数々の有力選手を指導する長光歌子さんが
フィギュアスケート界を楽しく語ります!
歌子の部屋
vol.65
対談企画 ゲスト:谷本歩実さん
小学生の時に柔道と出会い、2001年に日本代表となり「平成の三四郎」古賀稔彦さんの指導をうけ、アテネ、北京では柔道史上初の五輪二大会連続オール一本勝ちによる金メダルを獲得した谷本歩実さんに歌子先生とお話を聞いてきました。
2021.7.23

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- 谷本 歩実(たにもと あゆみ)
- 1981年8月4日生まれ。9歳の時に柔道と出会い、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックで女子63kg級を連覇した。引退後は大学や専門学校で様々な事を学び精力的に活動。2020年にスケート連盟理事に就任した。
柔道との出会いについて
谷本歩実さん(以降:谷)私は名古屋の南区出身なので、周囲ではフィギュアスケートが人気で、周りの子たちの将来の選択肢に必ずフィギュアスケートが入っているほどでした。
歌子先生(以降:歌)名古屋はフィギュアスケートが盛んですからそうですよね。谷本さんはフィギュアの道に進む気はなかったんですか?
谷今思うと、その道もあったかもしれませんね。
歌中学に入られて、お父様が柔道の方が向いてるというように勧められたと聞きました。
谷そうです。実家の近所にバルセロナオリンピックで優勝した吉田秀彦さんがいらっしゃって、その方の道場に通うことになり、そこから柔道を本気で志していきました。近くに金メダリストがいると、自分もなれるかもと思ってしまって!
歌そういう出会いや、近くに上手な方がいらっしゃるというのは、ずいぶん違いますよね。でも、よくお父様も女の子に格闘技を勧めましたよね…。
谷本当ですよね(笑)。当時の私は男の子と取っ組み合いをするくらい活発な子だったので、父親がそれを見てルールに則って喧嘩をしろと言ったわけです(笑)。背中をつけるまでというルールがあるのが柔道なので、今思えば出会うべくして出会っていると思います。
歌初めて実際に柔道をご覧になった時はどうでしたか。
谷私は今、五輪前という事もあり、授業として子供たちの前で人を投げるんですが、子供たちは「キャー」って悲鳴を上げるんです。痛くないって言っているんですけれど(笑)。でも、当時の私は目を輝かせていました(笑)。

ケガについて
歌投げられた時の痛みなど、怖くはなかったのですか?
谷スケートでも、氷の上で転んで痛いとか怖いと感じる子もいれば、感じない子もいると思うのですが、私も好きの気持ちが上回っていて、痛いとか怖いという気持ちはなかったと思います。
歌実際は痛いんですよね?
谷体にかかる衝撃は2階から飛び降りるのと同じくらいとされていますが、それを受け身で和らげていますね。柔道では最初に受け身を学びます。
歌スケートでも初めに転び方を教えます。力むと痛いという事を覚えて、なるべく力を抜いて転ぶように、そして立ち上がり方を覚えます。
谷畳はまだ柔らかいですが、氷は痛いですよね…。
歌スケートは2階から飛び降りません(笑)。
谷(笑)。
歌ケガの予防というのは、あらゆる運動競技に共通することですが、格闘技のほうがより敏感ですよね。
谷特に柔道はそうですね。
歌谷本さんはケガに関してもすごい経験をなさっていらっしゃいますね。
谷ケガはもう何百回もしてきているので、フィギュアの選手たち、たとえば紀平選手が腰を痛そうにしているときも、柔道で痛めた時の動き方と一緒だからわかりますね。私は前十字靱帯も両膝を手術しているので、髙橋大輔さんが手術された後も、「あれを乗り切って復活したんだ!」という気持ちで観ていました。
歌スケートは自身の動きで起きるケガですが、柔道は相手の力も加わるので回避が難しいですよね。
谷そうですね。ケガをしに行くようなものです。
歌ですが、そんな競技でありながら、はじめられた頃は同性の相手がいらっしゃらなくて、「構えた時に相手がいないと柔道にはならないから、相手がいることに感謝している」という谷本さんの言葉を拝見して、相手に対する感謝だとか尊敬を感じられることが、凄く素敵だと思いました。
谷柔道を始めた頃、周りに柔道をやっている女の子が少なかったです。学校の環境も整っていなかったので、大会に行っても独りきりで、他の学校のみんなは仲間同士でウォーミングアップをして、それから「試合だー!」って行くんですが、私は先生もいなくて心細く感じていました。そして試合で初めて「お願いします」と相手と向き合った時、そこに相手がいる事へのありがたみを感じました。
歌普通はそのくらいの年代の子では中々感じられない感覚だと思います。
谷そうですね。周りの子たちは、もちろん好きな子もいたと思いますが、多くはやらされてやっているので、それも私の場合はまたちょっと違ったのかなと思います。
歌たくさんのケガを乗り越えられた谷本さんにとって、ケガをしたときにアスリートを支えるものは何だと思いますか?
谷ケガをしたときは本当に応援が心に沁みます。いつもは「頑張れ」と言われても「頑張ります!」くらいの、当たり前のものに感じてしまっていたんですけど、骨折をして、試合中に初めて立ち上がれなくなってしまった時、柔道では自分で棄権を宣言して負けることもできるんですけれど、それを柔道の精神の上でしてもいいのか、オリンピックのかかった選考で、夢をここで投げ出してしまっていいのか、でも立ち上がれないし…と顔を上げた時に観客席が見えたんです。見えるじゃないですか一人ひとりの顔が、そういう事ありませんか?
歌見えますね。
谷見えますよね!ぱっと目を向けた瞬間にちょうど「谷本頑張れー!!」って言ってる人が目に飛び込んできたんです。それを見た瞬間に試合中なのに涙が出ちゃって。それで立ち上がって向かって行って、最終的には負けてしまうんですけど、でもやっぱりそういった応援がすごく力になった、奮い立たせてくれたと思います。支えというと家族もあるし、仲間もあるし、いろんな支えがありましたけれど、共通しているのは「応援してくれる人の気持ち」というのが大きかったと思います。
歌それは本当にありがたいですよね。
谷柔道の会場はほとんど関係者しかいないので、応援は本当に少ないんです(笑)。オリンピックや限られた大会だけ一般の方の観戦というのはあるんですけど。フィギュアスケートは本当にすごいじゃないですか。
歌フィギュアスケートもちょっと前までは関係者と家族しかいなかった時期もあるんです。こんなにお客さんが来てくださるようになったのは、本当にここ15年くらいですね。それまで全日本選手権でもガラガラでした。
谷そうなんですか!じゃあ今がすごいんですね!
歌本当にありがたいと思います。
- 長光歌子(ながみつ うたこ)