書籍編集者としても意義を見出せない。
Q3. 回答する
猟奇的な事件を扱う以上、とくに朝(や夕方)の番組では、もう少し配慮がほしかった。
Q4. 回答する
本当に意義のある発信なら、定価のついた書籍出版以外の手段もあり得たはず。
今回の出版が前例として踏襲されることは、認めがたい。
憲法上の保護にも値しないと考える。
 
 
岩渕美克
日本大学法学部教授
Q2. 「2 - 社会的意義はないと思う」の回答理由
 出版物の評価は社会が決めるもの。出版前にいろいろと報道することで「付加価値」を付け加えるかのような手法は違和感がある。社会的興味の対象とはなっても社会的意義などはない。
 こうした犯罪者の出版に何らかの社会的な意義を持たせることが必要でしょうか。とりわけ少年法に守られたために社会復帰を果たした少年が、自ら犯した犯罪に関連する講演や出版、手記などにどのような意味があるのかは、あまり取り上げないことで図る必要があると思う。被害者の遺族や関係者にしてみれば、犯罪を犯した者が遺族の承諾無しに、社会の場で更生を図ることに対する憤りはあると思う。出版するにしてもしないにしても、大げさに報道することなく一般書物と同じ扱いをしてみれば、その出版そのものの意味が分かるかもしれないが、いちいち報道することで出版に「付加価値」を持たせることには違和感を覚える。犯罪者の事情や心理は、当人ではわからないのではないかと思う。
Q3. 回答する
 騒ぎすぎることで、出版の「付加価値」をつけることになることには疑問である。ニュースネタにはなるのであろうが、騒ぎすぎの印象は免れない。この一連の騒動で取材させられる遺族や関係者も迷惑なのではないだろうか。
Q4. 回答する
 加害者が何を表現するのかがわからない。贖罪の気持ちであれば、何も社会に対して情報発信する必要はない。加害者が、同じような犯罪者の犯罪を防止することも必ずしも必要ではない。刑を償った後であれば、再犯しないようにおとなしく社会生活を送るべきではないだろうか。
 
 
村沢義久
合同会社Xパワー代表/ 環境経営コンサルタント
Q2. 「2 - 社会的意義はないと思う」の回答理由
凶悪犯罪者の情報発信には制限があってしかるべきだ。

何よりも、被害者の方達の心情に配慮する必要がある。

何か手記を残すとしても、犯罪者の死後にするべきだ。
Q3. 回答する
今回の出版に対し、賛否両論の意見を報道したのだから、適切であったと思う。
Q4. 回答する
基本的に制限されるべきであり、印税などの収入があった場合には、全額被害者に還元されるべきである。
 
 
武貞秀士
拓殖大学大学院特任教授
Q2. 「2 - 社会的意義はないと思う」の回答理由
言論の自由をタテに、被害者家族の心の傷への気配りを忘れてはいけない。
出版することの社会的意義について、出版社側の説明はあまりにも抽象的だ。それに対して被害者家族の抗議の声は極めて具体的だ。わが子を失ったという心の傷の痛みがよみがえることが明白であり、被害者家族が回収を求めている。手記を出版することの代償が大きすぎるので、社会的意義はない。
Q3. 回答する
 言論・出版の自由のまえに、加害者と被害者家族の立場は対等であるかのような報道ぶりだ。被害者家族の苦しみ、その家族への思いやりという観点から報道すべきではないだろうか。
Q4. 回答する
 被害者家族の反対があるのに、加害者が手記を発表すること自体がおかしい。出版の自由をタテに出版する雰囲気さえ感じるが、被害者家族に同意を求めていないし、家族らが反対を明言しているのだから、出版は道徳に反する。
 凶悪犯罪の加害者に対して、日本社会は寛容すぎる。犯罪を犯したものに対して、日本は温かく見守り更生を支援したいという意見もある。しかし、命を落とした被害者の悔しさ、その被害者家族の苦しみに対する思いやり、気配りを、日本社会は失ってしまっている。
 
 
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3. その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)

常見陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師
Q2. 「3 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
「社会的意義を”なくしてしまった”」ように思う(だから、答としては、社会的意義はないと思うに近い)

出版関係者は「社会的意義」を強調するが、それがどのようなものなのか、なぜなのかが明確ではないのが問題。具体的にどんな意義なのか、説明できるのだろうか。今のところの発言は説明になっていない。

書籍を途中まで読んだが、そもそも元少年Aが書き下ろした可能性は低いと感じた(あくまで推測である)。あまりにも文章が、村上春樹崩れのような、ポエムのような、酒鬼薔薇聖斗ならこう書くだろうと想定したかのようなものになっており、それ風に誰かが書いたか、大幅にアレンジしたのかがわからない。

