CS0009 index THEMSELVES PROFILE information audience
Factory.logoEXIT to TOP

FACTORY721 CS0009 :
THEMSELVES - INORAN

 RYUICHI |  SUGIZO |  J |  INORAN |  真矢


── 今日は、こうしてLUNA SEAのメンバーそれぞれに音楽に関して、音楽に派生する人生のいろいろなこと聞いてるんですけど。最初に「音楽っていいな」「この曲がカッコいいな」って思ったのはいつぐらいの時ですか? 

INORAN interview 中学1年の頃ですね。それまでってぜんぜん歌謡曲も聴いてなかったし。もちろん外国のポップスやらロックやらも聴いてなかったし。なんでしょうね? 友達がそういうふうに聴き始める頃っていうのもあったし。僕、神奈川に住んでたんですけど、神奈川のテレビでそういうヒットチャート番組をやってて、それをたまたま見たのかな、その時からですね。

── 小学生の頃ってどうういう少年だったんですか? 

 小学生の頃は野球やってて。小学校4年から6年ぐらいまで。野球少年だったですね。

── 外で仲間たちと遊ぶことが多かったんですね。

 そうですね。普通の子供でしたよ。なんか、今はどうだかわかんないけど、釣に行ったり、クワガタとりに行ったり、野球したり、サッカーしたり、校庭で遊んだり。普通だったと思うんですけど。

── 仲間と一緒にいることは好きだった子供ですね。

 そうですね。けっこうみんなと。その頃はつるむって言わないのかもしれないけど、そういう感じだったですね。

── 人って2タイプあると思うんです。つるんで騒げるタイプと、一人がとにかくいいんだっていう。仲間といるほうが楽しいって思い始めたのはいつぐらいからですか? 

 もう小学校、幼稚園ぐらいからですね。ずっと変わらないですね、それは。最近とかほら、やっぱり人に接する機会が多いんで、一人でいる時の大切さっていうのがわかるようになったっていうか。それは取ったりもしますけど、基本的にはずっとですね、もう。だから、家にはいなかったですよ。

── どれぐらいの人数で、どんな悪さして遊んでたんですか? 小学生のと時とか。

 まあ、7〜8人で。べつに悪さはしてないですよ、ぜんぜん。まあ、中学ぐらいまで行くと、その7〜8人で。友達の家が離れなんですよ、プレハブっていうか、離れの部屋で。そこにたまって、音楽聴いたり、何でもない話をしたり。それこそね、酒飲んだりしてましたけど。

── 中学に入って、音楽っていいっていう瞬間をTVKの番組で知ってっていうお話ありましたけど、その曲って何でした? 

 曲はね、どれっていうのはないんですよね。だから、ヴァン・ヘイレンが「1984」出した頃とか、デュラン・デュラン、もちろんカルチャークラブも出てきた頃だし。だから、曲っていうのはないですね。なんか今まで本当に触れたことのなかったものに触れたっていうか、なんか出会ったっていうか。だから、ギターの音に惚れたわけでもないし。なんかいいなと思ってレコードを買いに行ったり、友達に借りたりしてましたね。

── 最初に買ったレコードは何でしたか? 

 あのね、なんだっけな? カルチャークラブですよ。「カラー・バイ・ナンバーズ」っていう。その後にヴァン・ヘイレンとか、クワイエット・ライオットとかですね。

── 小学校の時は野球とかやってて、遊ぶのが一生懸命で、中学校に入って音楽に触れるわけですけど、邦楽っていうものには、その間、日本の歌謡曲とかを聴いてレコードを買おうと思ったことは? 

 ぜんぜんないですね。なんでか知らないですけど、ないですね。もちろん嫌いだったわけじゃなくて、自然に入ってきてたし。でも、買いはしなかったですね。

── 5〜6年生の頃は、きっと遊んでる友達なんかが「誰々可愛い」とか、アイドルが出てきてすごい一生懸命に頑張りったりし始める頃じゃないですか。そういうのを見て、「子供だなぁ」って思ったりしてました? 

