数々の有力選手を指導する長光歌子さんが
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.70

対談企画 ゲスト:田中刑事選手

 岡山県で小学生の頃にスケートを始め、2011年の世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得。平昌オリンピックでは日本代表となり、現在は歌子先生の下で練習を行っている田中刑事選手に歌子先生とのお話を聞いてきました。

歌子先生と話すようになったのは―

長光歌子先生

ちょっと時は飛んで高校生くらいになってからだと思います。

そうだよね。臨海で頑張って練習しているのを見かけて、良くなってきていると思ったら世界ジュニアで銀メダルを取って、興奮して林先生にメールしたのを覚えています。本当に上手くなったし嬉しかったですね。

高校1年生の時ですね。

大輔も世界ジュニアに出場したのが高校1年生の時だったから、後ろからついて来てくれている!という峻烈な喜びがありました。

髙橋大輔と歌子先生や指導者の存在―

当時から大輔さんはいるだけで空気がガラッと変わりますし、昔からジャンプの記憶よりもステップがかっこいいという印象が強いです。それからは同じリンクで見るというより、テレビなどの映像で追う感じです。歌子先生の存在も一緒に「あ、先生がいる!」って映像で確認しているというか(笑)ただ先生方からは「昔は怖かった」と聞かされていました。

当時は私もすごくスパルタな部分があったから、刑事君より2代前くらいの生徒はそうかもしれないですね。円を描くコンパルソリーの練習を毎朝6時から始めるんだけれど、私が動いてコートが擦れる音がすると、生徒の肩が怖くてすくみ上っていたと言われるくらいでした。教えていくうちに私も一緒に成長できたのかもしれないですね。

意識して変えた部分などありますか?

大輔たちの一世代前の選手たちを教えていた時に、否定じゃなくて少しでも良かった部分を認めてあげるということを教えてもらって、徐々に変わっていったと思います。ちょうどその頃選手たちと海外の試合に行くようになって、海外の練習とか海外の先生たちを見ていたら、怒りつけるのではなくきちんと説明してあげる先生が多かったんです。リンクサイドでもそれを感じたので、それも変わったきっかけのひとつかもしれないですね。

選手側からすると、僕は褒める先生も怖い先生も両方必要だと思いましたね。

厳しい先生は絶対必要だと思う。それは年齢にもよるし、これから刑事君も指導者になるのだったら若い時にだけできる指導もあるから、そこも忘れずにやって欲しいと思います。

今まで教わった先生の教え方ももちろん受け継いでいきたいですし、いろいろな先生も見ていきたい、観察してみたいと思います。

それこそさっきの話で、連盟の佐々木先生がすごく上手だったと思うんです。大輔も遊びの延長で楽しんで、気がついたら上手くなっていたって言うんです。楽しいから長く滑れるし、長い時間リンクにいたいと思える。ここはちゃんと気をつけないといけないと思うんですが、私たちプロはきちっと教えてしまうんですよ。そうすると上手になるのも早いんだけど、行き着くところも早いというか、楽しくやっていた時間が長い選手たちは長くやりたいと思ってくれている気がしています。

佐々木先生はオンオフがきちっとしていて、例えば練習スタートする時にリンクで走り込みじゃなく、最初の5分は鬼ごっこしようみたいなことを急に言い出すんです。そんな日もあれば、そういうこともない真面目な日もあったりして、交互に上手く遊ばせていましたね。

そういうプロデュースが上手ですよね。小学校の先生だったこともあり子供たちの心理をよく掴んでおられると思います。

そこは今後佐々木先生にいろいろ聞いてみたいと思います。

田中刑事選手

歌子先生との思い出について―

3年くらい前に歌子先生とアメリカに振り付けに行った時、僕は英語が全然できないので、歌子先生が付いてきてくださり、そのときが一番長く一緒にいました。

つい最近だよね。マッシモ(・スカリ)さんが振り付けを担当してくれていて、私も通訳というほどではないけれど、振り付けとかスケートに関する言葉は全然苦労しないから。

デトロイトは本当に何もないところでしたね(笑)。

そうなのよ。ダウンタウンに行くと危ないし、毎日リンクとホテルの往復だったよね。1度だけマーケットに行く時ものすごい大雨で、星南と3人でずぶ濡れになって、マーケットに入ったらすごく寒くて震えて(笑)。夏に来てこんなに寒いことがあるんだっていう思い出がありますね…。あとは毎日のようにステーキを食べていたかな。

そうですね。先生がせっかくアメリカに来たんだからお肉を食べようとおっしゃって。

赤身が美味しくて、一番間違いないからね(笑)。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)