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FACTORY721 CS0009 :
THEMSELVES - SUGIZO

 RYUICHI |  SUGIZO |  J |  INORAN |  真矢


── 今日は、生まれてから、昔々の幼児の頃から今に至るまでの音楽絡みの話を。

 少年の頃から、青年に至るまで。

── 深く聞こうと思ってます。最初に音楽ってすごいと思ったのはいつだったんでしよう?

SUGIZO interview すごいと思ったの、カルチャーショック受けたのは、やっぱり中学生になってからかな。YMOとかかな、やっぱり。だから、それ以前に俺は、3つの時からずっと音楽をやっていたでしょ。約10年間ぐらいか。13歳になるまでの10年間ぐらいっていうのは、音楽が決してすごいとも思わなかったし、特別なもんじゃなかったから。当り前に流れてるもので、当り前にプレイするもので。だから、空気と同じだったんですよね、音楽が。空気っていうより、食事と同じかな。好きな食べ物もあるし、好きじゃないのもあるし。カルチャーショック受けたのは、けっこう遅咲きかもしれない。

── テレビ見て流人にとっては、3歳の頃から音楽やってたっていうのが、まだちょっと。幼児の頃から、どんな音楽に触れて、どんな音楽をやってたんですか? 

 うちの親がオーケストラのプレイヤーで、俺が本当に3つの頃からバイオリンをね、習わされてて。無意識のうちに弾いていた。だから、物心ついた時には、音楽をプレイしていたんだよね。おそらくだから、母親のお腹の中にいる時から、ずっと弦の響きとか、音楽をずっと聴いていたはずなんだけど。だから、本当にふと気が付いたら自分は音楽をプレイしていて、ふと気が付いたら周りに音楽があって。でもガキの時はさ、むしろそれは、決して好きでやってるもんじゃなくて、むしろ強引にやらされていたから、音楽っていうもんは、勉強しなきゃいけない嫌なものだった、俺にとって。やっぱり小学生になって、小学校の2年3年ぐらいになってくると、歌謡曲とかテレビで聴き始めるじゃない。沢田研二とかがすごい好きでね。ピンクレディーとかもすごい好きだったな。それで、そういう当時のポップミュージック触れるようになって。そうだな、あとはね、小学校の頃に、当時はあまり好きじゃなかったクラシックが、だんだん俺の中で「あ、この曲はすげえカッコいいな」とか、「この作曲家がすげえいいな」って思う人が出てきて。だんだん自分から音楽に反応していって。好きな作曲家がいて。そうだな、音楽っていうのは、反抗しながら無理矢里やんなきゃいけないものでもあるんだけど、でもやっぱり自分の心を癒してくれる場所でもあったかな。もうとにかくバイオリンを無理矢里やってるのは、好きな曲を好きな気分で弾くのはすごく気持ちいいんだけど、何かと強制されるのね、クラシックの世界っていうのは。「こうじゃなきゃいけない」「こういう姿勢で弾かなきゃいけない」「こういうフィンガリングで弾かなきゃいけない」「こういう決まりがあって、それを全うしなければいけない」。そうじゃないものは、まあ背徳の美になってしまうわけ。それがすごくね、子供の頃から疑問だった。とにかく人から「ああしなさい、こうしなさい」って言われるのが、すごく昔から嫌だったから。「なんでここは、俺はこういうふうに弾きたいのに怒られるんだろう?」とかね。多分、うちの親とか俺の周りの人間は、俺をいわゆるプロのクラシックのプレイヤーとかにしたかったかもしれないんだけど、俺は子供の頃から結局それが嫌でね。決まったことしか出来ないことが嫌で。自分から、ゼロからものを生み出したかったのね。だから、音楽がきついものだったんだけども、でも、ガキの時には作曲家になりたいと思ったな。自分からものを作れば、誰にも規制されなくて済むじゃん。自分でそういう決まりを作っちゃえばいいとか。とにかくそういうなんて言うのかな? 屈折した子供だったな。

── 嫌いだったクラシックが、いいなって思えるようになったのは、何がきっかけだったんです?

