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FACTORY721 CS0009 :
THEMSELVES - 真矢

 RYUICHI |  SUGIZO |  J |  INORAN |  真矢


── 昔の話から始まって、普通、テレビで話さないことまで伺おうと思ってます。そもそも音楽っていうのに初めて触れた瞬間っていつだったんですか? 

SHINYA interview 物心付いてない、あまり記憶は定かじゃないんですけど、後で聞いた話によれば、3歳の時に、親父が能楽師だったんで、日本の古典芸能の能というものの、歌詞の部分の謡曲というのがあるんですが、それをやらされたのが音楽の始めだったそうですね。

── 家庭の中に当り前のように能の世界があるわけですよね。そこからいわゆる普通のポップスを知るきっかけは何だったんですか?

 やはりですね、親父は家でも、能楽師は家でも、能の稽古をやってない時は普通の家庭があるわけで、食卓とかにはテレビも流れてるんですよ。その時に音楽番組とか、もしくは子供向けの番組で流れてる歌が、やっぱり最初じゃないですかね。

── いちばん最初に覚えた歌とか覚えてます? 

 「およげタイ焼き君」かな。ちゃんとフルコーラス歌えるようになったのは。

── 何が好きだったんですか?

 切なさですね。あの、まあ、すごく子供心にですね、なんて言うんだろうな? 自由になった、題材はタイ焼きなんですけど、自由になったものがまた人によって束縛されてしまうというか、人に釣られてしまう。なんか非常に哀しいような感じがして、大好きな歌でしたね。

── 今の真矢を知る人間が、普通にテレビをみてる人たちが、切なさっていうのがキーワードのような気がするんですけど。それは今まで音楽をやってくる中で、切なさはキーワードになったりしてます?

 いや、あの、自分で音楽を作る時は、何も考えてない真っ白な状態で作品を作ろうとしますね。それはやっぱり、俺なんかはね、器を作って、それにものを乗っけてもらうのは聴く人だと思うんですよ。だから、真っ白な状態で俺なんかは無心に音楽をやって、それを切ないととるか、楽しいととるか。だから、その受け皿をいかに白く大きくするかが僕のテーマっていうかね、音楽をやる上での心得みたいのはありますけど。

── 初めて人前で音楽をやった記憶は覚えてますか?

 音楽やった記憶ですか? えぇとね、能はやってたんですけども、能の中でも打楽器に興味があったんですよ。いわゆる鼓とか、日本の太鼓なんですけど。それを見よう見真似で覚えたらしくて、それをみんなの前でやったのは覚えてますね。

── 幾つぐらいの時ですか? 

 それは、もう多分、能を本格的にやる前だから、3歳前だと思います。

── じゃあ、3歳の時から能を本格的に? 

 はい。

 

── 能をどれぐらいやって、そのことによってどういう子供時代を送りました?

 まあ、実質的には小学校6年の頃までやったんですけど、非常になんか耳年増というか。いろいろ能の題材というのは、仏教とか、平家物語とか、今はもう忘れてしまったんですけど、そういうのを題材にしてるんで、物語とか特に詳しかったですね。歴史は強かったです、日本の歴史は。そんな子供でしたね。

── どんなストーリーを覚えてます? 

 あのね、やっぱりね、今でもね、音楽ってそうだと思うんですけど、昔からラヴストーリーっていうのはすごくあって。それはやっぱり夫婦の愛の物語であったりとか、そういう題材がすごく多いのは覚えてますね。それを平家物語とかけて、物語を作ったりして。

── 能じゃ嫌だという自我が目覚めた頃のことを。

 何が嫌かと言うと、能には家元ってありまして、それは本当に家系なんですよね。日本には5人しかいなくて、それ以上なれなくて。僕は、やるんだったら家元が良かったんですよ。大袈裟な話をしちゃうとね。っていうか、一番になりたくて。それでなぜなれないんだ? って。能をやるのは、うちの親父は仕手方っていいましたて、本当に舞うとか歌う専門なんですけど、僕は打楽器のほうも一緒にやりたいと。そういうのが出来ない世界なんで、それがなぜダメなんだ? というとこで挫折を覚えたような気がしますね。

── 挫折を覚えて飛び出す時、バックアップしてくれたり、友達がきっかけだと思うんですが、どういうものが心の支えでした? 

