数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!
歌子の部屋
vol.11
対談企画 ゲスト:田山裕士さん
チーム大輔の靴担当、ロバさんこと田山裕士さんに、シャープナーという仕事についてお話を聞かせていただきました。
2016.7.29

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- 田山 裕士(56)
- スケートショップ「小杉スケート」の店長を務め、スケート靴の修理や調整などを行うスペシャリスト。国内でも数少ないエッジ研ぎのプロでもある。田山さんの調整したシューズは、多くのトップスケーターにも愛用されている。
シューリペアの仕事について
歌子(以下:歌)改めてお聞きしますが、スケート靴のシューリペアという仕事はどんなお仕事ですか?
田山裕士(以下:田)そうですね。直訳すると靴の修理屋さんですけど、スケート靴全般をやりますね。選手の靴選びから、エッジを磨いたり、ブレードの付ける位置の調整をしたり、選手によって注文は色々ありますから、その選手に最善の滑りをしてもらうために何でも相談に乗る感じですかね。
歌本当に色々な選手が田山さんのところに相談に来ますよね。
田こういう仕事は、中々やっている人が少ないのでね。
歌やっぱり選手たちにとっては、靴が自分の身体の次に大事ですから。
田そうですね。だからやっぱり妥協はできないですよね。選手の滑りがいまいちだったら、こちらもやっぱりへこみます。
お二人の出会いについて
歌田山さんと初めに会ったのは、たしか大阪の「ラサスケートリンク」だったと思います。私がスケートを教え始めた頃、田山さんもラサスケートリンクのスケートショップで働き始めていたんですよね。そこでよく選手の靴を直してもらったり、ブレードを研いでもらったりしていた思い出があります。
田父がスケートショップを経営していて、ラサにはテナントとして入っていたんですけど、そこで私は働いていましたね。私はシューリペアとしては全然知識もなかったんですけど、歌子先生を含めて色んな人が頼ってきてくれたから、そこで自分自身色々覚えることができました。
歌田山さんの人柄が素晴らしかったんだと思いますよ。選手たちは話しかけやすいですし、お兄さんみたいに思ってたと思います。
田そうですかね(笑)でも私は、歌子先生が育ててくれたと思っていますよ。
歌そういっていただくとありがたいですが、私ばかりではないですよ(笑)
ラサで働いてらっしゃった時、田山さんは18歳くらいでしたか?
田高校生の時からです。アルバイトとして働いていました。
歌そうだったんですか?ということは、私たちは何年来の付き合いになるんでしょうかね。
田私のシューリペアとしての職歴イコール、歌子先生との付き合いになります。
歌そうですか!ということは私のコーチ歴とそんなに変わらないですね(笑)
あの当時、私は新米でしたし、まさかこんな歳になるまで教えてると思わなかったです。
田歌子先生の当時の印象といえば…赤い車でよく寝ているってところですかね(笑)早朝から練習をして、昼間生徒が学校に行っている時に車で寝ていらっしゃいました。
歌赤い小さな軽自動車でね(笑)朝練習が終わって家に帰るのも面倒になって、よく車で寝ていました(笑)
田私もショップでよく居眠りしていましたよ(笑)
シューリペアを目指したきっかけ
歌田山さんは、お父様の影響もあると思いますが、どうしてシューリペアを職業に選んだんですか?
田そうですね…シューリペアとしての志のようなものは、これといってなかったと思います。祖父は大阪府スケート連盟の会長、父がスケートショップの経営やシューリペアをしていて、なんとなく父のもとでアルバイトをしていて、今に至るといった感じですかね…。
歌これまで続けてこられたのは、このお仕事の面白さですか?
田面白いですね!人それぞれ靴もエッジも全然違うので、それを選手と相談して作っていくのは、本当に面白いです。でもやっぱり人との繋がりと言いますか、歌子先生はもちろん、色んな人と繋がっていけることが一番楽しいですよね。
歌それもこれも田山さんにみんな魅かれているからだと思いますよ。
田そんなことないですよ(笑)
歌田山さんは、もちろんシューリペアとしての技術は素晴らしいですし、色々と靴の相談事に乗ってくれますが、選手たちはプライベートな相談に行ったりしてますよね?
田たまにですけどね…(髙橋)大輔もそうですけど。
歌みんなのお兄さんですね!
田そんなことないですよ。でも(髙橋)大輔はすごく周りの人を大事にする人ですよね。うちの店にお客様が来た時にたまたま(髙橋)大輔がいて、お客様としてはまさか彼がいるとは夢にも思わないじゃないですか。戸惑っていらっしゃるお客様を見て僕が「お客様が一緒に写真撮って欲しいって言ってる」って伝えると「全然いいっすよ!」って言って、最後には「スケート頑張ってくださいね」って言ってくれるし。(髙橋)大輔に頑張ってねって言われると、頑張ろうって思いますよね。本当に人格者ですよね。それもこれも歌子先生の教えのおかげですね!
歌そんなに持ち上げないでくださいよ(笑)
田山さんの愛称について
歌田山さんは、昔から「ロバ君」ていうあだ名で呼ばれていましたが、なぜですか?
田昔、甲南大学のアイスホッケー部のゴールキーパーの選手が、うちのショップにスケート靴を買いに来たんです。その時に選んだ靴が当時のTV番組の「おはよう!こどもショー」に出ていたロバ君の靴によく似ていたんですよ。それで私が「ロバ君の靴みたいやで」って言ったんです。そしたらなぜか私が「ロバ君」になっていたんですよね(笑)
歌そうだったんですか!?全然知らなかったです(笑)
田恥ずかしくて誰にも言ってないですよ…。本邦初公開かもしれません(笑)
でも意味わからないですよね。会社に電話がかかってきて「ロバさん今度いつ梅田にいます?」って言うんですよ。(髙橋)大輔も私のことを「ロバさん、ロバさん」っていうから、本名を知らないと思いますよ。
- 長光歌子(ながみつ うたこ)