数々の有力選手を指導する長光歌子さんが
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.63

対談企画 ゲスト:本田太一さん

1998年8月2日生まれ。5歳の時にスケートリンクに出会い、幼少時はフィギュアスケートとアイスホッケーの二刀流で鍛えた。2021年の国体を最後にスケートを引退し一般企業に就職した本田家長男、本田太一さんと歌子先生にお話を聞いてきました。

最後の演技の思い出

長光歌子先生

最後の公の場での演技は1月末の国体ですね。あれはあれでよかったかなと思います。

国体も感動的だったけど、私は全日本のショートに全部持ってかれました(笑)
 最後の全日本前は命を削ってる感じがあったよね。夏までは就活と緊急事態宣言下で、全く滑れていなかったし、シーズンに入り刻々と時間は迫ってくるしどうしようと思っていました。腰も本当に痛そうで。

出発直前が一番ひどかったですね…。
 ちゃんと練習したのは7月からで、スイッチが入ったのはブロック3週間前くらいだったと思います。本当にギリギリ間に合ったというか、ジャンプアップした感じです。

ショートプログラムは本当に泣きました。あの苦労していたプロセスを知っていただけに。

僕は練習中も結構アドレナリンが出るタイプなんで、曲をかけたらジャンプも跳べるんじゃないか?と思って曲をかけてやったりもしたんですけど、それでも跳べなくて…。うずくまってたのが全日本出発の3日前とかでしたね。

いよいよ歩くのも大変そうだったよね。

今考えたら気持ち的なものももちろんあると思うんですけど、腰が痛くて右足も若干痺れるというか、感覚がぼやっとしていたのに全日本前に結構追い込んだら限界までいっちゃって。皆からもトリプルアクセルはやるなって言われました。最後の方はアクセルの練習はせずに、ちょっと滑って帰るみたいな日もありましたね。自分でもよく頑張ったなと思います。

競技生活の中で会心の演技を大会で出せる事はなかなかないから、神様が与えてくれた瞬間のような演技が見られたのが嬉しかったです。

就活について

今の就活はだいたいインターネット越しになるの?

対面で面接したのは1回だけです。ほかの企業はリモートだけで、なかなかやりにくかったですね。下もちゃんと履いて参加してました(笑)。5分前まで寝転がってても面談できちゃうんで、スイッチの切り替えは難しかったですね。

決まった会社は対面での面接だったのよね。スケートの話はしたの?

スケートに関して触れられることが多くて、全日本の出場やインカレでは団体で優勝した話もしました。そこは自分のアイデンティティだと思っているので。
 ただそれが初めての対面だったので緊張しましたね。いつもはオンラインなので手ぶらですが、カバンを持って綺麗な靴を履いて、会場の前でノックって何回が失礼じゃないんだっけ…って思っていたら、コロナの換気でドア開いてましたみたいな(笑)

(笑)

長光歌子先生

独り暮らしの話

家具も自分で選んで完全に「自分の家」というのが、こんなに楽だとは思わなかったですね。
 家に帰って食事が準備されてあったら楽ですけど、それを踏まえても本当に気楽です。あと、自分が結構綺麗好きな部分があるので、家具もちゃんとサイズを測ってキッチリと収まると嬉しいですね。でも大ちゃんほどではないかな…近いかもしれないですけど。

食事は自分で作ってる?

いやいやもう全然です。男の一人暮らしというか、出前やコンビニですね。朝ごはんも、もともとあんまり食べないタイプでした。本当は朝食べて昼食べて夜減らすのがアスリートにしたらよかったんですけど。学生の頃もそれがあまりできていなかったじゃないですか。

それを知っていたら、毎日おにぎり作ってあげたのに(笑)

そうしてもらえば本当に助かりました(笑)。
 今は仕事がそれなりに忙しくなってきて、料理はしないのですが、少し家事が面倒くさくなる日があります。

どうしてもお腹空いてるのに何もできない時は、塩昆布を乗せた白ご飯だけでも食べなさい(笑)

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)