 あの、まったくね、能をやってて、そういうのを友達にも言った覚えもないし、友達にも相談した覚えがないんですよ。だから、能をやめる時ね、本当に親父と何日も何日も話し合って。やっぱり能の世界ってね、すごく厳しいですから。常に私生活もピシッとしてくこなきゃいけないとこがあって、好きなこと出来なかったんですよ。例えば友達と遊びに行ったりね。それでも目立つ遊びはするなということをね、親から言われるんですよ。それがね、嫌でね。やっぱり友達のほうに行ってしまった覚えはあるんですけど、ぜんぜん誰かに相談したとか、そういうのはないですね。

── ドラムに目覚めたのはいつですか? 

 えぇとですね、これも能を挫折してしまったきっかけになったんですけども、僕は本当に日本のものが好きで、能に限らずお祭りとかもすごい好きで、地元のお祭りの太鼓も6歳の頃からやってたんですよ。それが能を選ぶんだったら、それもやめなければいけないと親に言われてたんで。それで能をやめる、なんて言うんだろうな? 挫折するきっかけにもなったんですけどね。本当に打楽器が好きでね。だからドラムというよりは、打楽器に目覚めたのは6歳の頃ですね。あ、もっと前に能の打楽器が好きだったから、2歳の頃ってあったか? でも、本格的にドラムキットっていうものに座り始めたのは、高校1年の終わりとか、高校2年の始めの頃ですね。

── なんで打楽器に惹かれたんでしようね? 

 うーん? なんて言うんだろうな? 単純にバチを降ろしただけで音が出ることっていうか。自分にとってすごくストレス発散にもなったし。僕の場合は打楽器っていうものをイメージする時に、子供の頃のことを思い出すと、すごく喜びっていう感じがあったんですよ。人が嬉しい時に拍手するような。それを太鼓に置き換えたような、すごく喜びがあったんで、非常に好きでしたね。

── いちばん最初に叩くことによって快感を得た経験って、いつぐらいでどんな時に覚えました?

 やっぱりですね、それは2歳とか、能を始める前に能の打楽器を見よう見真似でやった時に、みんなが小さい子供だから、びっくりするし喜んでくれますよね。その時の顔っていうのが忘れられないっていうか、その時の気持ち良さですか、終わった後の。それが叩いた時の快感じゃないんですけど、終わった時の快感って、それが初めてじゃないでしょうかね。

── 覚えてます?

 覚えてます。

── そうとう強烈だったんですね。

 そうとう強烈だったと思いますよ。それ以外のことは覚えてないもんね。能を始めさせられたこととかも、やっぱりぜんぜん記憶が定かじゃないし。でも、その時の、始める前ね、太鼓を叩いてみんなが喜んでくれた顔っていうのは、すごく忘れられないですね。

── ドラムっていう楽器は、何をきっかけに知りました? 

 もちろんドラムっていうのはね、楽器自体はずっと知ってたんですけど、実際に触れたのって高校1年の時の文化祭ですね。

── 好きなバンドがいたとか、そういうことではなく?

 いや、たまたま何もやることがなくてですね、文化祭をフラフラ歩いてて、教室の中から外を見てみると、外でバンドをやってるんですよ。その時にドラムというか、こういうロックとかまったくわかんなかったんですけども、やたらドラムのリズムが自分でも気持ち悪い覚えがあって、これだったら俺も出来るんじゃないかなって思ったのが初めてですね。でも、気持ち良さそうにやってたんで、「ああ、気持ち良さそうだな」って思って。

── それがドラムとの出会いですか? 

 そうですね。

── ちょっと話は戻りますが、小学校の頃に好きだったシンガーとかグループとか、そういうものってありました? 

