数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.18

対談企画 ゲスト:宮本賢二先生

髙橋大輔さんの「eye」をはじめ数多くの振付を手掛ける日本を代表する振付師。宮本賢二先生にお話を伺いました。

2017.3.23

宮本賢二先生
宮本 賢二(みやもと けんじ)
宮本 賢二(みやもと けんじ)
日本を代表するフィギュアスケートの振付師。高橋大輔の「eye」を始め、競技の演技からショーの演技まで数多くの振り付けを担当。過去はアイスダンスの選手として全日本選手権2連覇を達成している。

お二人の出会いについて

歌子(以下:歌) 宮本賢二先生との最初の出会いは、たぶん賢二先生が小学生くらいの頃だったと思います。賢二先生は、姫路のリンクで練習されていましたよね?かわいい男の子がいるなって思ったのを覚えています。

宮本賢二(以下:宮)そうでしたか(笑)僕は歌子先生と初めにお会いしたのは「ライオン」だと思っていました。

ライオン!奈良にあったライオンスケートリンクですよね!

当時僕は小学生で、ちょろちょろ人の後ろついて滑っていたのですが、その時に歌子先生をはじめ、色々な先生方がいらしたのを覚えています。

ありましたね(笑)賢二先生はそのあと、樋口豊先生のところに行かれたんですよね。樋口先生のところで一生懸命練習されていたのを覚えています。

僕は小さい頃に覚えている歌子先生の印象ですが、正直なところ怖い先生だったんですよね。実際に怖いところは見たことなかったですけど(笑)

そうなんですか!?

O2(オーツ―)のリンクに樋口先生と一緒に行った時に、樋口先生が僕のことを歌子先生に紹介したんだと思うんですが、樋口先生が紹介してくださった先生だから、凄いんだろうなって思いました。

私は、樋口先生とは幼馴染ですから(笑)

あと、そうでした!当時歌子先生の生徒さんが夏に、当時のソ連からルイシキンコーチをお呼びして行なった関西の先生方合同の合宿で、お菓子禁止なのに隠れて食べてたんですよね!?それで歌子先生に見つかって、すぐに帰らされたんじゃなかったでしたか?

そうそう(笑)ありましたね!女子はみんな体重オーバーだったので、お菓子を禁止にしていたんですよ。

その時の印象で怖いイメージがあったんだと思います(笑)

そうだったんですね(笑)

でもその当時は、歌子先生とまともに会話はしていなかったと思うんです。僕が歌子先生とお話しをしたことですごく覚えているのが、大ちゃん(髙橋大輔)の世界ジュニア選手権が終わった後です。もちろんそれまでも挨拶はしていましたけど、すごく印象に残っているのが、京都駅前で歌子先生が大ちゃんと一緒にいる時にばったり会った時のことですね。歌子先生が僕に「賢ちゃんこの子大輔っていうの、よろしくね!」っておっしゃったのを覚えています。

そうでしたか(笑)

高橋大輔さんとのエピソード

(髙橋)大輔がジュニアの頃、彼は男の子一人で試合に出ることが多かったですね。

そうでしたね。そんな印象があります。

だからシニアダンスの選手として参加していた賢二先生にはいつも「賢ちゃん頼むわー」って言って大輔の面倒を見てもらっていましたよね。大輔にとって賢二先生はいつもお兄さん的な存在でした。

いつも試合とかで、大ちゃんと一緒にご飯を食べに行っていましたね。でも、僕も歌子先生には色々と相談したりしていましたよね。大ちゃんは大ちゃんでスケートのことで悩んでいることもありましたし、それを横で受け止めている歌子先生もいて、歌子先生は本当に大変だろうなって思っていました。(2003年の)全日本選手権の長野での出来ごとを覚えていますか?

もちろん覚えていますよ(笑)

あの年、大ちゃんはロシアに半年くらい練習で行ってたんですよね。全日本選手権前に帰国して、僕は久しぶりに大ちゃんと会って夜中まで僕のホテルの部屋で2人でずーっと話していたんですよ。それで「遅いし帰り。」って言って大ちゃんをホテルに帰したら、大ちゃんが僕の部屋に財布を忘れて帰りよったんですよ!それを取りに戻ろうとしたところを歌子先生に見つかったんですよね。次の日「あなたたち!全日本やよ!!」って怒られました。

そうそう!大事な全日本選手権の時(笑)しかも本番がボロボロだったんですよね(笑)それでもかろうじて3位に入って、四大陸選手権で成績がよかったので世界選手権行けたんですけどね…。

初めて歌子先生にメチャクチャ怒られました(笑)

その頃賢二先生はフランスで練習していたし、フランスとロシアでたぶん2人とも時差もあって寝れなかったんだろうし、大輔にしたら久し振りに私以外の、しかも大好きな賢二先生と日本語で話ができ、あっという間に時間が過ぎたのでしょうね。今だから笑い話だけど当時は真剣に怒りましたよ。何のために半年近くもモスクワで頑張ってきたんだって…。
でもあの時大輔は「僕が賢二さんに話を聞いてもらっていただけなのに、賢二さんになんであんなに怒るの」って反発していましたね(笑)

そうなんですか?初耳でした。

それと、北京の四大陸選手権(2003年)も忘れられないですよね。試合の後、ペアのチャンピオンの申雪さん達が賢二先生や本田武史先生や大輔を北京の観光に連れて行ってくれたんですよね。それで、途中大輔がお手洗いに行きたくなって、トイレに行って帰ってきたら、車がいなくなってたんですよね。

本当にあの時は焦りました(笑)天安門のそばに車を一時停車して何人かでトイレへ行ったんですけど、大ちゃんが帰ってくる前に車が発車しちゃって(笑)僕らは「大輔!大輔!」って言ったんですけど、彼らにまったく通じなくて、車はどんどん遠ざかっていってしまって…。結局大ちゃんと再会したのは40分後くらいでした。それで大ちゃんが「冗談にしては長いです!!」ってメチャクチャ怒っていました(笑)

今となっては笑い話ですよね(笑)

歌子先生や大ちゃんとの思い出は、語りつくせないほどありますよね。

本当にエピソードがありすぎますね!

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)