数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.9

対談企画 ゲスト:鈴木明子さん

2013-14シーズンで引退し、現在は若手の育成やコメンテーターとして活躍、振付師もされている鈴木明子さんにお話を伺いました。

お互いの尊敬するところ

鈴木明子さん

(鈴木)明子さんのことは、スーパーレディーだと思っていますよ。一回病気で地獄の底を見て、そこから這い上がってきてユニバーシアード(2006-07)で優勝して、そこからソチオリンピックシーズンまでの大活躍、本当にすごい女性だなって思っています。

そうですね、あのユニバーシアードの優勝はすごくうれしかったですね。大ちゃん(髙橋大輔)とアベック優勝だったんですよね。

そうでしたね。

あの大会で、ようやく戻ってこられたんだなって気がしました。みんなと一緒にジュニアの時に試合に出ていたのに、私だけ一度離れてしまって、みんなの活躍をテレビで見ていた時は凄く苦しかったですね。あの時期はトリノオリンピックの前で、フィギュアスケートも人気が出てきた時だったので、自分がそこに居られなかったのはつらかったです。でも、もう一度ユニバーシアードに行って、みんな仲良く修学旅行みたいな感じで楽しかったですし、ようやくこの場所に自分が戻って来れたんだって思いました。やっぱり仲間たちがいてくれたから、頑張ろうと思えた部分が大きいです。

あの試合は、フリーの後一皮むけたというか、顔つきが変わったなって思いましたよ。

そうですね。あの時は大学4年生で、これから競技をどう続けていこうっていう不安もありましたから。あそこで良い演技ができたから「まだやろう」っていう気持ちになりました。それがバンクーバーオリンピックにもつながったと思います。

そこからですね。バンクーバーオリンピックも素晴らしかったですし、ニースの世界選手権(2012年:銅メダル)は本当に感動しました。もうとっくに引退していてもおかしくない年齢だったのに、どんどん上手になっていって、本当に素晴らしかったですね。

ユニバーシアードで優勝した時は、高校生の頃のレベルに戻った感じでいたんですけど、あの後は、ぐんっと伸びることが出来ました。

(鈴木)明子さんは、女子の競技年齢を長くしたと思いますね。

私から先生に質問してもいいですか?大ちゃん(髙橋大輔)がバンクーバーオリンピックの前にケガをしてからバンクーバーオリンピックまで、先生はどういう感じだったんですか。

あれは本当に不思議だったんです。ケガをした時はオリンピックのプレシーズンで、ちょうどニコライ・モロゾフコーチと離れて、モチベーションも全然上がらず精神的に不安定で、彼も私も色々な意味で苦しんでいました。そんな時にケガをしてしまって、私はこれはものすごく意味のある必然のケガだなってその時思ったんですよ。

必然のケガですか。

そうです。それで手術したほうがいいと言われて、最終的には本人が決めて手術をしたんですけど、その時私はなぜか「手術をしてカムバックしたら、オリンピックにも行けるし、表彰台にも乗れる」と思ったんですよ。手術した次の日、ベッドの上で機械を使って本当に少しずつ膝の曲げ伸ばしから始めたリハビリの様子を見て、こんな所から始めるの?って、これからの挑戦がいかに無謀なことかを知らされて、愕然としましたが、でも心のどこかでずっと、オリンピックには行けるし表彰台にも乗れるって思っていたんです。不思議でしょ?

本人が戻れるのかなって不安な中で、歌子先生が信じてくれているっていう感覚が伝わっていたと思いますよ。

そんなこと一度も言われたことないですよ(笑)

あれだけ長く一緒にいたら伝わりますよ!

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)