 それはぜんぜん。「子供だなぁ。俺は嫌いだなぁ」とか、ぜんぜん思わないっていうか、あんまり俺の周り、そういうのいなかったかもしんない、もしかしたら今考えると。なんか聴いた記憶がない。例えば下敷きとか持ってるわけですよね。そういうのなかったような気がする。たまたまそういう集団だったのかもしれないですね。

── 言葉は悪いですが、違うと思うんですが、硬派っていうか。一生懸命になる対象っていうのは、身体を動かすほうだったんですか?

 そうかどうかわかんないけど、何しろ駆け回ってたイメージはありますね、今考えると。川で投網で鯉をとったり、山に行って、なんかね、夜中に蜜塗ってクワガタとったりっていうかさ。そういう感じだったですね。一生懸命走り回ってた感じありますね。

── その頃、大人になったら何になろうと思ってました? 

 その頃はね、野球やってた頃は、本当に野球選手になりたいって思ってて。本当に俺は甲子園に行くんだって思ってましたよ。野球はすごい大好きでしたね。なんでやめたかっていうと、野球自体は好きだったんですけど、俺がたまたまいたリトルリーグがそうだったのかもしれないけど、なんか練習が暗いんですよね。真剣なのはわかるんだけど。それで、頭を丸めなきゃいけないっていうのもあったし。その真剣なあまり暗いっていうかさ、結果がもちろんすべてだけど、勝負の世界だから。今はわかるようになったけど、その頃は「なんでこんなに暗く練習して、つまんねぇじゃん」っていう。で、やめちゃったんですけど。なんか楽しみながら出来ないっていうか、自分はね。自分だけだったかもしれないけど、それは。

── その次に「楽しめそうだな」って現れたのが音楽だったんだでしょうかね? 

 そうですね。だから本当、出会った時から「音楽っていいな。ずっと生活一緒にしてればいいな」なんて思ってないですけど、なんかそんな感覚はあったような気がする。だから、初めてステレオを買って、家に来て聴いた時の感動。今まで、それまで家にあるのってだいたいラジカセじゃないですか。親父とかはいいステレオ持ってたんだけど、やっぱり親父のは親父ので、やっぱり自分のが欲しいじゃないですか。で、ラジカセってけっこうモノラルでスピーカーが一個で。で、なんかコンポが、ステレオ欲しいなって買って、家に来て、かけた時の感動。音楽のダイナミック感っていうか。テレビでは、やっぱりその頃、そんな今みたいにスピーカーは付いてないし、いいスピーカーとか。そのダイナミック感っちていうのは、今思い出したんですけど、あの時の感動は忘れられないですね。

── 何を聴いたんですか?

 それはね、ジャーニーかなんかだと思うんですけど。ジャーニーの「フロンティアーズ」っていうアルバムだったと思うんですけど。あれの2曲目とか好きだったんですよ。バラードなんですけど。もうその頃からそういう趣向だったですね。哀しげっていうか、わかんないけど。

── ダイナミック感っていうお話が今出ましたけど、そのダイナミック感と、ギターっていうものに手を延ばしたのっていうのは、関係がやっぱりありました? 

 関係はね、ないと思いますよ。その頃って、多分なんですけど、家にいわゆるガットギターがどの家庭にでもあったような気がするんですけど、俺んちにもあったですよ。親父がガットギターすごいウマくて。大学生かなんかの時にやってみたいで、あって。それで音楽に出会うまでは触らなかったんですけど、「あ、ギターだ」って思っただけですけど。それもあるのかな? 音楽を聴き始めて、楽器を手にとってその音楽を自分でも奏でたいと思った時に、まず最初にそのギターがあったからギターてだったかもしれないし。もうその頃はJと出会ってて。Jはベースを持ってたんですよね。で、Jがベースだったら、俺はギターっていうさ、感じだったのかもしれないですね。

── それまで見向きもしなかったんですよね? ガットギター。

 そうですね。

── 父親の反応ってありました? 

