NONFIX過去放送した番組

取材日記(1)

2002年1月30日 水曜日

今年はRandy Rhoadsがこの世を去り20年。
3年ほど前からあたためていた企画が、世紀を超えてやっと実現しようとしている・・・。

いよいよ明日はRandyが生まれ育ったL.A.に向けて旅立ちの日。
今夜も現地取材対象者のインタビューの打合せをしているが、そんな出発前夜のオフィスでは波乱の幕開けが・・・。

何と!取材する予定だったS氏が同行不可能という事態に直面。
そこで白羽の矢が刺さった人物が某メーカーのK氏である。
K氏は、大のRandy Rhoadsファンであり、今回の番組企画にも多大なる協力を得ている人物なので、是非同行して頂きたい!
出発前夜なので果たしてスケジュールの調整が可能かどうか疑問ではあるが、とにかく相談してみない事には・・・。
打合せもほぼ終わり、そろそろ核心に迫る質問をK氏にしなければいけない。
「話は変るけど明日からの取材、一緒に行きません?」と唐突に切り出してみたところ、K氏は「はぁ~!?」と言ったきり一瞬固まった。明らかに困惑と動揺の様子である。
しかし、数分後には携帯電話でスケジュールの調整を始めてしまったK氏!
急遽明日からの取材に参加が決まったK氏は困惑しているものの、思わぬ展開に高揚している気配が伝わってくる。
その後、フジテレビのF氏も加わり深夜まで打合せは続いた・・・。
この日の出来事は「事件」の始まりに過ぎなかった・・・。



2002年1月31日 木曜日

夜も明けきらない早朝、2月1日に予定されているOZZYとSharonのインタビューのスケジュール調整のため、L.A.に電話を入れる・・・。
実は、昨日Sharonより急遽1月31日に変更できないか?との相談があったが、我々も準備の都合があり、OKの返事は出していなかったのである。
電話で我々の返事と1日に取材ができるか確認をしたところ、31日も1日も「NG」との回答に愕然とする。
一体どうすればいいのやら・・・。
不安を抱えながらも成田空港へ向かい、到着して間もなくK氏と合流し航空券を購入する。
そうなのだ・・・K氏のチケットを買う時間さえ無かったのだ。
昨日深夜(正確には今日である)の打合せのせいか、お互い疲れが残っているが、気分は上々。
旅立つ前にお土産を購入し、ボーディング・ゲートへと向かう。
機内では前日の急展開をお互いに振り返り、これからの取材への緊張と興奮が混ざり合い、妙な空気に包まれながら一路ロサンゼルス国際空港へ。



2002年1月31日 木曜日(アメリカ合衆国)

気流の関係で予定より早めの到着。
空港ロビーで待つ事数分。今回の取材に同行してくれるJさんが迎えに来てくれた。
私は再会を喜びつつK氏をご紹介。その後JさんのオフィスがあるVan Nuysへと移動。
車中でスケジュールの再確認をしつつ、日本を旅立つ前の数日間に起きた様々な出来事や、K氏が参加する事になった経緯を説明。
ひと盛り上がりしている間にオフィスへ到着。
簡単に打合せを済ませてすぐ、取材用の照明機材をピックアップするためBurbankのレンタル機材屋さんへ移動。
到着して予約しておいた機材を確認すると、
うっ!今回の取材には余りにも大きすぎる照明。しかしこれが一番小さい機材との事。
車のトランクにどうにか納まる程の機材を載せてVan NuysのオフィスへUターン。
オフィスに着いて早々、そそくさと照明機材を組み立ててみる私。ちょっと不安・・・。
予定ではOZZYとSharonのインタビューであったが、キャンセルになったので、スーパー・マーケットに寄り、飲み物や明日の朝食を購入してホテルへ戻り明日の準備をしつつ就寝。
私はほとんどジェット・ラグの影響は無いけど、K氏はお疲れの様子。
そーいえばK氏、機内で映画を観まくっていたな~。
日本に電話とメールをしたいのに何故かホテルの電話回線が使えない・・・。