 単純にいいなって思う曲があったから。クラシックはだから、無理矢里やらされていて、好きでもない曲を。だから「なんで?」っていう疑問にも最初は思わなかったの。「これをやって」「これを弾きなさい」「これを練習しなさい」って。べつにその曲が自分にとってすごく魅力的なメロディだったわけでもないし。その楽曲に対して、自分が何かすごくパワーとかを感じたわけでもなく、教材としてやらなければいけないのね。それはあまり好きじゃなかった。ただ、だんだんテープとかレコードとかで「あ、この曲すごいカッコいいな」とか「この曲めちゃくちゃメロディいいな」っていう曲が出てくるのよ。で、それを弾かせてくれっていって、自分で弾くようになってから、すごく楽しくなったかな。すごく有名な曲もその中にあるよ。バッハの「G線上のアリア」とかも入ってたし。バルトークもあったし。自分の好きな音楽を、自分の好きなようにプレイできるようになってから、すごい楽しいと思った。

── 自分で作ろうと思ったのは、幾つぐらいの時だったんですか?

 小学校の2年生ぐらい。だから当時さ、なんて言うのかな? 伝記の本があるじゃない。で、モーツァルトとか、ベートーベンとか、バッハとか出てて、それは読んだ覚えがあるんだよね。で、その真似事よろしくピアノに向かって旋律を作ってみたりとかはしてた。でも、そのへんの伝記を見てね、ベートーベンの伝記を見て、俺にそっくりだなって思ったの覚えてるんだよね。ルートヴィヒっていうんだけど、ベートーベンって。彼がちっちゃい時から親父に無理矢里ピアノの勉強をさせられてて、間違ったらパァーンって殴られて。そういう様が書いてあるんだけど、俺とまったく同じだったから。でも、俺ってすげぇ勝ち気に子供だったから、うちでは親にそういうふうに「音楽をやれ」って言われて、反抗出来ずにやっていたにも関わらず、外ではすごく暴れん坊で。いわゆるガキ大将的な奴だったから。外では自由奔放に暴れて喧嘩して、人を泣かしたり泣かされたり。うちに帰ってきたら、そういう暴れん坊な自分じゃなくて、自分の本領じゃなくてその殻をかぶって音楽を勉強している振りをするというか。すごくだから、本当に屈折した子供だったよ。音楽を勉強するのがすご嫌だったから、いつも嫌なことをやんなきゃいけないんだっていう強迫観念があったから。

── 音楽で一生いこうと思ったのは、いつ頃でした? 

 いちばん最初の話に戻るけど、カルチャーショック受けた時。それはYMOだったよ。その瞬間から、自分がバンドらしきもので、ギターらしきものを弾いていて、黒っぽい格好をしていて、高いステージに立ってて、すごいたくさんのお客さんがいる、そういうヴィジョンが、音楽を絶対やっていこうと思ったその瞬間にポンッと出てきた。中学校1年の春か夏くらいかな。

── そのイメージが出てきた時は、ギターはまだ知っていた時期ですか? 

 いや、弾いたこともなかったよ。ただ、なぜかわかんないけど、YMOだったけんだけどさ、ものすごく自分にとってでかかったの、でもなぜかロックはギターだと思ったんだよね。で、なんかギターを弾いてる図が想像というか、なんか自動的に降りてきた、そういう絵が。そうだな、ものすごいやっぱり人生が変わったちゃった年だったな。12歳か13歳の頃。

── ギターを初めて弾いた時、どう思いました? 

 何だかぜんぜんわかんなかったね。最初ね、アコースティックギターだったのね。コードっていう言葉すらわかんなくて。「あ、そういうことなのか」ってコードが何かわかるのに一週間ぐらいかかって。結局、最初はね、一つ二つコード覚えただけでギターはやめてしまった。中学校1年の時。

── ギターやめた後、音楽は? 中学時代はどうしてたんですか? 