 うーん? よく弾いてくれて。最初のほうはでも、親父の目の前で手にとって弾いてなかったですね、多分。それは最近になってかもしれない。やっぱり反応は見せなかったし、俺も反応は見せなかったし。

── それまでぜんぜん興味を示さなかったのに、やり始めてるっていうことに対しては、きっと何かしらのショックは受けてたでしようね。

 そうでしょうね。最初に買ったギターとかも、親に内緒で買ったし。今だから言えるけど。どうなんでしょうね? それは今度聞いてみたいですね。

── 最初に自分が買ったギターは、何のギターですか?

 ストラトタイプのギターですね。当時、ナイトレンジャーっていうバンドがいて、それの人が持ってるやつ。ちょうどその人たちの曲が流行ってて、「あ、これカッコいいじゃん」って思ってそれを買いましたね。

── なんで聞いた曲を自分でやろうって思っちゃったんでしょうね?

 なんででしょうね? 聴いてれば済むことだったかもしれないですよね。何がそうさせたんでしょうね? 何だろう? 何でとったんでしょうね? それは俺にもわかんないですね。何だろうな? 

── コピーする時に、人それぞれだと思うんですけど、例えばステージに立ってる自分をイメージしたりとか、女の子に向かって歌ってるイメージを作ったりとか、メチャクチャうまいフレーズを自分で自己満足に浸るとか、そういうパターンがあると思うんですけど。最初にコピーした時に、そういうイメージってありませんでした? 

 俺ね、信じてもらえないかもしれないけど、ステージに立ってる自分を想像するとか、女にモテたいから何かするとか、鏡の前で練習するとかはなかったんですよ。なんて言うのかな? 自分がもうちょっと音楽に深く入りたいってギターを弾いたのかなって。だから、未だに俺、リハーサルとかよく鏡貼りのスタジオじゃないですか。あれで自分見るの恥ずかしいですもん。あんま見ないですね。家でそういうのもやったこともほとんどないし。そういうのないですね。

── 楽器を弾くことの魅力って、やっぱり自分で思うフレーズをうまく弾けるか弾けないかって、そういうところに走って行ったんですか? 

 だからやっぱり自分で音楽を作ってみたいって思っただけかもしれないですよね。その頃は。

── 生まれて初めて組んだバンドって、すでにその頃Jと一緒にやってたんですか? 

 そうですね。

── どんなバンドだったんですか? 

 いや、もうしっちゃかめっちゃか。もうなんか、いろんなバンドのミックスですね。パンキッシュなのもやってたし、ハードロックもやってたし。その頃ってまだバンドブームのぜんぜん前だし、バンドって認知されなかったから。最初は、体育館とかでやったんですけど、やるの大変でしたよ。やったことないっていうか。だから音楽イコール不良のちょっと進んだ版っていうか、そんな大昔じゃないけど。今だったら当り前じゃないですか。もしかしたら今、エレキが一家に一本あるかもしれないですよね、わかんないですけど。

── きっとどっかで気持ちいい思いしちゃったから続けちゃったんですよね? 

 そうですね。でも、なんかかもっともっと深く中に入りたいって。本当に深く深く入りたいっていう気持ちがあったんだと思うんですけど。

── 深く深く入りたいっていうのは、どんなイメージだったんですか? 学生の十代の頃に音楽に深く入ろうっていうのは。自分がその頃きっと思い描いた、深く入り方っていうのがあったと思うんですけど。

 えぇとですね、まあだから多分、最初はコピーしてるので、コピーする前は、もっとたくさんいい曲が聴きたい、たくさん歌を聴きたいっていうのがあって。で、ギターを弾き始めてからは、多分、最初はステレオで音楽に合わせてギターを弾きますよね。で、重なれば重なるほど、うまく弾ければ弾けるほど重なっていくじゃないですか。それが気持ち良かったりもしますよね。そのうちバンドのコピーをやりだして、例えばそのコピーしてる対象の人に対して「お? 本物っぺぇなぁ」っていうかさ。自分がなり切ったりもするじゃないですか。それが良かったので。で、今度自分のオリジナルを作り始めると、なんて言うのかな? やっぱり過去に聴いた曲、その時に聴いてる曲よりも、もっともっと自分の感覚にフィットしたいい曲を作りたい、自分が気持ちいいような曲を作りたいっていう感じでやったんだと思うんですけど。

── 初めて曲を書いたのは幾つの時ですか? 

