数々の有力選手を指導する長光歌子さんが
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

最終回

対談企画 ゲスト:村元哉中選手&髙橋大輔選手

 今回で歌子の部屋は最終回を迎えることとなりました。そこでジュニア時代から長光歌子先生に師事し、現在は現役の日本男子選手で最年長である、バンクーバーオリンピック銅メダリスト髙橋大輔選手と、そのパートナーでオリンピアンの村元哉中選手にアイスダンスや歌子先生についてお話を聞いてきました。

2022.6.3

村元哉中選手&髙橋大輔選手
村元哉中(むらもと かな)
村元 哉中(むらもと かな)
 1993年3月3日生まれ。5歳でスケートを始める。2014年にアイスダンスに転向し2015年から18年までの3年間クリス・リードと共に全日本選手権を3連覇。2020年に髙橋大輔選手とカップルを結成し、2022年の四大陸選手権ではアイスダンスの日本史上最高となる銀メダルを獲得した。
髙橋大輔(たかはし だいすけ)
髙橋 大輔(たかはし だいすけ)
 1986年3月16日生まれ。岡山県で小学生の頃にスケートを始め中学生の頃から歌子先生に師事。冬季オリンピックへは3度出場し、バンクーバーでアジア男子初となる銅メダルを獲得した。2014年に引退したが2018年に復帰、その後2019年の全日本選手権を最後に2020年からアイスダンスに転向した。

スケートとの出会いについて

髙橋大輔選手(以下:大)うちの母は理容師なんですが、職場の店長のお嬢さんがフィギュアスケートの事を大好きで、当時テレビで放送していた大会を見て、「こういうやつ、やりにいかへん?」と誘ってもらったのですが、僕は試合をしなきゃいけないと思って「絶対に行きたくない」って1回目は断ったんです。

長光歌子先生(以下:歌)そうなの?!

遊びに連れて行ってくれるって意味だったんですが、テレビの通り試合に出ないといけないと思ってしまって…。幼心に「それは無理!」って言って1回目は行かなかったんです(笑)。でも、忘れたころに連れて行ってもらって、滑ってみたらすごく楽しくて…という感じですね。家族もみんなスポーツをしていたし、僕もなにか表彰状が欲しいと思って。

お兄ちゃん2人は少林寺拳法をやっていたよね?

はい、少林寺拳法で表彰状もらっていて、「僕もこれが欲しい」って言ったらしくて、じゃあ何かさせなきゃなっていうので、スケートやってみる?って感じで始めたのがきっかけですね。本当は体操がしたかったんですけど、ちょっと送り迎えができないと言われました。

遠かったんだ。

車で1時間くらいですね。

ホッケーをやらせたかったとかいう話もあったよね。

理髪店のお客さんがアイスホッケーをしていたそうで、強くなってもらおうというのがあったんでしょうね。でもちょっと防具を見て怖くてやりませんでした。

スケートを始めたのは8歳ぐらいの頃よね。

8歳…8歳って今まで言ってきたんですけど、誕生日が3月なんで多分7歳ですね(笑)。

村元さんはどうやってスケートを始めたんですか?

村元哉中選手(以下:村)私、生まれは日本なんですけど、生まれる前から父の仕事の関係で両親ともに10年以上タイに住んでいて、生まれてからまたすぐにタイに行って何年間か暮らしていました。あるとき日本に帰る機会があったのですが、タイは1年中暑いので母が冬のスポーツを経験させたいと思っていたそうで、スキーなど色々な冬のスポーツを体験しに行きました。その中にフィギュアスケートもあって、最初は神戸のフルーツ・フラワーパークという屋外スケートリンクに遊びに行ったのを覚えています。そのあとスケートが楽しくて、姉とポートアイランドに何度も遊びに行っていたら、中野園子先生とグレアム充子先生に「お教室に参加してみませんか」って声をかけられてそこで始まった感じです。

歌子先生のスケートとの出会いは

私の父がね、平松純子さん(ISU名誉委員)のファンだったんです。色々なスポーツが好きで、自分もマイシューズを持っていて結構滑っていたんです。それで、連れて行ってくれたのが最初だったと思います。貸靴がよれよれだったんだけど結構おもしろくて、父がいないのに母に連れて行って欲しいってねだって連れて行ってもらって、それでクラブに入ったのかな。でも私もクラブで全然練習せず、1年下で今はジャッジをやられている兵庫県の向井さんと2人して外でままごとして(笑)。親に見つかってすごく怒られました。当時は氷の上の練習は教えてくれる人もそんなにいなくて、純子さんのお母さんの衣子(きぬこ)さん(国際審判員)も、時々教えてくださってたんだけど、それよりも外で友達と遊ぶのが面白かったんですよね。

遊びに行くような触れ方の方が長く続くよね。

歌子先生

2人がスケートを続けることになった魅力は

気がついたら習っていて、最初に姉の方が県大会のような小さな大会に出てみないかと言われて、私はいいですって言ったんですけど、姉が出るってなって、じゃあ私も出るみたいな(笑)その時に衣装を着たかったんです。キラキラのあの衣装に憧れもあって、「衣装を着たい」というところも魅力だったんだと思います。

魅力と言われるとちょっとわからないんですが、なんでフィギュアスケートだったかっていうと、誘ってくれたお姉さんがすごく好きだったんです。気に入ってもらいたいという気持ちが大きかったんだと思うんですよね。スケートなら一緒にできるし、過ごせるし。それが理由だと思います。

すごく長いこと滑っていたんでしょ。毎日毎日。

そうそう。学校よりもすごく楽しくて、リンクができて2年目に僕たちは通い出して、クラブとかもあったんですけどプロのコーチの方はいなくて、みんなでリンクを作っていくという感じだったんです。大人から子供まで一緒に楽しむみたいなスケートをやっていたんですよね。みんなとずっと遊んで長いこといて、終わった後もみんなで氷鬼とかして帰る、そんな感じでした。

あー懐かしい!捕まると固まるやつ!知ってる!

そうそう、練習の後で毎日やっていたので、何かに憧れてとかそういった理由で続けていたわけではないですね。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)