 中学校時代は、行動に出るというよりは、自分のなかにいろんな情報を、データをものすごい収集するような3年間だったのね。だから、自分でプレイするわけでもないし、自分で歌うわけでもない、自分で曲を書くわけでもないんだけど、とにかくいわゆるロックっていうジャンルの音楽を知った12〜3歳の頃から、一気に自分のチャンネルがドーンッて開いて。とにかく、ありとあらゆる自分が好きだと思う、自分が波長が合う音楽をどんどん吸収していったのね。YMOの周りから、みんなも知っての通り、ジャパンが大好きで、デビッド・ボウイが大好きで。あとRCとか立花ハジメさんとか、あのへん。レーベルの関係から、ずっとそのままイギリスのニューウェーヴにいって、パンクに行って。とにかく、ものすごく知識を、情報を得た時期だったのね、中学校の時って。でも、決して自分で本格的にバンドをやろうとか、楽器を本当にやろうというのも、あんまり思えずに。むしろそれは、自分の一つの夢として、いろんな楽器のカタログを読みあさったりしてたし、いろんな雑誌も読みあさった。いわゆる想像妊娠に近いような。それで自分が本当に行動に出てる気になっていた。じつは、それは結局、知識を増やしただけなんだけど。それと同時に、なんで行動に出れなかったっていうのは、あるんだね。中学の頃って友達いなかったから、俺。自分の人生のなかで、いちばん心を閉ざしてる時期だったのね、中学校の3年間。それもあって、バンドを組もうなんて。だから、俺が本当に自分の内面を打ち明けられるような友達が一人もいなかったから。バンドを組もうなんて、そんなのは考えも出来なかった。

── そのきっかけを与えてくれたのは誰でした? 

 バンドを組むきっかけを与えてくれたの? 高校に入ってからだね。高校に入って、とにかく中学生の時に、あまりにも屈折していて、自分が。誰も信用できなくて。自分だけの世界に生きてて。最初はね、それが自分の哲学なんだと思っていたの。周りは馬鹿ばっかだと思っていたのね。こんなに波長の合わない連中と友達になる振りをしてもしようがないと思っていたし。ただ、やっぱりさすがに中学校3年の後半になってくると、寂しさも覚えて。気が付いたらすごく心を閉ざしていたなっいうのを、どっかでちょっと感じたと思うのね。なぜか高校に行ったらもと明るい自分になろうと思ったの。高校に行って、もう一回、一からやり直すつもりで人と接するようになって。そこでやっぱり今でも付き合ってる本当に心を分かち合えるような連れに会ったりとかして。そっからだよね。バンドを組むきっかけを与えてくれたのは、じつは学校の先輩だった。学校の先輩のバンドでベーシストがいなくなったから探してて、俺が入ったの。最初、ベーシストだったの、だから俺。

── ギターに持ち替えたきっかけは? 

 やっぱりね、音楽のすべてを支配したくなったんだよね、自分で。ベースだけだとコードがわからないし、ハーモニーがわからないし。もちろんそれを全部一人でベースで弾いてる人もいるんだけど、俺はギターがいちばん可能性があると思ったの。やっぱりとにかく真面目な奴じゃなかったから。特に高校1年ぐらいまでは、中学3年から高校1年っていうのは、自分の人生の中でいちばんハンパな時期だったと思うの。やりたいことがどっかで見えてるんだけど、自分の奥深くでは、それを気付かなかったか、もしくはそれを本当の自分の気持ちを認識するのが恐かったのかわかんくないけど、よくいるグレた子供だったのね。喧嘩もしたし。高校1年の頃は、3日に一回ぐらい対マンしてたし。とにかく半端者だったの。ただ遊んでただけ。音楽は好きなんだけど、13歳の、14歳の頃に、「俺は本当にこれでやってきたいんだ。これが自分の人生懸けてやりたいことなんだ」って思ったすごい強い気持ちが、どこかで押し殺されてて。むしろ「ミュージシャンなんて、音楽なんて出来るわけねぇじゃん。そんなもんで食ってけるわけねぇじゃん」ってどっかで思ってたと思うの。で、やっぱり半分、自分に失望していたか、なんか「世の中つまんねぇな」って思ってたかわかんないんだけど、とにかく夜遊びしたりとか、喧嘩したりとか、悪さばっかりしてた2年間があって。やっぱりでも、「本当に俺はこれをやりたいんだ」っていうのを、なんて言うのかな? 苦しんで苦しんで自分の真意に気付いた時に、なんか自分を束縛してたいた鎖みたいのが、パツーンと全部弾けた気がして。「なんだ、自分がやりたい道っていうのは、自分が行動しようと思えば、すべて開けるんじゃん」っていうかさ。目の前にドーンって道が出来た気がしたの、高校1年の後半。さんざん遊び歩いた時期の後半にね。そこで本当に音楽やろうと思って。やっぱりその時にギターに持ち替えたのかな。いちばん可能性があるような気がして。

── そう考えるきっかけをくれたのは? 