 えぇと、中学3年ぐらいですかね。もう、今思えばね、モロ他人の、憧れたアーティストのコピーみたいな感じだったと思うんですけど。でもやっぱり、「自分はいい音楽を作りたい」って今は言えるけど、やっぱりその当時は、例えば自分が気持ちいい曲を書いたつもりでも、自分で聴くのも恥ずかしかったし。みもっと言えば、バンドのメンバーにそれを聴かせるのも恥ずかしかったし。でも、バンドのメンバーとセッションしてりして、また変わってくじゃないですか。「ここは、こうしたほうがいいな」とか「もっとこういう自分の好きな要素を入れたいな」っていうので、どんどん作ってったと思います。

── 最初の自信作って、いつできました? 

 自信作ですか? まあ、18ぐらいだと思うんですけど。かと言いつつ、さっきみたいに恥ずかしかったと言いつつ、最初から自信作だと思うんですけど。本当に自信作っていうと、メジャー1枚目の曲ですね。「やっと出来た」っていう感じがしたのは。

── 言葉を変えて言うと、メジャーの1枚目が出るまでは、半信半疑みたいなところがあったんですか? 

 いや、もっとなんて言うんですかね? 「もっと良くなるだろう」とか心の隅で思った。そこまでは達成感はあるっていうか、満足感はあるんだけど、もっともっとっていう。

── 高校の時に、18のラインを越えるためには、進路っていうのがありますよね。これは悩んだりしませんでした? 

INORAN interview でも、俺が行ってた高校って、神奈川って高校入るにも、中学である程度決まってて。しかもその高校ですっごい頑張れば大学とか入れたですけど、遊んでたし。俺が住んでたとこって大学があって、あんまなんか、いいなって思わなかったのね、その人たちを見てて。「こんなになりたくないな」って思ったし。逆にもう音楽っていうのに出会ってしまったから。だから親父とも話したし。だから大学に行けば他にやりたいこと見つかるかもしれないし、出会いもあるかも知れない。で、親は大学っていうと、将来のためにそういう学歴とかもあるしっていうのあるじゃないですか。でも、結局、大学行ってもみんな遊ぶわけじゃないですか。一部の人は勉強してると思うけど。だから、そんなの俺は、べつに大学に行かなくても遊べたし。逆にやりたいことっていうのは、もう見えて他っていうか。大学よりもそっちのほうがいいやって。半年ぐらいは、やっぱりもめましたよ。殴り合いもしたし。でも、最終的には、俺っていう個人を認めてくれたっていうか。で、大学は行きませんでした。

── いつ頃から音楽でやっていこうっていうイメージが自分のなかに出来ました? 

 もう中学で出会った時からですね、厳密に言うと。でも、高校ぐらいからは本当に、遊びながらもやったし。あ、でも真剣に本当にやるっていうか、なんか何もかもそっちに傾けるっていうのは、高校卒業してからですね。高校の時は、やっぱり真剣にもやってたけど、やっぱり違うところで遊んでたし。疎かにはぜんぜんしてないけど。

── LUNA SEAの5人になる前、どれぐらいのバンドを経験しました? 

 でも、お遊びとか、そういう文化祭とか考えたら10個ぐらい。

── 10個見てきて、合うわけですよね。それまでやってきた人たちと、明らかに違う、みたいなことを感じたんですか? 