 いわゆるベストテン、トップテンで上位に入ってるものはすべて。逆にね、俺ね、あんまりその頃は能やってたから、西洋の音楽っていう言い方はすごく大袈裟なんですけど、それにはぜんぜん興味なかったみたい。でも、そのベストテン、トップテンで上位に入ってるのを口ずさんでた程度なんですよ、本当に。

── 小学校の時の真矢にとってアイドルは誰だったんですか? 

 アイドルですか? 親父でしたからね。能やってる時の親父でしたからね。いちばんカッコいい人間に思いましたね。

── それが次に中学とか高校では? ドラムとか覚えた時に、自分にとってのアイドルが変わっていったタイミングがありますよね? 

 ありますね。なんて言うんだろうな? でもね、ドラムを始めたきっかけっていうのは、いわゆるロックがやりたくてね、このバンドが好きで音楽をやろうと思ったわけじゃないんですよね。打楽器がやりたくて、しかも今現代のニーズっていうかね、その時の流行ってる音楽をやりたかったんですよね、なんか。それに合わせた感じの打楽器をやりたかったんですよ。だから、結局こういうロックっていう形をとってるんですけども。だからやっぱりドラムを勉強するようになってですね、ドラマーの方でも、音楽に興味がなかったから、どれを始め目指していいかわかんない。でも、見よう見真似で8ビートとか16ビートはすぐ出来たんですよ。出来るとですね、高校の時とかバンドとかドラムやってる人は特に少ないんで、いろんなバンドに誘われるようになったんですよね。結局、最大で15個ぐらいバンドを掛け持ってて。で、いろんなジャンルの音楽をやったんですけども、その中でも好きだったのはハードロックを叩いてるラウドネスの樋口さんとか、かたやサザンオールスターズの松田さんとかも好きだったし。でも、基本的にコピーしてる音楽が多いのは日本の音楽が印象に覚えてます。洋楽とかもコピーしてたと思うんですけど、なんせかんせ歌詞がないとあんまりドラムを上手に叩けなかった人間なんで。歌詞をうまく理解しないとね。歌詞に合わせて叩いてた覚えがある人間なんで。だから、日本の音楽っていうのに非常に惹かれましたね。

── 歌詞から入るドラミングって、どんなドラムなんでしょう? 

 俺、譜面読めないんですよ。だから、単純に曲を覚える時ってね、曲のリズムから覚えなくて、まず歌をぜんぶ覚えちゃうんですよ。それからなんて言うんだろう? 結果的にそれがすごく良かったと思うんで、それからドラムを覚えるんですけど。結果的になんかそれ、今になって思えば、譜面通りじゃない歌心のあるドラムがね、そういうことをやることによって叩けるようになったのかなと思うんですけどね。やっぱりどうしても、今ドラムを叩いてても、やっぱりRYUちゃんの歌詞とかは、自然に一緒なこと歌ってますからね。

── かなり言葉っていうのは、こだわるほうですよね?

 こだわりますね。こういうね、ドラムとかね、音楽っていうのね、なんかね、お勉強にしたくなかったの。「こう叩けばいい」とかね。なんかすごくバンドを始めてやった時に、能にはないような自由な感じがあって。自分で好きに自由にやれるような感じがあって。そういうのがあって、すごくお勉強にしたくなかったんですよね。だから譜面とかも勉強しなかったし。言葉からなんて言うんだろう? それはね、8ビートの曲だったら8ビート叩くとかね、おおよその道標っていうのはあるんですけど、それよりもその8ビートの中で、言葉から自分で感じれた8ビート。例え音源で激しい8ビート叩いてても、自分が歌詞を聴いた時にラヴソングだと思ったらね、ラヴソングのように叩いてたし、この頃から。だから、言葉とかそういうのっていうのは、やっぱり一番グッと来ますからね。ドラムのフレーズだけ聴いたって、泣ける音楽なんて一個もないですからね。音楽やる上で大切だと思いますね。

── バンドっていうものを15も掛け持ちしてて、その中でどれか一つに肩入れしていきますよね。それが今のLUNA SEAにつながってるんですか? 