 失恋もあったしね。失恋もあったし、あとはパンクが大好きで、パンクの人たちを見ててそう思った。だから、ぶち破りたいと思った、自分を。これだっていう一つのでかい事件はないんだけど、不思議とその時、俺が16歳の時に自分を取り巻いていた周りの空気とか、環境とか、その時好きだったものすべてが、俺をこういうふうに導いてくれた気がするのよ。だから、何か一つきっかけがあったから俺はギターを持ったっていうわけじゃなくて、なんかすべての状況が俺をこういうふうにしてくれた感じがするんだよね。例えばちっちゃい話を一つすると、学校でいちばんうまいと思われてる先輩がね、俺の目の前でギターをかきむしって弾いてて、「こんなに弾けたら気持ちいいだろうな」って思ったこともあったし。当時すごく好きだった女の子と失恋したこともあったし。そうだなぁ、特に恋愛に関してはそうなんだけど、なかなか自分が思ったようにね、行動が出来なくなるのよ、俺って。それじゃあいけないなって思って。すべてのことに対して、自分で本当に自分の殻を破ろうと思った。自分で歩かないと、誰も歩かせてくれないなって思ったし。

── その頃、真矢君と出会うんですね。

 じつは、真矢とは出会ってるんですよ、俺がギターを始めようと思った時には。真矢とは高校1年の春に出会ったから。でも、当時、彼も本当にツッパリでね。俺も今言ったみたいに半端者で、とうてい一緒に音楽やるような奴ってお互いに思わなかったんじゃないかな。ただ、俺はさっきも言ったように、音楽の、楽器の知識はすごくあったから、真矢がいろいろドラムを始めたいって思った時に、俺に聞きに来た覚えがある。俺はあんまり覚えてないんだけど、真矢がそういうふうに覚えてるからそうなんだろうな。真矢とは不思議な関係で。ここで話してもあれなんだけどさ、俺の小学校の時のいちばん仲良かった女の担任の先生がいるのね。2年間俺が教わって。俺が小学校卒業した次の年に、うちの妹までその先生が担任になって。家族ぐるみで、すごい仲の良い先生がいて、その先生が結婚した相手が真矢の兄貴だったのよ。もちろん小学校なんかね、真矢なんかぜんぜん知らないんだけど、間接的に会っていたり、間接的に話は聞いたりしてたの。すごくね、くさい言い方だけどね、すごく運命的な出会いを真矢とはしてるんだよね。で、奴もすごく不真面目な奴だったから、いろいろ問題を起して。学校をなんて言うかな? 追放っていうかさ、クビになるかならないかっていうぐらいの時に、ちゃんと復帰して、そこでドラムを始めて。真矢も多分、太鼓に助けられたんじゃないかな、十代の頃。すごくそのへんは共通するんだよね。で、俺が誘った。「一緒にやろう」って。

── その時は、音楽で一生やろうと決めてたわけですよね? 

 うん。

── その後に3人会いますね。真矢君には運命的なものを感じたということだったですけど、始めて会った時、こんなに長くここまでくるメンバーに会えたと思ってました? 

