数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.7

対談企画 ゲスト:佐藤久美子先生

トリノ五輪金メダリストの荒川静香さんの育成をされ、浅田真央さんの最後の指導者となった佐藤夫妻の、佐藤久美子先生にお話を伺いました。

2016.3.23

佐藤久美子先生
佐藤 久美子(さとう くみこ)
佐藤 久美子(さとう くみこ)
1964年と1968年の冬季オリンピック女子シングル代表で現在はコーチ。夫の佐藤信夫さん、娘の佐藤有香さんもコーチ。トリノ五輪金メダリストの荒川静香さんなど数々の有名選手を育てた。現在は夫と共に浅田真央選手を指導している。

お二人の出会いについて

歌子(以下:歌)久美子先生は覚えてないかと思いますが、私は久美子先生の事はすごく覚えてるんですよ。

佐藤久美子(以下:久)そうなんですか?

はい。私が小さい頃、神戸のリンクで滑っていてコーチもついていない時に、梅田のリンクへ練習に行ったら、久美子先生がパラグラフループを描かれてたんですよ。それがすっごく綺麗で「あの人は誰なんだろう??」って思ったのが最初です。
あの頃、先生は全日本選手権で優勝争いをしていて、私はまだまだ下の級しか持っていない小娘でしたけど(笑)

それはちょっと覚えてないですね(笑)

私は小さい時から本当に久美子先生に憧れていて、先生のプログラムを覚えて滑ってた時もあったんですよ。お子様の佐藤有香さんと滑りが似ていますね。

そうですね。仕草が似てるって言われますね。でもタッチは主人(佐藤信夫先生)に似てるかな。

信夫先生もすごかったですね!だから、本当はこんな所で同席させていただいて偉そうにおたずねするような立場じゃないんですけど(笑)

全然そんなことないですよ(笑)

いまだにお二人とは、毎日リンクでお目にかかっていますよ。関大のリンクに久美子先生と信夫先生のお写真がバーンと飾ってありますから。

もう恥ずかしい(笑)あれはリンクのオープンの時だけって聞いてたのに…

私は毎日、先生方にご挨拶しています!

お二人ならではのエピソード

佐藤久美子先生

久美子先生とお話しする時、涙が出るくらいまで笑ったりしながら思い出話ししますけど、たくさんお話ししすぎて何を話していたかあまり覚えてないですね。(山田)満知子先生が来たりするとさらににぎやかで、ずっと笑ってますよね。

そうですね。他愛のない話だと思うんですけど、気持ちが18歳みたいになってますね(笑)

普段は練習と試合でしか会わないですからあまりお話しできないですけど、シムズベリーのリンクで私が(髙橋)大輔についていた時、久美子先生は、荒川静香さんについてきていて、その時は毎日お会いしてましたね。

あの時は10日間くらいですかね。

シムズベリーは周りに何もなくて、静香ちゃんも大輔もそこがつらかったみたいです。(笑)

日本から行くと、何もないですよね。コンビニもないですし。日本は本当に物がいっぱいあっていいですよね。有香のデトロイトの生徒なんかみんなデパ地下が好きで、日本来たらすぐデパ地下。試食だったりパン屋さんだったり大好きみたいですよ。たくさん買って、ホテルでみんなに分けたりしてるみたいです。

海外に行くとおいしいパン屋さんがなかなかないですからね。

うちの娘なんか日本に帰ってくると食パン食パン!って言ってますよ。

有香ちゃんは、アメリカに住んでいて日本食は食べるんですか?

うちの子はあんまり日本食を食べないみたいで、おかずは切り干し大根だとか作ってますけど、お米はあまり食べないみたいですね。日本に帰ってくると日本食ですけど、日本は湿度が高いから、くどいものは食べたくないって言ってましたね。

久美子先生は海外に行くときは日本食を持っていきますか?

私は、日本から持っていくとしたら甘納豆くらいですかね(笑)。

満知子先生は海外食がダメですよね、絶対日本食!

トランクの半分くらいは食材を持っていきますね(笑)。
ちなみに、うちの主人はお茶と柿の種くらいですね。

柿の種!海外でもありますけど、全然味が違うんですよね。

でも、昔私たちの頃は日本食なんてなかったけど、今はありますからね、高いですけど。

私はいつも長期滞在の時は、お好み焼き粉とソースだけは持っていくんですよ。それで一度はみんなでお好み焼きパーティーをしますね(笑)キャベツもあるし玉子もあるし、豚肉の代わりにベーコンを入れるんです。油具合がちょうどよくて美味しいんですよ(笑)。

そうそう!私は日本でもベーコン入れます!でも海外ではソースは、ウスターソースとケチャップで代用できますよ!

なるほど!向こうのケチャップはおいしいですしね!

佐藤久美子先生の現役時代

久美子先生は、現役時代すごくご活躍されてましたけど、小さな頃はどんな練習をされていたんですか?

小さいの頃の事はあまり覚えてないんですよ。練習よりも、終わった後に外で遊んでいたことしか覚えていないですね。主人の事もずっと一緒にいたんだけど喧嘩したりとかは覚えてるのに、どんな練習したとか全然覚えてないですね。

練習後はどういう所へ遊びに行ってらしたんですか?

やっぱり、甘いものを食べに行きましたね(笑)

今じゃ、選手たちには言えないですね(笑)

でも最近、(浅田)真央ちゃんがかき氷に、はまってるって言ってましたよ(笑)この時期に食べるのがいいんですって。かき氷好きのことを『ゴーラー』っていうらしくて、氷の質がいいとか、色々説明してくれるんですよ。

真央ちゃんは『ゴーラー』なんですね(笑)

久美子先生が現役の時代は、海外での試合とかも大変だったんじゃないですか?

私の選手時代は外貨もあまりなかったですし、移動にかかる費用も今よりすごく高かったので、1回国外に出ると転戦して節約してましたね。1回の出国で1ヶ月半くらいは海外にいたこともあります。とにかくお金がかかるから、個人での海外合宿なんかは一切なかったですね。

1ドル360円台の時代でしたよね。

当時はお金がないから、全日本チャンピオンになっても海外の大会に出られないこともありましたよ。主人がイタリアのコルティナで行われた世界選手権に行ったときは、お金の確保から、移動とか宿泊も全部一人でやっていましたね。

それは大変!今じゃ考えられないですね。

あの時は本当に大変だったらしいです。競技も当時はリンクが屋外で、-30度の中でやったそうです。

雪が降ると、コンパルソリーは円の途中で止まってしまうんですよね。

そうそう(笑)その年で屋外は終わる予定だったんですけど、翌年私が出たウィーンの世界選手権でも、100周年記念か何かでフリーを屋外でやってくれと言われて、ドナウ川の中州にリンク造って、そこでやったんですよ。

ドナウ川のほとりですか?それ凄く素敵ですね、滑る選手は大変でしょうけど。

本当に大変だったんです。その時70年ぶりくらいの大雨になってしまって、ペア競技の人たちは、手が滑って危ないって、音楽が鳴るまで傘をさして待ってたんですよ(笑)

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)