数々の有力選手を指導する長光歌子さんが
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.63

対談企画 ゲスト:本田太一さん

1998年8月2日生まれ。5歳の時にスケートリンクに出会い、幼少時はフィギュアスケートとアイスホッケーの二刀流で鍛えた。2021年の国体を最後にスケートを引退し一般企業に就職した本田家長男、本田太一さんと歌子先生にお話を聞いてきました。

2021.6.23

本田太一さん
本田 太一(ほんだ たいち)
本田 太一(ほんだ たいち)
全日本フィギュアスケート選手権に7回出場、ジュニア時代にはアジアフィギュア杯等で銀メダルも獲得。大学時代はアメリカのラファエル・アルトゥニアンコーチに師事し、帰国後は関大の本田・長光チームに参加。先シーズンを最後にスケートから離れ一般企業へ就職した。妹は真凜、望結、紗来。

お二人の出会いについて

本田太一さん(以降:本)本:5歳からスケートを始めて、小学5年生の頃に濱田(美栄)先生にお声をかけていただいて、関西大学のリンクでお世話になる事になり、その頃にお会いしたのが初めてですね。

長光歌子先生(以降:歌)本当に可愛くてね!よく覚えています。

僕は髙橋大輔さんの大ファンだったので、歌子先生の事はお会いする前から憧れの選手の先生という事で知っていました。
 関大に入ってからはすぐ強化選手の枠に入らせてもらうことになって、当時はすごく人数が少なくて狭いコミュニティの中で練習していたので、直接お話することはあまりなくても、毎日のようにお会いしてるという感じでした。近くにいるので指導方法とかもなんとなくわかってきますし、大輔さんがやりたいことを優先しながら、先生が的確なアドバイスしているなと感じた記憶があります。
 当時、僕はまだシングルアクセルは跳べるけれどダブルアクセルは跳べない、2回転も全部回転不足くらいで本当に全国的に見ても下の下だったんですが、男子がとても少ない時代だったので、皆さんから目をかけていただいていました。

本田太一さん

本田・長光組に入ったのは

大学3年になってアメリカから日本に帰ってくるという事と、大学でスケートを辞めるという事も決めていたので、15年くらいやってきた中で色々な先生に教えてもらった知識を、自分に合うようにアレンジしながら最後の演技をしたかったんです。選手主体の指導方法や、慣れた関大という事もあり歌子先生、本田先生にアドバイスを受けたいと思いました。
 アスリートとしては間違った目標なのかもしれませんが、「満足できる引退」を歌子先生のところにいたことで達成できたと思いますし、後輩たちにも何か残せたんじゃないかと思います。

自分のスタイルがある人を、型にハメ直すというのは良い事ではないと思っているんです。
 中性的なスケーターが多い中、太一君はとても男らしい演技が魅力で、もっとその部分を出しやすいようにスケーティングを磨くのが良いと思いました。氷とエッジがとろけるようなスケートを滑ってほしいと思って指導していました。

普通に外で走るような体力はあると思うのですが、スケーティングが上手くなくて「もっと効率よく演技ができるはずなのに」と、気持ちの部分は強くあったのですが、それが体力不足につながっているのを感じていました。本田先生にジャンプ、歌子先生に演技全体をしっかり分担してみてもらっていたのですが、それがとてもやりやすかったです。田中刑事くんに誘われて参加した合宿で初めて歌子先生の指導を受けて、一言アドバイスをもらって、それについて自分で考えながらやっていくのがしっくりときました。

合宿で私がアドバイスした事をとても良く聞いてくれていて、ずっと地道に繰り返し練習をしてくれていましたよね。小さなことだったので続けていく事はなかなか難しいんですけれど、ずっと続けていてくれたのでとても感心しました。全日本の前になると吉野晃平コーチと2人で熱心に準備をしていて、何番滑走だったらこうしようみたいに、色々な事をすごく想定して練習していたのも見ていたし、練習の甲斐あってスケートも上手くなっていると実感しました。以前のスケートからすると全然別格になっていましたから。

スケート界全体も段々と選手主体の指導方法に変わってきている気がしますね。

私は太一君からラファエル(・アルトゥニアン)先生の所で得た知識をもっと聞いておけばよかったと思いました。だってすごい体験をしているわけじゃないですか。ラファエル先生の所の指導は一貫していると聞くし、そういった経験をもっと聞く時間が作れたらよかったのにと思っていました。

今でもあの時の経験ははっきりと覚えています。
 ラファエル先生の一番凄いところは「変えない事」だと思います。僕が知る限り、彼の生徒で1番昔のトップ選手はアレクサンドル・アブトさんなんですけど、アブトさんのジャンプの跳び方と今のミハル・ブレジナ選手の跳び方はよく似ています。スケートの様態が変わっていく中で何も変えずにチームラファエルとして、彼は「オーガナイズ」と言っていましたが、組織がしっかりと構成されていると感じました。ラファエル先生も奥さんもサブコーチもトレーナーまでもが全員、全く同じようにナレッジを共有しているんです。彼の「オーガナイズ」はスケートを教える組織としては最先端であり、そのスタイルが昔から共有されているという所に凄さを感じました。

アメリカの中でもそこまで組織化されてるところってあまりないよね。

そうですね、ラファエル先生のところかコロラドスプリングスのチームくらいじゃないでしょうか。ラファエル先生のところは様々なチームから一時的に選手が教えてもらいに来ることが多かったです。

「ジャンプが崩れたらラファエル先生のところに行け!」みたいに言う人もいるよね。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)