 いや、思わないですよ。ぜんぜん思わない。まず、真矢といちばん思わなかったね。だって、あいつ、入学式パンチパーマでしたからね。パンチパーマの奴と、一生友達だとは思わなかったですね。だから、運命的だったっていうのは、いちばん合わなそうな奴が生涯の友になったっていうかさ。INORANとJに最初に合った頃は、これはね、じつはまたメチャクチャ運命的なの。INORANが中3でJも同じで中3、うちの妹は中2で、同じバンドだったのよ。じつは、俺の妹はJとINORANのバンドのドラマーだったの、最初。不思議だよね。俺は妹に紹介されたの、彼らを。まさか、一緒にやると思わなかったね。当時って俺が高校1年で、彼らが中3で、1年間の距離ってすごくあるのよ、「先輩」ってみんな言うからね、やっぱり。俺にとっても、彼らはただの後輩だったから。だから、「君、ベースうまいじゃん」「あ、ありがとうございます」とか言ってたんだよ、最初Jは。そういう感じだったんだよ。とにかく、今出も不思議だなと思うのは、ただの地元のツレなんだよね、LUNA SEAっていうのは。RYUだけちょっと離れてるんだけど、今思うとほとんど同じ場所。RYUと知り合ったのは、ちょっと話が飛んじゃうんだけど、俺が高校を卒業して、INORANとかJがもうすぐ卒業するぐらいの頃。で、俺たちはその頃、もう町田でやってて。で、RYUのバンドが対バンだったんだよね。それで知り合ったんだよね。でも、まさか最初、俺と真矢組みがINORANとJ組みと一緒にやるとも思わなかったんだけど、夢で見たのか、ふとそういうヴイジョンが浮かんだのかわかんないけど、さの当時の地元の2大バンドまの中心人物のこの4人が合体したらすげえだろうなっていうことをふと考えたことがあったんだよね。まさかそれが実現するとは思わなかった。しかも、結果的には新しいバンドを組んだっていう形になったんだけど、でも、最初はINORANとJの組みに、俺と真矢が吸収される形になったの。で、まだその時はRYUはいなくて、とりあえず前のヴォーカルでやってて、ぜんぜんしっくりこなくて、俺と真矢は「ダメだな、ここはすぐやめよう」って言ってたの。やっぱりヴォーカルがぜんぜん良くなかったの。一回ライヴやってそのヴォーカルはクビにして。で、その時に出会っていたRYUが、彼をヴォーカルに一回迎え入れてみようっていうことになって、RYUがうちにきた。その瞬間から空気がぜんぜん違った。この5人が初めて集まった時に、やっとゼロになった気がしたのね。今まで「ぜんぜんしっくりこないからダメだな」っていってたのが信じられないぐらい、この5人になったとたんに、俺は逆に。次は200パーセントの確実な自信があったのよ。絶対にうまくいくと思ったの。根拠も何もない自信。懐かしいね。もうかれこれ10年近く前だね。

── インディーズからメジャーになる時に、きっと5人でヴイジョンがあったと思うんですけど、その時はどういうイメージしながら大きくなろうと? 

 漠然とでかくなりたいとは、ずっと思ってた。バンドを組んだ頃から。むしろもっとその前から。で、ヴイジョンっていうのは、当時はすごく今とは違って浅はかで。人と違うことをやりたい、変なことをやりたい、人があっということをやりたい。ただそれだけだったよね。でも、そっからだんだん本当にもっともっと音楽を、メロディを大切にするようになった。いいメロディをやりたくなったり、いい歌をやりたくなったりしたんだけど。結局、俺が子供の時から変わらないのは、人から物事を強制されることは嫌だった。「ああしなさい、こうしなさい」っていわれるのがすごく嫌で、ぜんぶ自分で作りたかった。だから、結成1年半から2年ぐらいかけて、いわゆるインディーズの世界ではのし上がっていったんだけど、本当に自分たちのやりたいままのスタンスでやっていたのよ。結成当時は、あるライヴハウスの人には、「君たちみたいなバンドは見たことない。こんな音楽は僕は認められない」っていう人もいたし、「ロックじゃないよ」っていわれたこともあったし、とにかくいなかったのよ、うちみたいなバンドが多分ね。俺たちは、もちろん他がいないからこういうことやっていたし、でも自分たちがいいなと思える道をやっていたんだけど、なかなか理解してもらえなかった覚えがあるのね。そこに対して迎合したんじゃなくて、逆に「冗談じゃねぇよ。もっと極めてやろう」と思ったの、当時。またその当時って、ちょうどバンドブームといわれる一番ピークの頃で。「イカ天」があったりとか、「ヘヴィメタ虎の穴」ってのがあったりとか。いろいろそういうバンドブームにまつわるいろいろな番組があったのよ。ポンッとそういう番組に出ると、とりあえず全国的に名前は知れる。そういうネームバリューを得るためには楽な方法はたくさんあったのね。いろんな誘いもあったんだけど、俺は絶対に断わりたかったの、すべてを。カッコいいと思わなかったし、単純にその時の話題の道具にされるだけっていうのが。なぜか最初からその次の答えが見えるのよ。だから今は、例えばこういう人たちがメジャーになって羨ましいなっていう気持ちもあるんだけど、でも、それ以上に今ここで自分の信念をちょっと曲げちゃったら、絶対にあとから後悔すると思ってたから、自分の信念だけは絶対に曲げなかったの。だから、その時は、ちょっと遠回りしたかもしれないんだよね。ちょっと遠回りしたんだけど、そのほうが確実に俺たちのためになる方法をとってきた。まあ、今思うとそのちょっとした遠回りも1年とか2年ぐらいのもんだと思うんだけど、それは良かったなと思ってるし、今でもそう。今でも自分の信念は曲げたくないから、自分のやり方で、でももっともっとでかくなりたい。

── 自分の信念が間違ってないって、はっきりとわかったのっていつ頃なんでしょう? 