 そうですね。ドラムやった時に、いちばん初めに相談したのはですね、「ドラムをやりたい」ということを相談したのはですね、いちばん音楽にその当時詳しかったSUGIZOなんですけど。となりのクラスにいたんですけど。それで「ドラムセットどういうの買ったらいいかな?」とか、SUGIZOにも相談していろいろ教えてもらったんですけどね。まあ、やっぱりSUGIZOとの出会いですね、いちばん大きいのは。それからSUGIZOといろいろなバンドを組むようになって、結果的に今のLUNA SEAにたどりついたっていうかね。

── 高校時代、どんな音楽をやるのがいちばん気持ち良かったですか? 

 やっぱり高校の頃っていうのは若いですからね、静かなのよりは、激しい音楽に惹かれましたね。ハードロックとかヘヴィーメタルとか、当時本当に流行ったものには惹かれましたけどね。

── きっとSUGIZO君という人間と一緒にやってて、そのまま高校時代に進路とかに悩む時期があったと思うんですけど、悩みましたか? 

 高校3年の頃には、もうプロになるものだと思ってました。その前にきっかけがあって、高校2年の頃ですね、SUGIZOがうちに泊まりに来てですね、突然「真矢に相談がある」と。「どうしたの?」って言ったらですね、「一緒にプロになろう」とSUGIZOから口説かれまして。一日中二人でずっと話し合った挙句。初めはね、プロになれるわけないと思ったんですよ、その頃って。SUGIZOから「絶対にやればなれるんだよ」っていうことを聞いて、俺も「そうかな?」って思って重い腰を。重い腰っていうかね、考え直したんですけど。もうそれからは絶対にプロになるもんだと思いましたね。だから、SUGIZOのその言葉がないと、多分。SUGIZOからのお誘いがないとね、俺は別の道を歩んでたと思いますね。だから、すごく彼は大きなきっかけを作ってくれましたね。

── そっから迷いなく突き進んだわけですね。

 ずっと突き進みました。すごく僕は単純な人間なんで、「真矢のドラムはカッコいい」とか「絶対にプロになれる」って言われると、そうだと思っちゃうんですよ。だから、その日からはですね、絶対プロになるもんだと思いまして、高校3年の時に「進路、何にしたい?」って先生に相談された時に、「どこも行く必要ない」と。「ドラムでプロになるんだ」と。その次の日に親が呼び出されましたけどね。「お母さんからも説得して下さい」みたいなことを言われてですね。でも、ぜんぜん親とかも最後のほうは、すごくそれで頑張ってくれ、みたいに思ってたんで。

── プロになれるって信じた時からプロになるまで、自分が音楽やってることで変わったと思った瞬間ってありました? 

 そうですね、でもね、ドラムを好きだっていう気持ちがね、どんどん嫌いだに変わっていきましたね。今まではなんて言うんだろうな? ドラムをですね、相手のように思ってて。例えば恋人とか、自分のかけがいのない人とかね、かけがえのないものとか思ってきたんですけど、どんどん自分よりになってきて、今はですね、やっぱりプロとしてやらせていただいて、今は自分の声帯とかね、自分の身体の一部になってきたんですよ。だから、やっぱり「これが嫌いだ」っていうことがバネにもなってるんですけど、コンプレックスというのも増えてきてね、やっぱり自分のものになると。それをどんどん克服するために叩いてるっていうかね、そういう感はありますけどね。

── そんな世界に突入したのはいつくらいからですか? 

 でもね、それはね、本当にごく最近なんですよ。常になんか、いちおうプロとしてお金をもらってこういうことをやらせていただいてるんですけど、マインド的には本当に高校生の時とか、そういうのと一緒ですからね。逆に言うと、そういう時に戻りたいね。やっぱり今、なんて言うんだろう? プロの器材を使ってね、プロのレコーディングシステムを使ってね、いい音で録れるのは当り前なんですよ。でも、高校の時に買った10万円以下のドラムセットもうボロボロですよ。傷だらけの。それが初めて家に来てセットした時に、スネアを叩いた時の感動感っていうのは、すごく忘れられなくて、それを求めていつもレコーディングでは音を作ってますけどね。

── それがスタンダードなんですね。

 そうですね。

── 5人に合った時、この5人でここまでくるっていう予感みたいのものってありました? 