2002年2月1日 金曜日

今日はRandyが永眠している"San Bernerdino MountainView Cemetary"へお墓参り。
K氏もJさんも私も初めてRandyのお墓へ行くので、すぐに見つかるか不安だったが、写真で見た白い大きな石碑は敷地に入るとすぐ左手に在り、意外と呆気なく見つかった。
ん~、想像では迷いながら見つかるものと思い込んでいたので、ちょっと期待外れ。
しかし素晴らしいお墓である事には変わりなく、施された彫刻も素敵だ!
早速お花をお供えし、「Randy、こんにちは」と心の中で呟いた。
私はカメラを回し、K氏は持参したピックをお供え。最後に記念撮影をした。
この日K氏は親愛なるRandyと対面するため、何と水玉模様のトランクスを履いての墓参だったらしい。
オフィスを午前中に出発したものの、撮影を終える頃は既に柔らかい西日が石碑に当っている。 スプリンクラーの水飛沫がキラキラと輝いて見えたのは私だけだろうか・・・。



2002年2月2日 土曜日

今回の取材で最初の人物はKelly Garniである。
彼は現在Las Vegasに住んでいるため、朝からフリーウェイをとばしてベガスへGo!
実は、L.A.が思っていたより寒く、途中のアウトレットで防寒着を物色するも時間が無い。
荒涼とした砂漠地帯を走り5時間程でLas Vegasに到着。
教えられた住所で連絡を入れるとオフィスが移転したらしい。
地図を見ながらやっとオフィスに到着すると、何と、Kellyがオフィスの窓からこちらを覗いている気配が!
機材を降ろし入り口へ向かうと本人がドアを開けてくれた。やっとKellyとご対面。
服装はハットにブーツというカウボーイ・スタイルで格好いいし、とてもきさくで、紳士なKellyである。
彼が所蔵しているアルバムには、ライブチケットをはじめ日本からのファンレターなど、ぎっしりとストックされていて、在りし日の想い出が沢山詰まっていた。
インタビュー終了後、彼自身が所有するQuiet Riotの様々なライブを収めたVTRを観せて頂くが、何と!このVTRを今回の番組のため我々に貸してくれるとのハプニングが!
撮影も終了し、彼のオフィスを出たのは午後8時・・・。
慌てて出発するものの、間もなくショッピングモールへ入り、やっと防寒着を購入して食事を摂る。
今しがた取材を終えたKellyの話題で盛り上がりつつ、L.A.に戻るため再び車を走らす。
砂漠をドライブ中、ふとダッシュボードの外気温計に眼を移すと何とほぼ0度である!!
窓越しに見上げた夜空の星がとても綺麗だった・・・。



2002年2月3日 日曜日

今日はインタビューも無く、街の風景などを撮影するためL.A.をドライブ。
Randyがギターを購入したと言われている楽器屋さん"West LA Music"を探したり、地元で活躍していた頃に演奏したライブハウスを撮影したりと東へ西へ。
途中、行列する程人気のあるホット・ドック屋さん「Pinks」にてチリ・ドックに舌鼓。
Sunset Blvdに在る"Whiskey a go-go"やHollywoodの"The Starwood"跡地を訪ねて撮影。
夕方は観光名所でもあるサンタモニカ・ピアで夕日に染まるビーチを撮影して終了。
今日の昼までほとんどバーガーが主食だったので、今夜は和食を堪能した。
夕食後ホテルに戻り、K氏と明日のインタビュー内容の打合せをするものの、なかなか内容がまとまらないうちに深夜になってしまう。
明日はいよいよ"MUSONIA"でRandyのお母上Delores Rhoadsにご対面。
しかも、兄Kelleと姉のKathyも参加してくれるのである。ここは是非、家族ならではの話しを聴けたらいいな・・・。
K氏はジェット・ラグでダウン寸前。私も緊張からか、疲れが少しずつ溜まっているが、やっとホテルの電話回線が使えるようになった為、仕事の連絡と、気になっている友人へのメールで今夜も睡眠不足に。



