大奥
第10話 上様ご出陣!二度と鳴らない鈴・・・
倒幕の動きが強まった。急先鋒は長州藩である。幕府内では、将軍・家茂(葛山信吾)が陣頭に立って長州征伐を行うべきだという声が強い。実成院(野際陽子)は、家茂が病弱なことを理由に猛反対し、瀧山(浅野ゆう子)は、出陣は将軍の役目だと主張。二人の対立は更に深くなった。家茂は、自分の命は幕府に捧げると、出陣を決意していた。和宮(安達祐実)にはそれが切ない。西洋式の武器が使われた幕末でも、将軍の軍装だけは戦国時代の甲冑姿で、夏などは身につけるだけで命を削るものだった。
和宮が意外な行動に出た。実成院に代わって側室を選び、家茂の出発前の夜伽の役を申し付けたのだ。家茂は寝所に新しい側室がいるのに驚いたが、指一本触れなかった。和宮は家茂に、「上さんの死を覚悟したら、上さんに良く似た子供がいればと思うようになりましたのや。自分が産めないのなら、誰かの力を借りてでも」と言った。家茂は、「ばかなことを。そなただけが、私の妻だ。この世でも、後の世でも」と優しく言った。
それから家茂が出征するまで、家茂と和宮は毎夜を一緒に過ごした。徳川の長い歴史の中でも、これほど仲睦まじい将軍夫婦はいなかった。
僧の柳丈(北村一輝)が大奥に瀧山を訪ねてきた。子供たちが作った竹細工を届けに来たのだが、もちろん柳丈にも熱い胸の思いがあった。だが瀧山は、「あの時のことは気の迷い。二度と来ないように」とすげなかった。先代の将軍・家定と瓜二つの若い僧が瀧山を訪ねて来たことを、葛岡(鷲尾真知子)は見逃さず、実成院に報告した。
瀧山の弱みを握ったと思った実成院は、幕吏を使って柳丈を捕らえ拷問した。そして、瀧山に柳丈との仲を問いただし、「情をかけるだけでも罪深い。人に厳しいそなたのこと。進退はわかっておるな」と責めた。
そんな騒ぎを知った和宮はまる(池脇千鶴)に、「奥のおなごは皆かわいそう」と言った。事件を知った家茂は、柳丈を釈放させた。
家茂の出陣の日が来た。家茂は瀧山に、「そなたは大奥の船長。船が沈む時まで船上にいるように」と命じた。それから、「親子(ちかこ)」と名を呼んで和宮をじっとみつめ、馬上の人となった。実成院は泣いて家茂に追いすがろうとして、和宮、葛岡らに止められた。それが家茂との永遠の別れになった。
まるも、軍医として長州征伐に行った真之介(岡田義徳)の身を案じていた。ある日、まるの母きくからの、真之介が無事戻ったと伝える手紙が届いた。だが家茂は、うだる暑さの中で体調を崩し、大坂城内で息を引き取った。枕元には和宮の写真があった。
悲報を聞いた実成院は、広間に女中たちを集めて酒盛りを始めた。溢れる悲しみに耐えるにはそれしかなかったのだ。そこに和宮が来て、実成院の杯を取ってぐっとあおる。驚く実成院に和宮は、「母君がお酒をお好きなのは、お寂しいから。そやけど、寂しいのは私かて同じや。上さんをお慕いしたおなごは、母君と私とこの世に二人きり。なんで一緒に飲んで泣いたらあきませんのですか」と言って、実成院の両手を握りしめた。実成院がわっと泣き崩れた。
家茂の葬儀の後、和宮は髪を降ろして静寛院と称した。十五代将軍となった徳川慶喜(山崎銀之丞)は、公務に追われ、大奥には姿を見せなかった。大奥は女だけの園となり、表の世界とますます隔絶した。
慶応三年(一八六七年)の秋、慶喜による大政奉還が行われ、政権が徳川幕府から朝廷に戻った。しかし、薩摩・長州の倒幕軍と幕府の軍は、京都の鳥羽・伏見で激突する。まるに黙って再び従軍した真之介は重傷を負った。
和宮が意外な行動に出た。実成院に代わって側室を選び、家茂の出発前の夜伽の役を申し付けたのだ。家茂は寝所に新しい側室がいるのに驚いたが、指一本触れなかった。和宮は家茂に、「上さんの死を覚悟したら、上さんに良く似た子供がいればと思うようになりましたのや。自分が産めないのなら、誰かの力を借りてでも」と言った。家茂は、「ばかなことを。そなただけが、私の妻だ。この世でも、後の世でも」と優しく言った。
それから家茂が出征するまで、家茂と和宮は毎夜を一緒に過ごした。徳川の長い歴史の中でも、これほど仲睦まじい将軍夫婦はいなかった。
僧の柳丈(北村一輝)が大奥に瀧山を訪ねてきた。子供たちが作った竹細工を届けに来たのだが、もちろん柳丈にも熱い胸の思いがあった。だが瀧山は、「あの時のことは気の迷い。二度と来ないように」とすげなかった。先代の将軍・家定と瓜二つの若い僧が瀧山を訪ねて来たことを、葛岡(鷲尾真知子)は見逃さず、実成院に報告した。
瀧山の弱みを握ったと思った実成院は、幕吏を使って柳丈を捕らえ拷問した。そして、瀧山に柳丈との仲を問いただし、「情をかけるだけでも罪深い。人に厳しいそなたのこと。進退はわかっておるな」と責めた。
そんな騒ぎを知った和宮はまる(池脇千鶴)に、「奥のおなごは皆かわいそう」と言った。事件を知った家茂は、柳丈を釈放させた。
家茂の出陣の日が来た。家茂は瀧山に、「そなたは大奥の船長。船が沈む時まで船上にいるように」と命じた。それから、「親子(ちかこ)」と名を呼んで和宮をじっとみつめ、馬上の人となった。実成院は泣いて家茂に追いすがろうとして、和宮、葛岡らに止められた。それが家茂との永遠の別れになった。
まるも、軍医として長州征伐に行った真之介(岡田義徳)の身を案じていた。ある日、まるの母きくからの、真之介が無事戻ったと伝える手紙が届いた。だが家茂は、うだる暑さの中で体調を崩し、大坂城内で息を引き取った。枕元には和宮の写真があった。
悲報を聞いた実成院は、広間に女中たちを集めて酒盛りを始めた。溢れる悲しみに耐えるにはそれしかなかったのだ。そこに和宮が来て、実成院の杯を取ってぐっとあおる。驚く実成院に和宮は、「母君がお酒をお好きなのは、お寂しいから。そやけど、寂しいのは私かて同じや。上さんをお慕いしたおなごは、母君と私とこの世に二人きり。なんで一緒に飲んで泣いたらあきませんのですか」と言って、実成院の両手を握りしめた。実成院がわっと泣き崩れた。
家茂の葬儀の後、和宮は髪を降ろして静寛院と称した。十五代将軍となった徳川慶喜(山崎銀之丞)は、公務に追われ、大奥には姿を見せなかった。大奥は女だけの園となり、表の世界とますます隔絶した。
慶応三年(一八六七年)の秋、慶喜による大政奉還が行われ、政権が徳川幕府から朝廷に戻った。しかし、薩摩・長州の倒幕軍と幕府の軍は、京都の鳥羽・伏見で激突する。まるに黙って再び従軍した真之介は重傷を負った。