 予感っていうのはないんですけど、ここまで来るんだっていう具体的なものはないんですけど、この5人はすごいと素直に思えました。初めて音を出した時に。それは演奏がですね、今までにないようなヘタクソさだったんですよ。15ぐらいバンド掛け持って、大学生とかとも高校生の頃やらせていただいたんですけど、今までにないようななんて言うんだろうな? ガチャガチャな感じというか。でも、一人一人がすごくカッコいいのね。逆に個性が強すぎて、誰も「人には合わせねぇぜ」みたいな感じ。このバンドはすごいと思いましたね、この5人は。

── バラバラ感が良かったんですか? 

 バラバラ感が良かったですね。今まではベースとかギター、ヴォーカルは別なんですけど、ベースとかギターはドラムに合わせるのは当り前っていう観念でやってましたから。でも、そうじゃなかったんです、このバンドは。それがすごく刺激的でしたね。

── バトルみたいなものですか? 

 バトルですね。でも、逆に言うと、バトルできるっていうことは、すごく素晴しいことだと思ったの。誰も人には同調しない感じ。それはね、自分が一人一人強いっていうことじゃないですか。それは素晴しいことだと本当に思いました、その時。その日の夜、忘れもしないんですけど、SUGIZOと二人で話したんですよ。「この5人だったらなんかいいんじゃねぇかな?」っていう話はしたのを覚えてますね、SUGIZOんちで。

── その言葉通りメジャーになっていくわけですよね。お客さんとの関係って、特にLUNA SEAはすごい特別な関係が昔から形成されてるじゃないですか。これはドラムやってていちばん気持ちのいい、これがあるからやめられないっていうのはどんなとこですか?

 初めの頃はですね、やっぱりうちのなんて言うんだろうな? うちを見にきてくれる子たちっていうのはね、今とは違ってまったく声も出さなかったし、一部始終シーンとしてたんですよね。でも、みんな目が俺たちに釘付けっていうか、みんな真剣に一点を見つめてる顔してるんですよ。その目をみてるとすごく気持ちいい印象ありましたね。でも、そんなことよりね、「うちのライヴになんで来るんだろう?」っていうことがすごく不思議でしたよ。これは、後々ね、地方行った時もそういう感覚持ったんですけど、俺たちと喋ったこともないのに、なんでうちのライヴに来るんだろう? っていうね。で、まったく喋ったこともないのに、なんで手紙をくれるんだろう? っていうのが不思議で。その不思議さで初めのほうはいっぱいでしたね。

── その不思議って解決しました? 

 いや、何となくそれはね、過ごしちゃったんですけど。でも、考えてみればやっぱり不思議ですよね。俺はだって、高校の時とかいっぱいライヴ行っても、好きなアイドルの女の子がいても、手紙を書こうっていうパワーはなかったし、コンサートに行っても、立って手拍子とかをすることがすごい恥ずかしい人間だったんですよ。それはなぜかと言うと、高校の時は変な自信があって。それはもちろんドラムでプロになるという次元からね、いつか立ってやるっていう視線で見てたんで。だからね一緒になるのが恥ずかしかったっていうかね、そういう視線があったんですけど。だから、手紙をくれたりライヴに来てくれる子ってすごい不思議でした。しかもアマチュアの頃ってライヴが終わると、器材とか積んでるとファンの子と喋りますよね。自分もお話はしてるんですけど、なんでこんなお話できるんだろうな? みたいな感じでね。

── メジャーなってどんどんバンドが大きくなっていきますね。それにじつは真矢さんがいちばん戸惑いを感じたほうじゃないんですか?

 大きくなってくにつれて、LUNA SEAを運営する人たちというか、LUNA SEAを好きでいてくれる人たちっていうのは、すごく多くなりましたよね、自分の身の周りにしても。そういうとこで本当にこの人にはどこまで信頼していいのかとか、どこまで自分のことをしゃべっていいのかわからなくなって、一時、対人恐怖症みたいになったことはありますね。

── 具体的に原因があったんですか? 