もちろん、著名人の本でもこの手のことはよくあることだが、逆にこの「嘘くささ」「盛っている感じ」であることも、社会的意義を失ってしまった理由だろう。

現状で言うならば、論調は出版してしまったことへの批判がほとんどだと認識している。みんなが平常心で読めないということもあるとは思うが、彼の声を受けて、議論は深まったり、新たな視点が生まれたりしているようには思えない。これも社会的意義を失ってしまった証拠だと言えないだろうか。
Q3. 回答を控える
テレビでの報道を見ていないのでコメントできない
新聞やネットに関しては、あくまでYESかNOかの二項対立になっていて、それもどうかと思う。
Q4. 回答する
言論の自由、表現の自由は守るべきであり、冤罪リスクや、本人からの直接の謝罪の声を聞きたいなどのニーズもあるので、守るべきだが、共有する範囲、発信方法については考慮するべきだろう。
 
 
倉田真由美
漫画家
Q2. 「3 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
今回の出版がなければ、我々日本人は「サムの息子法」などという言葉も知らず、
凶悪犯罪者が匿名で手記を出すということなど考えつきもしなかったはずである。
今回の「絶歌」は、著者が犯行時少年だったということ、事件が知らない人が
いないほど有名なものであったということ、この特殊な2点が揃ったため
可能になった、前代未聞の本である。

問題提起という意味では、社会的意義があったといえよう。
そしてほとんどの世論が「とんでもない」と嫌悪感を示すものであったことは、
少し安心できた(が、本自体は飛ぶように売れているが)。
これを機に、出版社やTVなどマスメディアは、なんらかの道徳的取り決めを
行う必要があるのではないだろうか。

法律では、刑期を務め上げた元犯罪者は縛れない。幸せになる権利も、裕福になる
権利も持っている。しかし、世の中には一生「幸せになった」と世間に喧伝する
ことを許されない元犯罪者はいる。
元少年Aのような、一片の同情の余地もない自分勝手な理由で人を殺した人間は、
死刑にはならなくても幸せになることを世間は許せない。まして、遺族にしたら
何度も心を殺されることになる。
罪の中には、一生日陰を歩くことを(少なくとも表面上は)世間に強いられ続け
る罪もある。本を出し、大きな収入を得るということは、日向道を大手を振って
歩くことに他ならない。
Q3. 回答する
概ね批判的な論調なのはよかったと思う。
ないとは思うが、間違っても元少年Aのインタビューなどを出さないでほしい。
Q4. 回答する
私が被害者や被害者遺族なら許せない。が、表現の自由もある。
出版するのであれば「実名を出す」「印税はすべて遺族に」という二点は必須条件だろう。
 
 
山口真由
元財務官僚
Q2. 「3 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
これを不快なものを見せられたことに対する単なる批判で終わらせてはいけないと思う
今回の出版とその後の賛否両論の噴出というのは、基本的には正しい方向だと思う。

今回の出版を不快に感じた方は多いだろう。この不快感というのは、加害男性による出版が、私たちが共有している「タブー」に触れたことに起因するように思う。つまり、犯すべからざる一線を加害男性が超えてしまったように感じられるのである。

そして、これを不快なものを見せられたことに対する単なる批判で終わらせてはいけないと思う。
加害男性が侵すべからざる一線を超えたならば、その一線がどこにあるのか、そこまで議論すべきだと
思うのである。
法律では許容されても、倫理的には許されない一線はどこか、私たちの社会は何をタブーと考えているか
について、真剣に向き合うきっかけとすべきではないか。
そして、その議論こそが、表現の「社会的意義」となる。

誤解されやすいところではあるが、「表現の自由」というのは、表現そのものに「社会的意義」を
求めるものではない。むしろ、それを求めないことにこそ、その本質がある。少年犯罪を考えるうえで
有益であれ、無益であれ、高尚であれ、低俗であれ、表現そのものの社会的な価値は、とりあえず置い
といて…ということである。

つまり、どんな表現でも区別せずに、その価値があるかを社会に問う、ときとして、社会にさざ波を
立てる自由である。そして、そのさざ波について議論を始めさせるところに、その意義があるのである。
それが、タブーへの挑戦を許す、表現の自由の本質につながると思う。
Q3. 回答する
上記において、「基本的には正しい方向だ」と述べたのは、一点だけ別の考慮が必要だからである。
そして、それが被害者遺族側の「忘れられる権利・心の平穏を乱されない権利」との関係である。

上記のとおり、表現の自由は議論されることをその本質的価値とする。
社会的に価値のない表現は、容易に反論され、議論の中で淘汰されるはずだからである。
しかし、「忘れられる権利」は、反論によって解決できるものではない。
むしろ、議論されないことに意義があるからである。
そういう意味では、「忘れられる権利」はプライバシー権に似ている。

この「忘れられる権利」について、どうやって法律的に構成するかは、
今後、さらなる議論が待たれる。
しかし、被害者の立場に立っているかのような論調でありながら、テレビが
大々的に取り上げるという矛盾は、見逃してはならないと思う。
Q4. 回答を控える
 
 
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