数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.12

対談企画 ゲスト:前田真美さん

ISU公認のジャッジで、国内外の大会ではジャッジやレフェリーなどを行う前田真美さんにお話を伺いました。

2016.9.8

前田真美さん
前田 真美)
前田 真美
日本スケート連盟の名誉ジャッジである母を持ち、自身もISU公認ジャッジである。大学卒業後一度就職するも勉強のため退職しシカゴ大学へ留学、現在は通常の仕事をこなしながら国内外の大学へ赴きジャッジを行っている。レフェリーやテクニカルコントローラーも行う。

ジャッジという仕事について

前田真美さん

歌子(以下:歌)レフェリーやジャッジ、テクニカルパネルなど、フィギュアスケートの採点には色々なお仕事がありますがまずその違いを教えていただけますでしょうか?

前田真美(以下:前)「レフェリー」というのは「ジャッジパネルの長」のことを言います。「パネル」というのはジャッジの方々の事を言うのですが、ジャッジは「レフェリー」がいて、その下に「ジャッジ」、「テクニカルパネル」がいて構成されています。「テクニカルパネル」のリーダーのことを「テクニカルコントローラー」と言います。レフェリーはジャッジパネルのリーダーですけれど、大会自体の管理をするのもレフェリーなんです。

ジャッジパネルとテクニカルパネルの違いをご説明くださいますか?

「テクニカルパネル」は、何の技をしたかという演技要素の名前を確定したり、ステップの難易度を判定する人ですね。その判定で演技のベースバリューが決まってきます。それに対して今度は、「ジャッジパネル」がそのエレメンツの出来栄えを採点して、後は芸術面の評価を付けていくといった感じになります。共同作業で最終的な点数が決まるんです。

演技中の時間がない中で、それだけ連動して作業しているんですね。大変なことですよね。ジャッジの資格を取るのは難しいのですか?

試験を受けて受かっていかないと、大きな大会には出られないのがジャッジの世界です。ISU(国際スケート連盟)の国際ジャッジになるのにも試験に受かる必要があります。さらにISUジャッジの場合は、何年以内に何試合をこなさないといけないという規定もあります。今は試験も相当難しくなっているようで、ルールブックを全暗記するくらいじゃないと受からないようですね。

そんなに難しいことなんですね。それでも前田さんは、普段仕事をしながら勉強をして合格されたんですね。

スケートが好きですからね(笑)大変ですけど…。資格取るのも大変ですけど、資格を維持するのも大変なんです。毎年試合数をこなしていかないと降格になってしまいますから。

私たちはコーチの仕事でお金をもらってやっていますけれど、ジャッジの方々は、別でお仕事をされながら、ほぼボランティアに近い形でジャッジをされているじゃないですか。ジャッジをやりながら仕事もやらなきゃいけない環境で、本当に尊敬しています。

仕事とジャッジの両立は昔からですから、ここまで来たらずっとやっていたいって思っています。

ジャッジの方も皆さん、フィギュアスケートが好きですよね。スケートへの愛を感じます。

お二人の出会い

前田真美さんとの出会いをお話しする前に、私は選手時代から前田さんのお母様に大変お世話になりました。お母様もジャッジをされていて、今は日本スケート連盟の名誉ジャッジになられましたけど本当に素晴らしい方ですね。

ありがとうございます。

私が選手の頃、お母様に私のスケートを気に入っていただいたようで、それから公私ともにたくさんのことを教えていただきました。それから私がコーチになって前田さんを教えるようになった時は、とても縁を感じましたよ。

そうですよね。私が子供の頃は週何回かですけど、ラサスケートリンクで教えていただいていましたよね。私が最初に練習に行った時は、歌子先生に教えていただけるって聞かされていなかったんです。それで、なんとなく練習場に行ったら歌子先生がいらしたんです。

そうだったんですね!

初めて歌子先生にお会いした時、すごく美人の方でまさか先生だとは思わなかったんです。選手かと思いました。髪の毛はショートカットでメガネをかけられていましたよね。それに赤い小さな車に乗っていたのを覚えています。

軽自動車ですよね。

すごく覚えているのが、その車によく先生が乗せてくださるんですけど、夏の暑い時期はメチャクチャ暑かったですよね?

そうです(笑)昔の軽自動車はクーラーがなかったんですよ。でも当時は流行の最先端だったんですけどね…。あまりにも暑すぎて、すぐに普通車に変えましたけどね(笑)

それから歌子先生のところに本気で通いだしたのは、大学に入ってからだったと思いますね。大学時代は歌子先生といる時間がすごく長かったのを覚えています。

そうですよね。いろんな話をしましたね。

はい。歌子先生にはスケート以外の事もいろいろ教えていただきました。多分あの時代がなかったら、私はスケートを続けていなかったと思いますし、ジャッジにもならなかったと思います。

昔は今みたいにチームではなくて一人で生徒たちを指導していたから大変でした。今、当時と同じ事やれと言われたら無理ですよ。

確かに先生はお一人で色んな事をされていましたよね。エッジをつけたり振り付けをしたり、何から何までやられていましたね。

何でも屋でしたよ。ラジカセを持って曲かけをして…。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)