 いや、あの、わからないんですけど、俺、すごく友達を作るのが苦手なほうっていえば苦手で。自分のことをね、本当の心からの本心を喋るのってすごく苦手なほうなんですよ。それを喋りたくてしょうがないのに喋けない環境だったんで、人が増えて。すごく戸惑いましたね。

── その状況って、今は良くなっていますか?

 どうなんでしょう? やっぱりスタッフさんとか、いろんな面で変わるといろいろ戸惑いを覚えるとこがあるんですけども。でも今、自分がやるべきこととか、なんて言うんだろう? 自分に対する、うちのバンドに対する自信っていうのがだいぶ出てきたんで、今はだいぶなくなってきてると思いますよ。

── 最初は視聴覚室ですよね? 

 はい。

── 東京ドーム、横浜スタジアムって、誰がみても順調な成長していくわけですが、自分たちがすごくメジャーになったって実感した瞬間ってありました? 

 メジャーになったって実感した瞬間? やっぱりツアーでの交通機関が変わった時ですね。今までは器材車を転がして日本全国回ってったんですけど、スタッフさんがついて、知らない間に飛行機がとれてて、俺なんかブッキングした覚えもないライヴハウスに連れて行かれて、みたいなことをやって「ああ、俺たちプロになったのかな」と実感しましたね。あと、やっぱり今専属している事務所とか、まあ事務所とかレコード会社初めから変わってないんですけど、器材とかね、スティックとかね、今まではぜんぶ自分で買ってたじゃないですか。それがなくなったっていう時、次の日に用意されてた時の感動した覚えはね、あったし。プロになったのかなって思いましたけどね。

── 大きくなっていくと、5人の関係って微妙にどんどん成長していくと思うんですよ。で、真矢さんて5人のなかでのムードを作るキーの人だと思うんですけど。最初の頃から今までに至るまで、メンバー間の関係が変わっていくじゃないですか。そういうものをいい意味でプレッシャーになったり、悪い意味でプレッシャーになったりしたことは多々あると思うんですけど、いちばんメンバーが変わっていったのを実感したりとか、忘れられない話とかありますか?

SHINYA interview うーん? どうでしょうね? 初めの頃というのは、「やっぱりこの5人カッコいい」と思って、自分の心のなかでもね、5人がいるだけで。初めの頃って、本当に今と同じような感じで、この5人でいるだけでもね、すごく満足してたんですけど。だんだんだんだんバンドが大きくなってくると、他の4人がライバルのような感じがしたきたんですよね。それは、自分のドラムスタイルに於いても、音楽に於いても、キャラクターに於いても。「こいちがこうやるんだったら、もっと上をいかなきゃ俺まずいんじゃないか?」みたいな。強迫観念じゃないですけど、そういうふうななんて言うんだろう? 自分自身に追い込んでしまうようなプレッシャーを感じた覚えはありますね。そうされないと、他からナメられる、とかね。まだ自分が確立されてないじゃないですか。いくらライヴハウスをいっぱい回るようになったからって。例えば雑誌社とか、雑誌のインタビューとかでもなんて言うんだろう? 「自分にインタビューされなかったらどうしよう?」とかね。「他のメンバーの言葉ばっかりで、自分のページがなかったらどうしよう? だったら喋ってやれ」そういう無理繰りにやってた時のプレッシャーみたいな覚えはありますね。だから、今のキャラクターとかも、ぜんぜん出す余地もなかったんですよ、その頃っていうのは。時代が俺のキャラクターじゃないと思ったんですよね。やっぱりお化粧してて黙ってて、暗く喋ったほうがいいんじゃないか? みたいな。今思ってみれば、すごく微笑ましいんですけど、その時の俺は、なんかそういうふうな、いつもハングリー精神というか、燃えたぎっているような感覚はありました。

── 1年間の休止を決める時に、真矢さんはそれをメンバーから言われた時にどう思いました?

