数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.20

対談企画 ゲスト:佐々木彰生先生

氷上のエンターテイナーとして人気を誇り、引退後は浪速のスケートリンクで指導者として働き始めた佐々木彰生さんにお話を伺いました。

思い出に残っている大会

佐々木彰生先生

現役時代、思い出に残っている大会はありますか?

そうですね…。2012年の真駒内で行われた全日本選手権ですね。あのシーズンはすごく充実感があったんです。練習もやり切ったと思えるし、結果が悪くても試合がものすごく楽しかったのを覚えています。前の年の全日本選手権で納得のいく演技ができず、リベンジしてやるという気持ちで臨んでいたシーズンだったのでいい演技ができたと自分でも実感がありました。その時の達成感は本当に「やってやった!」みたいな感覚で初めての体験でしたね。

※2012年全日本選手権 佐々木さん総合8位

あの時佐々木さんは大学生でしたよね?

はい。大学4年生の時ですね。

その時のプログラムは…。

ショートプログラムが「ブゥードゥー・ピープル」でフリーが「ジプシー・ダンス」です。あの時のプログラムがすごくお気に入りでした!

いつも振り付けは佐藤(操)先生ですよね。

はい。小学生の頃からずっと操先生ですね。

操先生もとても才能のある方で、素晴らしいプログラムを作ってくれますよね。

そうですね。操先生に振付けていただいても、いつもご本人には勝てないんですね。(笑)一緒に踊っていて何か違うんですよね…。

インストラクターになったきっかけ

高校生から大学生の始めの頃は、インストラクターになるなんて全く考えていなかったんです。それでも大学生の後半くらいからですかね…。佐藤亜希子先生や佐藤操先生のようになりたいと思うようになりました。元々の僕の計画ではもっと現役を続けている予定だったのですが、病気でだいぶ早めに引退することになったんです。

ご病気をされていたんですか。

そうなんです。掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という病気なのですが、それで本当に色々と悩んで引退することになりました。

それからインストラクターを目指したんですか?

そうですね。インストラクターになりたいって思ったのは、僕は家庭的に正直あまり裕福じゃないんですが、自分みたいなお金もなく、運動神経もずば抜けているわけでもなく、頭も良いわけでもない。ただ滑ることや踊ることが好きな人でも夢を見せていただけたので、そういう道を子供たちにも見せてあげたいって思ったんです。

そうだったんですね。若いのに素晴らしい考えですね!それでどうして大阪だったんですか?

僕は現役時代ずっと神奈川スケートリンク(現:横浜銀行アイスアリーナ)で練習をしてきたので、他のリンクの方との交流もあまり多くなかったんです。自分の事をよく知っているリンクでこのままインストラクターをやると、甘えみたいなのが絶対に出てくると思ったんです。だから何も知らない上に、かつレベルの高い大阪でやってみたいなと思ってきました。

考えが本当にしっかりされていてすごいと思います!実際に大阪でやってみていかがですか?

正直なところインストラクターは本当に大変な仕事だと感じています。先生方が本当にスゴいことをやっているんだなって思います。今は全力で頑張ってはいるのですが、忙しすぎて努力まで手が及んでいるかというと言えません。今は一日一日を一生懸命頑張ることで必死です。

日々の生活を作っていくのが大変ですよね。

そうですね。それでも、今すごく充実しています!

それは素晴らしい!!

今僕がインストラクターをしている浪速スケートリンクは、下の子から上の友野一希選手まで、全員を見させていただいているんですよ。

それは大変勉強になりますね!クラス分けなどはあるんですか?

貸切時間は個人レッスンなのですが、誰がどの選手を受け持つとかではなく、先生たち全員で生徒を教えています。「おーい」って呼ぶとみんなやってくる感じですね(笑)僕も、スピンもステップもジャンプも全部教えています。シフトも特になく僕は毎日います。

それは本当にすごいです!私は佐々木君が大阪に来てくれるなんて思ってもみなかったので、佐藤亜希子先生からお電話をいただいた時は本当にびっくりしました。

インストラクターの楽しさと難しさ

実際に教え始めていかがですか?

一言で言うと面白いです。色んなタイプの選手がいて、一人一人全然伝わり方も違うということを初めて体感しました。でも僕は自分で言うのもなんですが(笑)まだ若いですし、選手上がりで生徒と年齢も近いのでそこが強みかなと思っています。生徒たちに共感することで楽しく練習してもらって、明日も練習にきたいなと思ってくれるようにできれば良いなと思っています。例えば友野一希選手の場合、チームのトップであることの辛さがあると思うんです。それでも一緒にステップを踏んであげたり、一緒に走ってあげたりする事で刺激になればと思っています。

それは友野選手にとっては嬉しいですよね。佐々木さんの場合、何よりの強みは生徒たちよりも走れるところですから。一緒に走ってあげたり動いてあげたりできるのは強みだと思います。シニアの厳しさを教えてあげないといけないです。

はい!チームでのコーチングなので先生も選手もサポートしていけるようになりたいと思っています。

トレーニングなども付き合ってあげているんですか?

やりたいとは思っていますが今はまだ時間が取れていません。

今悩んでいることなどはありますか?

インストラクターは生徒との信頼関係がとても重要なので、生徒一人一人が違うということを、ちゃんとわからないといけないのが難しいですね。こうやれば成功、こうやれば失敗というのが一人一人違うんです。日々探りながらやっています。

生徒だけではないですからね。親御さんたちもいらっしゃいますし、佐々木さんは親御さんたちよりも年齢が下なので特に気を遣うかもしれませんね。

あとは物事の伝え方ですね。選手の時にも感じていましたが、改善点を伝える時にストレートに言ってできる選手もいますし、例えば「右手は後ろで何かをつかんでいるようなイメージで」というような想像を用いることでできるようになる選手もいます。本当に様々でそこがこの仕事の難しいところでもあり、やりがいでもあるのかなと思います。歌子先生はいかがですか?

私も日々どう教えようかと悩みながら今日まで来ました。教えるのが下手だ、といつも反省しています。

そんなことはないと思いますが…(笑)

本当にずっと下手だなって思っていますね。だからこそ伝わった時は嬉しいですよね。

先生のほうが喜んでいることはありますせんか?生徒が新しいジャンプを初めて降りた時、本人は平然を装いながらリンクサイドに戻ってくるんですが、「よっしゃー!今の良かったじゃん!!」って僕の方が喜んでいたりします(笑)

(笑)生徒と先生は人間同士っていうのが面白いんでしょうね。成長を見ていけるというのが楽しいんですよ。

あとは、あまりにも今まで滑っていたリンクと違いすぎて戸惑うこともあります(笑)

浪速のリンクは選手の数も多いですものね。寒いですし(笑)

そうなんですよ!めちゃめちゃ寒いんですよ(笑)

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)