数々の有力選手を指導する長光歌子さんが
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.66

対談企画 ゲスト:江畑幸子さん

小学生の頃にバレーボールと出会い、2008年にVリーグの2部チームに入団、2012年にはロンドンオリンピックの代表に選出され、28年ぶりの女子バレーボールメダル獲得に貢献した江畑幸子選手に歌子先生とお話を聞いてきました。

2021.9.3

谷本歩実さん
江畑 幸子(えばた ゆきこ)
江畑 幸子(えばた ゆきこ)
1989年11月7日生まれ。小学生の頃にバレーボールと出会い2008年に2部リーグのチームに入団、チームの1部昇格に貢献した2012年にはロンドンオリンピックの代表に選出され、28年ぶりの女子バレーボールメダル獲得に貢献した。2021年3月に現役を引退。

バレーボールとの出会いについて

私の両親は二人ともバレーボールをしていて、子供にもやらせたかったのですが、私が通っていた小学校にはバレーボールのチームはありませんでした。ですが私の母はコーチの資格をとり、その小学校でバレーボール部を作ったんです。

すごいお母様ですね(笑)。

今思えばすごいですね(笑)。私は運動神経が良かったので「バスケ部に入って!」とか、幼稚園から水泳をやっていたこともあったので、いろいろな競技に誘われましたが、小学校3年生の時に母が作ったバレーボール部に一期生として入りました。

江畑さんにはお兄さんもいらっしゃるそうですが、お兄さんもバレーボールをなさっていたんですか?

兄は中学校から高校までやっていましたね。

私がフィギュアスケートの現役選手の頃、後にバレーボールでは初の女性監督になられる生沼(おいぬま)スミエさんのファンで、テレビにかじりついてよく見ていたんですけれど、今はその当時のバレーボールのルールとは全く変わっていますよね。なので最近の感じがわからなくて質問がとんちんかんになってしまわないか心配です(笑)。

私が始めた頃も、ルールが変わる前でした。なかなか点数が入らなかったり、すぐに負けてしまったり。始めて1~2年はそうでしたね。

やっぱり競技の展開が遅くて、時間がかかるということで変わったのでしょうか。

そうですね、今はラリーポイント制で必ず1点が入りテンポが良くなりました。

私は東京オリンピックの大松(だいまつ)博文監督の頃からファンになっていったので、1試合にとても時間がかかっていたのを覚えています。江畑さんはVリーグの2部から日本代表に選出されたそうですが、とても珍しいことですよね。

珍しいですね、当時は私だけでした。

それは監督の目にとまったということでしょうか?

そうですね、当時は1部と2部の差が本当にすごくあって、1部はすごい立派な体育館で試合をして、2部は地方の小さい体育館で試合をするという感じだったのですが、ある日2部の体育館に眞鍋政義監督が試合を観に来られたんですよ。珍しい事なのでとても目立っていて、周囲から「エバ(江畑選手のあだ名)のこと見に来たんじゃないの?」と言われました。その時は「そんなんじゃないですよ~」と言っていたのですが、その年に代表に選んでいただいたので、私を観に来てくれたんだという事が分かりましたね(笑)。

それだけ評判になっていたんですね!その後2部の所属チームも1部に昇格していかれるんですよね?

そうですね。

凄いですね、チームプレーですから一人が抜きんでてても昇格はできないですよね。江畑さんの活躍がチーム全体のレベルを上げていったんでしょうね。

それも少しはあると思うのですが、後に全日本に選ばれる選手が結構いたので、元々昇格できるようなメンバーは揃っていたんだなと思います。

やはり2部と1部では練習の厳しさは全然違うものなのでしょうか?

チームによると思いますが、その時の日立佐和リヴァーレ(現・日立リヴァーレ)というチームはメンバー全員が社員で、当時は午前中会社に出勤して、午後から練習だったので大変でした。他のVリーグの選手の多くは午前も午後も練習したと思うんですけれど、私たちは会社に行く分時間が少ないので朝練をしたり夜遅くまで試合をしたりというのはありましたね。

それは仕事中も眠くなりそうですね。

本当に眠たかったです(笑)。とても言いにくいですが仕事中は貴重な休める時間でした(笑)。

そして江畑さんはフランスのチームにも行かれていましたよね?

フランスのRCカンヌというチームに行っていました。私は以前から海外に憧れていたので、言葉の壁など大変な面はありましたが、本当に行って良かったですし、すごい経験ができたなと思います。

言葉はフランス語ですか?

いろんな国の選手がいるので、フランス語と英語が半々でした。アメリカ出身の選手もヨーロッパの選手もいて、そして監督は中国の方でした。

すごいインターナショナルですね(笑)。ではメインは英語だったのですね。

そうですね、英語なんですけれど監督がフランス語で話すときはセルビア人のチームメイトに英語に訳して伝えてもらっていました。

フランス語はとても難しいですよね。でもパリは美味しいものが沢山ありますね(笑)。

パリの街は大好きです、本当に美味しかったことしか覚えていないです。基本的には自炊をしていたんですけど…太りましたね(笑)。

日本の食材は結構あるんですか?

あったんですけど凄く高かったですね。アジアンマーケットというアジアの物がたくさん売っているスーパーみたいな所があって、チームメイトが教えてくれて行ったんですけど、瓶の「ごはんですよ」が1,000円とか、納豆が6個で1,000円とか…。

それは厳しいですね。

たまにしか食べられなかったですね。チーズとかハムは凄く安いんですけれど。

私もフランスへ行った経験がありますが、本当に何を食べても美味しかった記憶がありますね。アジアンマーケットの食材は高いですけどそれがあるだけでもちょっと幸せじゃないですか?

そうですね、海外で「ごはんですよ」に出会えた時はすごい幸せでした。

わかります(笑)。

谷本歩実さん

ロンドンオリンピックについて

ロンドンオリンピックでは私たちは開会式から閉会式までずっと試合と練習の繰り返しだったのであまり印象はありません…。

それはまた、コンディション保つのも大変ですね。

大変でしたね…。開会式の次の日も試合だったので開会式も出られませんでした。「みんなでメダルを取って閉会式は出ようね」って話をしていたので最後まで頑張れました(笑)。

バレーボールはそんなにスケジュールが長いんですね。

たぶん一番長いのではないかと思います。予選リーグが5試合あって、そのあと準々決勝、準決勝、決勝があるので。

選手村の食堂はどうでしたか?

皆と同じ選手村の食堂と、少し遠くて歩くんですけどJOCのスポンサーが開いていた食堂もあって、両方交互に行っていました。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)