 あのね、うーん? 自分がピンとこなかったのと、ソロをやりたいと言ったメンバーの「いいじゃん」っていう感じ。それはすごくいいことじゃないかなと思ったのと同時に、自分にフィードバックさせてみると、俺はべつにやりたくない、みたいな感覚でしたね。

── メンバーが言い始めるんじゃないかと感じ始めた時期ってあります? 

 どうでしょうね? それはでもなかったね、逆に言うと。ずっとこのままいくんだろうと僕は思ってましたからね。でも、そんなに驚くわけでもなく、それはやっぱり「この音楽をやめう」とかね、「好きな音楽をやろう」と思って集まった5人じゃないんですよ。一人一人好きな音楽かぜバラバラで、でもその楽器を持たせりゃいちばん光ってる人間が集まってるんで、やっぱりそれぞれの好きな音楽って別なんで、そういう面もあるんだろうなとは思いましたけど、僕のなかでは、そんなことは、その時は考えもしなかったですね。

── 1年間一人でやってて、不安とか感じだこことはありませんでした? 

 不安はいっぱいありましたよ。不安があったからこそっていうか。僕の場合はなんて言うんだろうな? ドラムはもう叩かないって決めちゃったんで、その1年の間にね。ドラムを叩いて作品にしないっていうことを決めたんで。それはなぜかというと、これは今だから言えるんですけど、やっぱりLUNA SEAでRYUちゃんの後ろでね、ドラムを叩くっていうことは、自分にとっての一番の聖域で、いちばん大切な部分なんですよ。そこを汚したくないっていうかね。例えばLUNA SEAがその字反で、横浜真冬の野外の横浜スタジアムの時点で解散してしまったら別の話なんですけど、LUNA SEAはあくまでも活動休止。また戻るとこがあるんだったら、なんて言うんだろう? 他の血を入れたくないっていうかね、LUNA SEAだけのドラムでいたいっていう感覚があったんで。だからそれを取り除いちゃったんですけどね。だからこそやっぱり不安もあったし、毎日が新しい発見で楽しさもいっぱいありましたね。

── 思ってもみなかった1年間一人になって良かったことって何ですか? 

 良かったことですか? 思ってもみなかったこと? うーん? 「もう休みたくない」っていうとこまで休めたことですね。これはやっぱりLUNA SEAを8年間やってて、そんなことビタ1日なかったんですよ。1ヶ月の休みとか、曲作りの期間とかあったんですけど、去年、1月から3月4月に入ってちょっとぐらいまで、何もせずに家でなんて言うんだろうな? ボーッとしてたんですよね。その時にやっぱり家にかかってる何か聴きたい音楽はLUNA SEAが多かったし、その時に一人で考える時間があったからこそLUNA SEAって大切なんだなって思えたし。また、RYUちゃんがテレビでね、歌ってる姿を見ると、「RYUちゃんカッコいいな」とか、そういうことも思えたしね。それが一番よかったことじゃないですかね。また、こんだけ休むと、「俺は走り続けてないといけないのかな?」みたいな。「こうやって止まってしまったら良くないんだな」って本当に心から思えたしね。

── ドラムは何ヶ月ぐらい叩かなかったんですか? 

 何ヶ月もなにも、1年のうちに叩いたの、ドラムセミナー合わせて10回ぐらいですからね。10ヶ月のうちね。

── 楽器って、毎日触ってないと不安になったりしませんでした? 

 なんないですね。僕の場合、レコーディングとかツアーとかをやってる以外は、こういう今みたいなプロモーション期間とかも、いっさいドラムを触んない人間なんで。さっき言ったみたいに、いちばん初めに思った感覚そのまんまで、お勉強になるのは本当に嫌なんですよ。毎日触ったら、重箱の隅を突ついてるみたいで、本当に細かいドラマーになったと思うんですよね。俺、それがすきごく嫌で。自分なりの表現をしたくて、うまくならない努力をしてますね。

── そこまで言い切れるっていうのは、じつはものすごい自信があると思うんですけど。

 どうでしょうね? 