 はっきりと「これだ!」っていうのは、さっきの俺がギターを持つきっかけみたいにはっきりとしたのはないんだけど、でも、今のLUNA SEAが出してる結果がそうかな。今、例えばある本に「LUNA SEAの結成当時はバンドブームで、いろんな誘いや甘い汁があった。それでも彼らは自分たちのスタンスを崩さずに、着々と自分たちだけのやり方でやってきて」っていろいろ書いてある本があったんだけど、「それはそうじゃん」って俺は最初からわかってたから。俺は今でもわかるよ。「あ、この人は絶対にあとから困るな」って人。「あ、この人は絶対にもっと音楽を、ミュージシャンとして、アーティストとして、もっと世界が広がるな」って、絶対みんなだってわかるはず。今はとりあえず美味しい思いが出来てるけど、自分で自分の首締めてるんじゃない? っていう人も俺はいる気がするしさ。まあ、その人たちがどうこうと俺は言わないけど、今はちょっと遠回りをしても、俺は絶対に自分が最終的には笑うつもりだから。

── メジャーにデビューして、小さいところから始まったのが武道館、東京ドームまで行って、いちばん勢いが付き始めてる時に、何度も聞かれてることだと思うんですが、なんで一回やめようと思ったんですか? 

RYUICI interview あのね、「MOTHER」の時だったんだよね、いちばん苦しかったのが。呼吸をするのさえ苦しかった。なんでなんだろうね? あまりの状況の変化というか。言い方悪いけど、ある人々の調子の良さとかさ、この世界にいるとさ。そういうとこに嫌気が差したのかもしれないし、メンバーに対してかもしれないし、とにかく俺ってね、そういうとこで嘘がつけないのよ。でも、順応できる人もいるわけ、身近にも。そのギャップにすげぇ苦しんだのもある。だから、なんて言うのかな? 急に「MOTHER」の前後で名前が世の中に知れ渡り始めて、「TRUE BLUE」っていう曲で初めてチャートで1位をとって。キャンペーンとかに行っても、「いきなり出てきましたね」「急に売れましたね」的な言い方をやっぱりされるわけよ。今となっては当然だと思うけど。だけど俺は、そこに対してやたら反発心があったの。「冗談じゃねぇよ。俺たち今までずっとやってきてんだよ」って。単純に当時ね、今の結果っていうのは、99段目の階段から100段目の階段に1歩上がっただけかもしれない。でも、その一歩あがってみんなに初めて見えるようになって、存在を認知されただけかもしれないじゃない。今までと同じようなことやってて、急に1位になって、「バンザイ!」って喜べるほど俺は単純じゃなかった。「また一つちゃんと結果を作ったな、よし」とは思ったけど、そこでいきなり、例えば馬鹿な奴は天狗になるかもしれないし、自分はすげえんじゃんって思っちゃうかもれないけど、俺は自分でそういうふうに思ったことは一回もないから。だって、「TRUE BLUE」で1位になった時に、俺はその先でもっとやりたいことは見えてたし。損な体質なのかもしれないけど、その瞬間その瞬間、最高に感じつつ、先を見ちゃうというかさ。だからなかなかいつも走り続けちゃうと思うんだけど。とにかく、そういう周りの状況とか、そしてそこにもしかしたらメンバーも飲み込まれていたかもしれないけど、人がたくさんたくさん増えてきて、自分は何なんだろう? LUNA SEAって何なんだろう? このバンドを動かしてるエネルギーって何なんだろう? もしかしたら俺たちはただ作ってるだけで、周りの人間がそういうふうに操作してるだけじゃないかとかさ、いろいろな不安とか出てきたりとか。メンバー同士のいざこざももちろんありますけどね、いつものように。「冗談じゃねぇ、気に入らねぇ」と思うこともあるし。ただ、決してなんて言うのかな? 順応できなかったんじゃないかな? 最初。

── 1年休止した後に、もう一回もとに戻れるっていうのは自信があったんですか? 