 うーん? その頃は、高校の頃っていうのは、「すげえウマいな」って、うまさがぜんぜん違うなっていうか。その頃「こいつは真剣にやってるぜ」とかは思わなかったけど、そこまでは。でも、10個っていっても、Jと一つは本筋でやってて、あとは文化祭のノリで。例えばそういうスタンダードなやつをやったり、ポップスをやったりっていう感じですよ。その高校の時に真矢君とSUGIZOと、なんかの拍子にね、文化会館みたいなところで。そのへんの音楽好きな奴、バンドやってる奴を、例えば平塚とか、隣の市とかで集めてやろうよってなって出会ったんですけど。でも、うまいなと思いましたよ、二人とも。

── 出会って、インディーズ経てデビューに至ってくわけですよね。やり始めた時にメジャーになるっていうのはイメージの中にありましたよね? 

 うーん? そうだね 。どうせやるんだったら。どうせやるんだったらっていうか、やるって決めたからには、やっぱりね、本当にみんなに知ってもらいたいし、みんなに聴いてもらいたいしっていうのはありましたけど。メジャーデビューは目標でやってたわけではないし。でもね、今もなんかそういう目標っていうのは、その頃も、こう言ったら他のメンバーに怒られちゃうかもしれないですけど、バンドでなんて言うのかな? いわゆるバンドじゃなくても良かったかもしれない。音楽に、本当にスタッフでも、ライターさんでも良かったかもしれない。何しろ音楽漬けになっていたいっていう感じですね。メジャーデビューする前のインディーズの頃っていうのは、さんざん「君たちはロックじゃない」とか、オーディションとか落っこちちゃったり、雑誌も載せてくれなかったりしたから、それはね、何がロックじゃないのかっていうのは、自分たちでそれをみんなに知って欲しかったし、自分も知りたかったとっていうところで、メジャーっていうか、ビッグっていうか、本当にいろんな人に聞いてもらえたらなっていうのはありましたけど。

── バンドでなくても良かったっていうのは語弊があるかも知れませんが、バンドでなくても良かったのにどんどん勢いが付いていくわけじゃないですか、メジャーになっていくと。ファンもたくさん付いてきて、自分では想像しなかったこともたくさん起ってきますよね。そういうので悩んだりした時期はなかったですか?

 バンドじゃなくても良かったのにっていうことで? そのへんではぜんぜんないっていうか。だから勘違いして欲しくないのは、バンドじゃなくても良かったから、バンドじなゃなくても良かったっていうんじなゃなくて、バンドやってるからには、自分自身が満足出来るものやんなきゃしょうがないし。根底の部分でバンドじゃなくて良かったっていうか。メジャーになってからかな? 何年かした後に、人といっぱい会うじゃなやないですか、こういうことやってると。すごい人に会うんですよ。だから、どの人が友達で、どの人が仕事で、どの人がいい人で、どの人が悪い人でっていうのが、わかんなくなったっていうか。だから、ある意味、対人恐怖症みたいにはなったことありますけどね。それは、いけばいくほど。

── 今でもあるんですか? もう克服しました? 

 ある程度は、わかるっていうか。克服したと思います。でも、波はありますけどね、人間だから。だから、今の考え方としては、そんなね、こと細かいことを考えてても、それ相当の人に会うわけだし、しょうがないっていうか。それじゃない、もっとだから本当に出会えた人っていうのは、例えばね、インタビューをしてて、インタビュアーとバンドマンっていう感じじゃなくて、本当に人付き合いっていうか。だからね、2〜3年ぐらい前に、どこの世界も人付き合いっていうか、人と人の絆っていうのがいちばん大事なんだっていうかさ。何するにも。そう思った時期はありましたけどね。音楽を生むのは、そこなんじゃないかっていうかさ。だから俺が奏でるものっていうのは、ただ俺がやってるわけじゃなくて、こうやって話してる時も、何か入っていくわけだし。地方行ったら地方行ったで、コンサートツアーしたらしたで、「その人に出会わなかったら、この曲はなかったんじゃないか?」とか、そういうように思うようにはなりましたね。だから、例えばメジャーに行ってから、レコード会社の人とかは、「本当にLUNA SEAの音楽を好きでやってくれてんのかな?」とかさ、「これは仕事でやってんのかな?」っていうかさ。あっちも多分、一生懸命やってると思うんですけど、「俺たちはこんなに一生懸命やってるのなんで?」っていう部分もあった時期もあったんですけど。それで「なんで?」って怒るんじゃなくて、もっと根本的に話した時に話して、つながりが出来れば、おのずと何かが変わるんじゃないかなっていうかさ。だから、話す時は壁を取っ払うっていうかさ、そういうことがいちばん大事なんじゃないかなって、今でも思ってますけど。

