数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.9

対談企画 ゲスト:鈴木明子さん

2013-14シーズンで引退し、現在は若手の育成やコメンテーターとして活躍、振付師もされている鈴木明子さんにお話を伺いました。

2016.5.31

鈴木明子さん
鈴木 明子(すずき あきこ)
鈴木 明子(すずき あきこ)
2010年と2014年の冬季オリンピックへ出場、2012年世界選手権銅メダリスト、2013-14シーズンを最後に現役を引退し、現在はテレビでのコメンテーターや各地での講演のほか、昨シーズンは本郷理華選手の振付師などを担当。様々な分野で活躍している。

お二人の出会いについて

歌子(以下:歌) 鈴木明子さんとは、本当に昔からの付き合いですよね?

鈴木明子(以下:明) そうですね。
明確に覚えているのは歌子先生が、大ちゃん(髙橋大輔)について仙台に来ていたときですね。

その時は、まだ(髙橋)大輔のコーチではなかったんですけど、一緒に船に乗ったんですよね?覚えていますか?

松島ですよね?仙台での練習がお休みの時に、観光で行きましたね! その頃私は、まだ地元の名古屋にいたんですけど、合宿で仙台に行った時、たまたまお会いしたんだと思います。

そうですね。たまたまその時に(髙橋)大輔も行っていたんですよ。

合宿の後は、仙台から歌子先生と大ちゃん(髙橋大輔)と一緒に大阪へ移動して、歌子先生の家でお世話になったんですよね(笑)

あの時は、何年生くらいの時でしたか?

確か…中学3年生くらいだったと思います。

どうして、大阪に来てくれたんでしたっけ?

忘れてしまいましたけど、長久保(裕)先生も一緒だった気がします。O2のリンク(高槻O2スケートリンク)で合宿をした記憶がありますね。

お互いの印象について

仙台で初めてお会いした時は、優しそうだなって思ったのが一番最初の印象です。
それから親しくさせていただくようになって、選手の面倒をとても丁寧に見ているってイメージでしたね。大ちゃん(髙橋大輔)を引き受けているっていうのを聞いていましたし、お母さん的存在って感じがしていました。私の場合は、「先生」と 「生徒」という感じでやっていましたし、スケート以外のところまで面倒見てもらうっていう感覚がなかったので、すごく色々なところをケアしている先生だなって思っていました。

そんなことないですよ。(髙橋)大輔とはいつも、ケンカばかりでしたよ(笑)

だから、今でもとても暖かい方だなって思ってますね。

私は、(鈴木)明子さんのことは、中学生大会の時に滑っていた『リベルタンゴ』がとても印象に残っているんですよ。すごく素敵なプログラムでしたよね。中学生なのに、最初から最後まで踊っているっていう感じでしたよ。

『リベルタンゴ』は、踊り続けるプログラムって感じでしたね。

あれは誰が振り付けを作ったんですか?

杉田由香子先生です。

由香子先生が作ったんですね。あの時私は(髙橋)大輔のことを教えていなかったんですが、すごく(鈴木)明子さんの演技が気に入っていたみたいで、覚えてましたよ。

そうなんです!彼から「僕リベルタンゴが大好きで、覚えたんです」って言われましたよ。完コピしていました。

私が(髙橋)大輔を教える前、最初に言われたのが「踊るプログラムがほしいです」ってことだったんですよ。(鈴木)明子さんの『リベルタンゴ』がすごく好きで、踊るプログラムを作ってほしいって。彼を踊りに目覚めさせてくれてありがとうございました。

そんなことないですよ。多分本人がずっと思っていたことじゃないですか。ただそれをこれまでのプログラムで出すということが出来なかっただけだと思います。今だとみんな踊りますけど、その当時は日本人の男性選手では踊る選手が少なかったですからね。

それで時を経て一昨年、『リベルタンゴ』を(髙橋)大輔と(鈴木)明子さんがフレンズ・オン・アイスで一緒に踊ったんですよね。

そうですね。一緒に踊りました。
もう一度私が『リベルタンゴ』を滑ろうと思ったのは、大ちゃん(髙橋大輔)がきっかけだったんです。プログラムを宮本賢二先生にお願いしようと思っていたシーズン、彼に「やっぱりタンゴじゃない?」「タンゴがいいと思う」「もう一回見たい!」って言われて、宮本賢二先生のリベルタンゴ(SP)ができ上がりました。

大変好評でしたね。(髙橋)大輔もすごく好きだと言っていました。

それを2人でフレンズでやってみようということになったんです。練習から本番まで本当に楽しかったです!

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)