 正直言って、わかんなかった。俺個人的には100パーセントそういう自信があったよ。俺は絶対にLUNA SEAをもっと大きくしてやると思ってたし。他の人間は帰ってこない奴もいるんじゃないかなっていう気は正直した。今となっては、なんで他のメンバーを信用できなかったの? って思うかもしれないけど、それは1年離れてぜんぜん違うスタンスで活動し始めたら、やっぱり信じられなかったよね。なんて言うのかな? 不思議とみんながソロ活動してる時は、他のメンバーがすごく遠くな人に感じて。自分のバンドのメンバーなんだっていうふうには、なかなか見れなかったの。もちろん全員がすごいことやってるし、全員が自分のこだわりを持ってやってたから、その活動はすごい認めてるんだけど、自分にぜんぜん関係ないような気がしちゃってさ。ずっとロンドンに住んでいたせいもあるんだけど。真矢はまったく逆なんだよね。みんなといるのが楽しくてしょうがない。みんなと会いたくてしょうがないっていう線だけど、おれは逆で、果たしてこの人たちは、本当に俺と今までバンドをやっていたメンバーなのかな? みたいな、変な疑問っていうか、変な不安があったりとかしたね。

── それが5人また戻って、ライヴでリハーサルやって合わせましたね。その時どう思いました?

 いつも通りだと思った。まるでソロをやっていた10ヶ月が空白だったみたいに。その期間が何もなかったように、バンドが休止する前からそのまま結び付いたな、休止後っていうのは。何に例えればいいかな? 例えばだよ、「コンタクト」見た? 映画。「コンタクト」でジョディ・フォスターが次元を移動する装置に乗って違った空間に行くじゃない、お父さんと会った時。で、デョディ・フォスター自身はすごい経験をして、ものすごい感動を得て。で、ふと気が付くと地球に帰ってきた。でも、周りの人間っていうのはさ、それはただ、そのマシンが海に落っこちただけにしか見えなくて、実際問題そういう映画だったじゃない。でも、ジョディ・フォスターのなかには、主人公のなかには、その記憶がちゃんとあって。ビデオテープか何かわかんないけど、何かだけ同じ時間が進んでたってあったじゃん。そういう感覚。だから、ふと気が付くと、時間はつながってて。ソロ活動の10ヶ月間は別の次元だった気がして。パッと目が醒めたら、今いた場所に帰ってきた感じで。でも、その10ヶ月のソロ活動っていうのは、ちゃんと自分たちにあったわけで。ふとプレイをしてみると、その10ヶ月分の重みとかさ、深さがあるっていう。すげえ不思議な感じがして。

── 91年にデビューした時と、98年に再始動した時、バンドでやろうと思ってたゴールみたいのって変わったんでしょうね? 

 

 それはわからない。ゴールがわからない。ゴールっていうのは多分ないと思うんだけど、どこに向かってるのか、それはもう抽象的な言葉でしか言えないんだよね。「光」とかさ。もっと輝きたい。もっと誰も経験したことのない境地に行きたいとか。なんかそういう意味での、なぜかわからないけど、すごく後ろから押される思いはあるんだけど、何がゴールかって言われればわかんないんだよね。それはデビューすることがゴールでもなかったし、武道館でもなかったし、東京ドームでもなかったし、ミリオン売ることでもなかった。ただ、すべてが今となっては必要なことで、すべてが自分たちが、俺が行きたい場所への通過点だっていう気がする。だから、わからないけど、もしかしたら半分は強迫観念かもしれないんだけど、もっと表現したい、もっと上にいきたい、もっと伝えたいっていう気持ちだけが強くてどうしましょう? っていう感じでね。

── 5人かでいる意味って? 

 単純にお互いがお互いを必要としている。お互いに持ってないものがあって。単純にLUNA SEAっていうバンドのためだな、5人でいる意味っていうのは。LUNA SEAのためじゃなかったら、5人でいる必要がない。だから、それほどLUNA SEAっていうものがパワーを持ってるのよ。こんな5人を結び付けちゃう、目に見えないパワーがLUNA SEA自体にあるんじゃないかな。

── LUNA SEAの音楽で叶えたい夢ってあります? 