── バンドとして勢いが付いて来た時に、傍目から見ると、いちばん「これからじゃない?」っていうタイミングでバンド活動休止っていう1年間があったじゃないですか。この話を最初に聞いた時はどう思いました? 「来年1年間やらない、休止しよう」っていう話を。

 最初に聞いた時、1年間っていうか、スタイル作る前は2ヶ月、その前は1ヶ月、やっぱり曲作り期間っていうのがあって、やっぱりそれ以上欲しいなって俺は思ってたし。3ヶ月でも良かったのかもしれない。聞いた時は、1年っていうのは後から付いてきたんですけど。1年っていうか、何ヶ月っていうのは。それはやっぱり欲しかったね。もちろんソロなんてことはぜんぜん考えてなくて。曲作り期間は欲しかった。やっぱり今までのアルバムを越えるものを作りたかったし、それじゃないと嫌だし。聞いた時は、「そうだね 」っていう感じですね。

── わりとすんなり納得できたっていう感じですか? 

 そうですね。「このまま突っ走んないと名前が消えちゃうよ」とは思わなかったし。何しろ、それってあれじゃないですか。変な言い方しちゃうと、もちろん日本でやってるから、日本の音楽マーケットのペースかもしれないけど、でも外国行けばさ、もちろんビッグなのと比べちゃってるけど、2年振り3年振りとかあるしさ。だから、要はだって、いい曲が出来なきゃ次に行けないわけだから、それがやっぱり一番の基盤じゃないですか。いい音楽作る、いい曲を作る、それがなければテレビに出てもしょうがないし、こうやって喋ってもしょうがないしっていうところがあるから、それはやっぱりある程度の期間は欲しかったですね。

── この10ヶ月ぐらいの休暇を終えて再び会って、客観的に5人のバンドを見た時に、どう変わったと思います? 

 えぇとね、戻ってきたっていうことは、戻るっていうか、もう一回再びやるっていう話だけど、戻ってきたっていうことは、やりたいことっていうのは、すごいいっぱい持って帰ってきてるなっていう部分はすごい感じた。音から。なんで音楽を続けてるのかとか、なんで音楽をやってるのかっていうさ、何をやりたいのかってうことが、なんか各自、前よりもすごく明確に見えたんじゃないかなっていうのも感じたし。なんて言うのかな? やっぱり活動休止前っていうのは、いろんな渦があって、やっぱりそれにもしかしたら飲み込まれそうな時もあったし。その頃って多分、なんで音楽をやり続けてるのか、やってるのかって思ってたんだと思うんですよ。でも、帰って来た時には、なんで音楽をやりたいかってな部分に、ちょっと若干変わったっていうか。だから本当にバンドをこの5人でやり始めた当時、「おまえはこのバンドで何をやりたいんだ?」っていうさ、自分に対して、そういうふうには変わりましたね。それが何っていうのかは、わかんないんですけど。わかんないっていうか、言葉では言えないですけど。

── 自分がやっている音楽で、将来、何が出来ると最高に幸せですか? 