2002年2月4日 月曜日

澄みきった青空。天気がいいな~。
今日は"MUSONIA"でのインタビュー!集合したオフィスからは十数分で到着。
チャイムを鳴らすとDelores Rhoadsが出迎えてくれた。
部屋に案内され、そこかしこに飾られているRandyの写真を眺めていると、兄Kelleと姉のKathyも現れ、しばし雑談をしつつ機材のセッティング・・・。
最初は兄Kelle、次いて姉Kathyのインタビュー。
おもに、"弟Randy"について語って頂いた。KathyってRandyにそっくり~。
続いてDelores Rhoadsのインタビュー。
同じアーティストとしての立場と、母親としての両方の立場から質問をしてみたが、やはり家族!
とても貴重で素晴らしいコメントを頂けて、インタビューは大成功。
買いこんできたサンドウィッチで昼食。
Deloresは「とっても美味しいわ」と言いながらペロリと食べてくれた。何だかとても嬉しい!
昼食後、教室内に置かれている遺品の数々と、今回の取材のために準備して頂いたギター「水玉V」を撮影したのだが、ギターを触るときはRandyの魂に触れるようで滅茶苦茶緊張してしまった・・・。
Randyが教え子達にレッスンをしていた部屋に行くと、とっても小さなアンプとパイプ椅子に置かれたクッションが、当時のままの状態で置かれていた。
"MUSONIA"での取材も終了し、Deloresの家へと向かったのだが、何と84歳になるDeloresがキャデラックを運転しての移動!さすが車社会のアメリカ。
先日、Kelly Garniにインタビューをした際に話題になったのだが、家に着くと庭先にはRandyの愛車が停めたままの状態で埃を被って置かれていた。
玄関先でRandyが書き残した譜面を見せて頂き取材は終了したのだが、「水玉V」の状態があまり良くなく、ペイントがクラックだらけになっているのが残念だった・・・。



2002年2月5日 火曜日

今日はRudy Sarzoがインタビューに応じてくれる。
場所はVan Nuysのオフィスに併設されているスタジオを借りての撮影なので移動は無し。
日本を出発する前夜の打合せで決めていたのだが、"After Hours"のVTRを観ながらRudyに当時を振り返って頂こうと思っていたのだ。
インタビューも順調に進み、Rudyに「VTRを観ながらお話しを聞かせてください」と伝えると、「ははは、僕は何回も観てるから観る必要なんかないよ」とRudy・・・。
しかし、"After Hours"のVTRがモニターに映し出されると食い入る様に観だしたRudy。
画面を見ながら「彼がイギリスで手に入れたマーシャルもあるよ!」とか、「アームを使う代わりにネックを曲げていたんだ」など、番組収録時の事やRandyのギター・プレイについてなど、本当に懐かしそうに思い出し、饒舌に、そして克明に語ってくれた。
RudyはQuiet RiotとOZZYと2つのバンドでの思い出があり、今回のインタビュー時間では余りにも短かすぎたのかもしれない。
しかし、彼の言葉は強烈に心に残った・・・。
インタビューの最後、「20年か・・・」と呟いた時のRudyの表情に涙ぐんでしまった。

L.A.での取材を申し込んでいた人物はOZZYとSharon を除きRudyが最後だったのだが、滞在中にアポイントを取っていたJoe Holmesから夕方連絡が入り、インタビューに応じてくれる事になった。ラッキー!
急遽決まったインタビューのため、取材内容を打合せする時間さえ無かったが、K氏が「大丈夫、任せて!」と言ったのでインタビューはK氏におまかせ。
夜10時過ぎ、友人と共にVan NuysのオフィスまでわざわざJoe Holmesが来てくれた。
彼は"MUSONIA"でのRandyのレッスンを受けていた教え子でもあるので、どの様なレッスンを受けたか等も聴いてみたところ、天才ギターリストRandyは教師としても優秀な人物であった事をJoeが熱く語ってくれた。
予定では今日の夜中、L.A.からN.Y.へ移動して、N.Y.在住のライターJohn Stixのインタビューを行うつもりだったのだが、移動時間がない!
急遽N.Y.のスタッフが取材する事となり、ひとまず取材終了!
はぁ~。肩の荷も降り、今夜はゆっくり眠れそうだ。
ん?OZZYとSharon、それとZakkの取材は・・・?。

(続く…)