── その裏にはどんな自信があるんでしょう?

 うーん? わかんないなぁ。やっぱりこれはバンドに通ずることなんですけど、どんなにうまい人でもね、LUNA SEAの今の太鼓はおれしか叩けないだろうという感はありますけど、他には自信ないよ。ドラムうまいとは思ってないし。

── デビューした時、1年間の活動休止が終わった時、みんなこのバンドで音楽で見てた、たどりつけないかもしれないゴールってあるじゃないですか。変わりましたか? そのゴールって。

 デビュー当時はですね、うちのバンドは短期間のうちに燃え尽きるバンドなんだろうなと思ってました。でも今は、みんな白髪になるまでやりたいようなバンドですね。

── 真矢さんて、ドラムを叩く楽しさをみんなにわかって欲しいって、けっこうよく口にする台詞じゃないですか。ドラムを教えに個人の家に行ったりとかもしてましたよね。ドラムっていう気持ち良さを、休止が終わってまた始まった時に、どう思いました? なんでドラムにとり付かれたんだろうと。 

 さっきも言ったみたいに、ドラムセット自体はあまり好きじゃないんですよ。どんどん嫌いになってくんですよ。でも、ドラムを使って表現することっていうのは、本当に俺にはなくてはならないものですね。と思いましたね。やっぱり俺は、去年、歌をうたっていろいろ音楽っていうものに対して勉強したんですけど、やっぱりぜんぶ返ってくるのはドラムなんですよね。やっぱり俺、ドラムで救われたことっていっぱいあるし。はっきり言ってドラムがなければこういうふうに喋ってる機会もなかったし、うちのメンバーにも巡り会えなかったし。なんて言うんだろうな? こんだけ個人のね、山田真矢っていう人間をね、世の中に知ってもらうことも出来なかったし。だから、ドラムに感謝してる面が多いんですよ。でもね、僕の場合はたまたまドラムがそうであって、ドラムセミナーとか回ってるのは、何がなんでもみんなにドラムをやって欲しいから言ってるんじゃないんですよ。何か自分の得意なものを一つ見つけて欲しいと思って。そうすれば絶対に人生は変わるんだっていうことを言いたいんですよね。ドラムセミナーでもう一個言いたいのは、今のドラムの参考書とかいっぱいあるんですけど、基本的にあれはドラムやってる人向けですよね。あんなのドラムやってない人が見たって何が何だかわかんないし、興味も湧かないと思うんですよ。じゃなくて、俺は「ドラムをやりたい」というきっかけになりたいなと。ドラムはお勉強じゃなくて、叩けばこんだけ気持ちいいもんなんだよっていうことを単純に言いたいから。

── 自分のやってる音楽でどんなことが出来ると思ってます? 

 自分がやってる音楽でですか? うーん? そうですね、やっぱり究極の理想って言え>ば、慰めることが出来たらな、みたいな。世の中、悲しい人って多いですよね。まあ、世の中っていうわけじゃないですけど、人間一人一人悲しい瞬間ってすごく多いですよね。それを慰めることが出来ればなと思いますね。

── 少し慰めることは、今まで出来てきたんでしょうか? 

 どうでしょうね? やっぱりファンレターとか読んでると、「慰められました」とか「目が覚めて人生変わりました」とかね、そういう意見の子ってけっこう多いんで、そういうのを見ると非常に嬉しいですね。音楽をやっててよかったなと。音楽をやっててっていうかね、LUNA SEAというバンドで。LUNA SEAっていうバンドのイメージって、もちろんLUNA SEAっていうのは、この5人が作り上げて音楽とかを発信してるんですけど、この5人以上にすごく大きいものがあって、それに俺たち5人はやらされてるんじゃないか、みたいな感覚ってね、時折するんですよ。だから、それは神様か誰かわかんないんですけど、そういう人に俺はドラムという楽器を通してね、この4人に巡り会わせてもらって、音楽をやらされてて良かったなと思いますね、そういうファンレターとか見ると。

── 話し足りないことはありませんか? 

 大丈夫です。ありがとうございました。

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