 俺自身はですね、なんでバンドをやってるかって、やっぱりいい音楽を作りたいっていうのがあって。何が最高の幸せかっていうと、俺の十代の頃とか、やっぱり恋をしたり遊んでたりした時に、必ず横に音楽があって。一緒に泣いてくれた音楽、思い出の曲もあるし、一緒にエキサイトした曲もあるし。なんかそれって俺はすごいことだと思うんですよ。音楽って本当に人間には必要なんじゃないかなっていうか。だから、みんなの中で、そういう音楽が一人にでも作れたらなっていうか。だから、みんなと一緒に泣いてくれる音楽とか、笑ってくれる音楽、怒ってくれる音楽、楽しんでくれる音楽っていうのが作れたら。それがだから、100万人、200万人とか、10万人とか、5人とか、何人でも、一人でも多く。だから、俺が音楽に出会った時の感動とか、音楽と生活してた時のそういうこととかを感じてもらえたらいいかなっていう。

── 今この時代、どんな音楽を贈りたいですか? 

 どんな音楽っていうのは、特にないんですけど。俺のフィルターを通った、俺が見た世の中、俺が出会った人、それに思った自分っていうのを、自分のフィルターに通して、それを忠実にっていうかさ、出来るだけダイレクトに入れ込めた音楽っていう感じですね。

── 音楽をなんでやり続けてくることが出来たんでしょうね? これからもきっと、やり続けていくと思うんですけど。

 やっぱりだから、なんでそうビビッときたかっていうのは、さっきもあんまり語れなかったんですけど、やっぱり最初に見たり聴いたりした時の感動は、多分、どっかの意識のなかで覚えてるんだろうし。やっぱりさっきも対人恐怖症っぽくなった時期もあったって言ったけど、やっぱりいろんな素晴しい人に、俺がギターをやってて、LUNA SEAっていうバンドやってて、音楽をおってて、いろんな人に、本当にいい人にも出会えたし、素晴しい人にも出会えたし。それが俺、すごい一番の財産だと思うのね。それがあって、その人たちに何を返せるか。僕に例えばそれ、感動を与えてくれたんであって、そういう人たちに何を返せるかって、やっぱりさっき言った、LUNA SEAっていう存在のなかで、ギター弾きとして、ギターで、自分の役目として何を落とせるかっていうところですね。

── 死ぬまできっと音楽やってくと思うんですけど、すごい壮大な目標なんてのはありますか? 死ぬまでには絶対に音楽でかなえたい具体的な夢。抽象的な夢でもいいですけど。

 それはないですね。本当、もっともっとだし。マストっていうか、マックスは考えてないですね。考えられないっていうか。その時点になったら多分、もっともっとってなるだろうし。

── すごく広い質問ですが今まで活動続けてきて、いろんなことがあって、また5人集まってやり始めて、そういう歴史を踏まえて、INORANさんにとって音楽って何なんでしょうね?

 音楽ですか? うーん? 俺、個人的だと、人生ですね、俺の。生き様ですね。人の生き様ですね。人の絆です。

── 最後に一つだけ。これを最後にします。この5人じゃないと絶対にダメだって思える理由は何ですか? 

 俺からしてみれば、闘うっていうか、ライバルとしてとか、一緒にいろいろ闘える人としてっていうか、惚れた4人だからですね。やっぱりいろいろ、去年とかいろんな世界の、外国の人とやった時に、やっぱりこの5人って、俺を外して4人、自分はわかんないですけど、他の4人って本当に素晴しいなっていうか。音楽に対する情熱とか真剣さが、やっぱりぜんぜん引けを取らないんですよ。俺もなんかいろんな人とやったけど、それは素晴しいなっていうか。なんか最終目標は違えど、音楽を続けたり、やったりしてる真剣さとか、それはすごい奴らだなっていうか、一緒だなって思ったからですね。

このページに掲載されている写真はすべて著作権管理ソフトで保護され、掲載期限を過ぎたものについては削除されます。無断で転載、加工などを行うと、著作権に基づく処罰の対象になる場合もあります。なお、『フジテレビホームページをご利用される方へ』もご覧下さい。
(C) Fujitelevision Network, Inc. All right reserved.