数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!
歌子の部屋
vol.12
対談企画 ゲスト:前田真美さん
ISU公認のジャッジで、国内外の大会ではジャッジやレフェリーなどを行う前田真美さんにお話を伺いました。
前田さんのお母様

歌前田さんのお母様は聡明で本当に素晴らしい方ですよね。
前母はスケートを心の底から愛している人で、暇さえあれば今でもスケートを観ている人なんです。
歌前田さんの今のジャッジは、お母様から引き継いでいる所はあるんですか?
前私はジャッジングの仕方を母から一度も教えてもらったことがないんです。
歌そうなんですか!?
前私が聞かない限り、母は何も教えない人ですからね。
歌ジャッジはお母様からの薦めがあったのではないのですか?
前いいえ!自発的に始めました。少なからず母の影響はあったと思いますが、私は小さい頃から選手を辞めたらジャッジになるものだと思っていました(笑)
歌そうなんですね。私も前田さんがジャッジになったのは必然だと思いますよ。お母様も大変素晴らしい方ですし、人をジャッジするというのは正義感だったり、客観的な目線とか人間的に厳格な部分をもっていなきゃいけないと思うんです。それを前田さんは持っているので本当に必然な道を選ばれたと思います。
前ジャッジは楽しいですよ。
歌前田さんには、これからその楽しさをもっと今の選手たちに伝えていってほしいですね。選手をやめてプロとして指導者になったりショーで滑るのも道ですけど、別の道もたくさんあるってことを教えていってもらいたいです。
前そこは本当に大事なことだと思っています。
歌トップ選手ばかりが組織の中で重要なわけではないですからね。
前おっしゃる通りだと思います。
歌子先生から見た昔の前田さん
歌前田さんは本当にすごい方だと思います。すごいっていう一言で片づけるのもおこがましいくらい。大学を卒業した後一度就職をしたのに、そこからやっぱり勉強したいって言って、会社を辞めて海外の大学に留学した時は、本当にびっくりしました。
前私もびっくりです…。
歌しかも「シカゴ大学」という名門の大学じゃないですか。さらには大学院にも行って、本当に頑張り屋さんですよね。
前シカゴ大学時代は、いつも泣いていました。アメリカの大学はものすごく宿題も多いですし、レポートは毎週提出で分厚い本もたくさん読まなきゃいけなかったんです。それに、大学院では成績が悪かったら学校を追い出されてしまうんです。だからアメリカでの生活を楽しむ余裕もなく勉強に明け暮れていましたね。
歌言葉の壁は大変だったんじゃないですか?
前日本にいる時は英語が全然しゃべることができなかったので、言葉の壁には本当に苦労しましたね。日本で受験勉強のために勉強はしましたけど、実際シカゴに行ってからは全然伝えたいことを伝えられないですし、毎日泣いていましたよ。
歌前田さんはスケート界には中々いないタイプですよね。
前そうですね。それでも私はスケートで色々なことを学ばなかったら、シカゴ大学には行かなかったと思いますね。スケートはある意味ミッション・インポッシブルみたいなところがあるじゃないですか。その中でやってきたから頑張れたと思います。スケートは思い通りにならないことばかりじゃないですか。でも勉強はやったらやっただけ、結果がついてくるんです。
歌スケートはもちろんスポーツ全般そうですけど、どれだけ一生懸命頑張って練習しても、試合で思い通りの結果が出せないことがありますよね。
前そうなんです。そこがスケートに比べたらなんて簡単だろうと思いました。
歌「スケートをやっていてよかったです」って言ってくれるのは、教えている側からするとありがたい話です。
前でも正直なことですが、歌子先生がコーチじゃなかったらスケートは辞めていたと思います。先生はよく、「結果よりも思い通りにならなかった時に何を考えるかが大事」っておっしゃっていましたから、その時教えていただいたことは今でも私の中で生きていますよ。
歌私の教えなんてそんな大層なものじゃないですよ。前田さんが本当に頑張り屋だったと思います。
前今でも思うのですが、歌子先生の素晴らしい所は、私がジャッジになってから競技会の会場では一定の距離を保ってくださることです。絶対に馴れ馴れしくしないところが、こちらの事をちゃんと考えてくださっているんだなって思います。
歌そこは、ジャッジとコーチという立場は保っていかないといけないですからね。前田さんはアメリカに渡って大学で勉強されている時、ジャッジはされていなかったんですよね?
前はい。あの時期はそれどころじゃなかったですから。
歌そこからまたジャッジをされ始めたきっかけはあるんですか?
前そこは本当にラッキーだったんですよ。大学院を出た後アメリカで一年間仕事をしていたんですけど、その時に今ISUの理事をされている平松純子さんにご紹介いただいて、ジャッジングをさせていただいたんです。
歌そうだったんですね。なんでもそうですけど、出会いですよね。
前私の人生はラッキーですよ。本当に縁ですよね。
- 長光歌子(ながみつ うたこ)