 音楽で叶えたい夢? たくさんある。長くなるよ、これも多分、話すと。単純に「もっと幸福になろうよ」っていうことかもしれないんだけどさ。やっぱり何とかしなきゃダメだよ、今の社会は。と、俺はいつも思ってる。特にこの何年かって、本当に転がり落ちるように音を立ててガタガタと崩れていくでしょ。なんかね、もう確実に新しい時代は俺たちの目の前に来てて、確実に新しい世代が新しい感覚を持って生きてて。俺は絶対に新しい時代はもっとポジティヴになって、もっと輝くべきだと思ってるから、俺は時代は変わると思うよ。今これだけすべてが悪化してるのって、もしかしたら新しく生まれ変わるための陣痛なのかなって気がすごいするの、今の時代って。俺はその時代に対して、例えば一人一人に対して、例えば地球に対して、「もっとなんか大切にしようよ」っていうかさ。「せっかく生きてるんだから、もっと輝こうよ「ってふうに言いたい。LUNA SEAの音楽が、例えばそのLUNA SEAの、俺の音楽の力が、これは最高の目標というか、最高の理想ね。俺の音楽が、LUNA SEAの音楽の力が、まるでその人を一回地球の外まで連れて行って、「地球ってこんなに奇麗な星なんだよ、なんでそのなかでみんな傷つけ合うの?」っていうようなことを教えてあげれるようなパワーを持ってたら素晴しいなとは思う。だから宇宙旅行に行きたいのよ、俺は。地球を外から見る。アームストロングが月に立って地球を見て、こんなに美しいオアシスのような、宝石のような丸い物体が宇宙に浮いてて、こんなに美しくて、でもものすごくか弱く見えて、なんでこんなに素敵なところで人間は傷つけ合って、殺し合って、憎み合って、血を流し合うんだろうねっていうさ。多分、外に出れば地球って一つの生き物だっていう実感がすごいするはずだって俺は思ってるし。例えば、政治家がそれが出来るんだったら、「お願い、やってよ」って言いたいな。なんか大事なのって、もう絶対に大切なものって、お金とか、地位とか、名誉とか、姿、形とかじゃない気がするから。そういう欲って俺にもあるし、人間には絶対に必要だと思うんだけど、一番大切なものって、絶対に目に見えないものじゃんっていう。だから変な話、今さらだけど、ジョン・レノンじゃないけど、愛と平和っていうのは、本当にみんなが求めるべきものなんだなっていうのは、今さらながらに思うんだよね。それはもうスタイルでもないし、宗教でもないと思うんだ。なんか俺は宗教のことをすごい勉強するのは好きだけど、自分はすべての宗教が言いたいことはじつは近い気がするから。ただ、俺にとって、みんなにとって、自分のそういう心の拠り所というか、自分が何か問題を感じた時に、ちゃんと帰って癒せる場所って絶対にあるべきだと思うから、そのための宗教だと思うんだ。結局、じつは自分自身にすべてが宿ってるはずだと思うし、すべての人が。なんかいちばん大切なことに、俺も含めてみんなが気付いてくれる、本当の真実にみんなが覚醒してくれるような時代になるはずだし。だから話を戻すと、俺の究極の理想っていうのは、そのための触発剤になればいいな。多分でもね、みんなに対して俺が訴えたいことって、おそらく俺は自分自身に対しても訴えかけたい気がするんだよ。ただだから、「カッコいいじゃん」ただ「クールじゃん」ってだけで音楽やってるわけじゃないと思うんだ。ただのそれだけだったら、こんなに大変だったらやめちゃうと思う。強迫観念じゃないけど、何かあってもここから自分は離れることができない。なぜかはわからないけど、それは多分すごく大きなものが、俺はまだこれをやるべきなんだって後押しをしてくれてる気がする。俺は音楽を通して何かを絶対に伝えなければいけない人間なんだと俺は自分で思う。

── 最後の質問ですが、SUGIZOっていう人間にとって、ギターを弾くことって何なんだと思います?

 気持ちいいこと。じゃダメか? カッコいいこと。ぜんぜんダメか? 何なんだろう? うーん? そうだな、自分の言いたいことを、人に言いたいこと訴えかけたいこととかを手っ取り早く音にしてくれる方法かな。本当はだから、ギターじゃなくても良かったかもしれないし。やっぱりソロでは歌っていたけど、ギターを突き詰めていくと、どうしても歌いたくなるんだよね。ギターってね、自分の声とね、すごくシンクしてる。だから、ギターを弾くこと、歌をうたうこと、音楽を、歌を作ること、それを全部合わせて、俺の大切な音楽で、俺のギターのスタイルなんだなっていう気がするんだよね。やっぱりでも、ギターはいいですよ。

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