数々の有力選手を指導する長光歌子さんが
フィギュアスケート界を楽しく語ります!
歌子の部屋
vol.65
対談企画 ゲスト:谷本歩実さん
小学生の時に柔道と出会い、2001年に日本代表となり「平成の三四郎」古賀稔彦さんの指導をうけ、アテネ、北京では柔道史上初の五輪二大会連続オール一本勝ちによる金メダルを獲得した谷本歩実さんに歌子先生とお話を聞いてきました。
一本へのこだわりについて

谷1964年の東京オリンピックの柔道で日本は負けてしまうんです。「日本柔道敗れたり」なんて言われて。その日本の柔道を初めから支えてきたような方の教え子が私の先生だったので、柔道の本質というものをとにかく指導してくださいました。柔道というものが武士道から流れてきて、一本を取るというのがゴールだという本質ですね。試合での勝利だけを求めて、自分だけ勝ち逃げるという勝利至上主義的な考えをすごく嫌がって、武力で圧するのではなく、共に繁栄していく「精力善用」、お互いに支えあっていく「自他共栄」その精神を仲間とともに築き上げようという指導でした。
私は自分の一本柔道を貫いて、2008年の北京オリンピックを優勝しました。それがずっと4回転に拘り続けたエフゲニー・プルシェンコさんとオーバーラップしたのか、オリンピック後に「女プルシェンコ」って言われたんですよ(笑)。フィギュアスケート大好きだったのでうれしかったです。
歌そうなんですね!!
試合の間で一本勝ちをするという事は、どこかで瞬発的に100%の力を出さないといけないと思うのですが、5分って結構長いじゃないですか。その間集中を切らさずに、どこかで100%の力を出す練習というのはどのように培ってきたのでしょうか。
谷ベストを尽くさなければいけないのは、たった5分間なのですが、その5分というのは1460日の中の5分なんです。オリンピックのための4年間をたった5分間で結果を出せるように毎日を積み重ねる、逆に言えば毎日ベストを尽くすことによって、決定的な5分間であってもベストを尽くすことができるのです。基本的には全てが自然体になるように毎日練習に挑んでいます。
歌自然体で挑む…荒川さんがトリノで金メダルを取った時に、既に試合が終わった大輔がずっとそばで見ていて、それをすごく感じたらしいです。
谷私の恩師で亡くなってしまった古賀稔彦先生が一流と二流の違い、二流と三流の違いという事をよくおっしゃっていました。三流の考え方はいつでも頑張ろう、いつでもできるという考え方。二流になると今日できることをやりながら明日も同じ結果が出せるようにと考える。一流になると、その日に必ずその日のベストを尽くせるようになる。「1460日の1日たまたま調子が悪いんでお休みしますというのは許されないだろう」という事ですね。常に今日がオリンピックだったらということを考えろという風にやってました。畳に入るために歩き出すとき、「その何気ない一歩がオリンピックの舞台に繋がっているんだ、お前の踏み出す今日の一歩はそれでいいのか」と問われているんですよね。
歌厳しいですね。
谷厳しいですよね。そうやって毎日を過ごして、一日一時間一分一秒一歩をそういう風にやってきてるんで、舞台に立った時でもしっかりと自分の芯が全部出せるように準備はしていました。
歌「僕はトリノオリンピックで舞い上がってしまって、朝から何も食べられなかったのに、荒川さんはいつもと一緒だった」って。次のバンクーバーに選ばれたらそうなりたいとすごく思ったみたいでした。
谷そうなんですね。自分でも勝ちたい思いが強いので、技術以外の寝る練習、食べる練習も必要になります。前の日に寝る練習をもう何度も繰り返したり、朝ごはんをしっかりと同じものを繰り返し食べたりします。おにぎり1個で何時間力が出て、どれくらいでパワーが切れるか、つなぎで食べたりも必要なので、そういったことも練習したりとか。話をしているとおそらく共通する部分があるのかなと思います。
歌寝る練習とはどんなことするのでしょうか。
谷寝る練習は自律神経をコントロールします。緊張すると交感神経が優位になって眠れないので、副交感神経を優位にするために深呼吸が一番簡単にできるんです。子供にやると「眠れない」なんて言いながらスゥハァスゥハァしているとそのうちコンって眠ってる(笑)こんなに効くんだと思っちゃいます。
歌なるほど。食べることはフィジカルへの影響も多いと思いますが、心理的にもそうですよね。
谷そうですね。大きいですね。お味噌汁に入っている出汁がセロトニンの分泌を促してくれたりします。
歌栄養学ですね!
さきほど古賀先生と二人三脚でやってこられたとおっしゃってましたけど、何が一番の思い出ですか?
谷亡くなってしまって、いろいろ思い出してはいるんですけど、出てくるのは楽しかったことばかりなんですよね。バカ話をしたことや、二人でいろいろと苦労もしてきたけど、最後は笑っている。そうやってすごく寄り添ってくれていたところですかね。でも一番大きいのはやはり気持ちの部分を指導してくださったことだと思います。一回戦負けの覚悟とオリンピックで金メダルをとる覚悟を兼ね備えて初めてオリンピックに挑むスタートラインに立てると言われました。
歌古賀先生自身、すごくいろんな経験をなさっていて、それをそのまま託されたんでしょうね。
谷本当にいろんなものを、苦労してきたものを指導してくださっていたんだなと思います。感謝しかありません。

フィギュアスケートについて
谷フィギュアスケートは好きでよく見ています。柔道選手は職業興味検査というのがあるんですけど、4人に1人が職人気質に分類されるそうで、技を磨くのがすごく好きな人たちの集まりなんです。私も技を磨くのが好きで、フィギュアスケートの人たちの技術を見るとわくわくします。
歌技を磨くっていうのはすごく狭く深くいくものですけど、谷本さんは医学博士でありながら、母親としてもしっかりやられていて、マルチでやられているじゃないですか。
谷ありがとうございます。2008年の北京オリンピックを連覇して、引退を考えた時に私がやってきたことを後世に伝えて受け継いでいきたい、自分にはそういう使命があるんじゃないかと感じました。私は柔道だけじゃなくスポーツに、またほかの分野でもなにか伝えていかなくてはと考えた時に、様々な表現ができるようにという一環で栄養学を学びました。医学的な部分はきちんと数字で示さないと選手たちも納得しないので(笑)。いろいろな世界に行っていろいろな表現を学ばせてもらいました。
歌それはそう感じても、実際に勉強して栄養士の資格を取ろうと実践されるなんて、すごいことだと思います。教えられてる選手のみなさんの年齢層はどんな感じですか。
谷私はずっとトップレベルの選手たちのところで指導していて、それと並行して全日本ナショナルチームのコーチとジュニアのコーチもやっていました。基本的には強化の部分ですね。ですが、フランスに留学に行ったときに生涯スポーツを楽しむ方向けに柔道教室をやってくれと頼まれて、その日行ってみたら集まったのが60、70、80歳の方々。これを受けた時に衝撃で、私はこの方々になにを伝えたらいいんだろうって。みなさんすごい真剣なんですよね。その時にいろいろ考えさせられて、今は楽しむ柔道を自分なりに研究しています。
歌すごいですね!トップのトップから楽しむ部分まで!
- 長光歌子(ながみつ うたこ)