数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.13

対談企画 ゲスト:渡部文緒先生

髙橋大輔の専属トレーナーとしてチーム大輔を裏から支えた渡部文緒トレーナーにお話を伺いました。

北海道でのスケート合宿について

渡部文緒先生

北海道で合宿を始めてもう7年になりますね。

(髙橋)大輔が引退した年、一度青森で行いました。

北海道で合宿を始めたきっかけは、渡部さんが札幌出身で北海道の施設やロケーションなどよくご存知で、また各方面のお知り合いも多いということが大きかったですね。

昨年から二年続けて苫小牧ですね。選手たちにとって苫小牧は宿舎やその周りが大自然に囲まれていて、そういう所もいい経験になると思っています。

今回はみんなよく頑張っていますよね。

上の子たちが増えてきて合宿経験者が多いからでしょうね。特に今の大学4年生の選手たちは、ちょうど私が初めて歌子先生のグループについた時期にいた生徒たちで、初めて会った時は小学校6年生だったので付き合いも長いですね。

田中刑事選手、上野沙耶選手が一番古いよね。

長いですね。

(髙橋)大輔も泣きがよく入る子だったけど、沙耶ちゃんも泣きがよく入る子で、渡部さんによく助けられてたけど、最近渡部さんがいないのできっと渡部さんの存在の大切さを切実に感じていると思います。

メンタル的には(髙橋)大輔とよく似ていますね。

でもよく頑張ってここまでやってきたなと思います。今年は3か月間練習を犠牲にして就活に没頭していました。関大のキャプテンもやっていますから。成長を感じられるというのはこの仕事の醍醐味かなと思います。今年が最後の合宿の生徒たちの事を考えると、感慨深さと寂しさがありますね。

フィギュアスケートや新体操は一人の先生にずっとつくことが多いじゃないですか、サッカーなどは学校やクラブによって全然違う人に師事するんですけど、フィギュアスケートは第二の親みたいな感じですよね。

その分ケンカもしますけどね(笑)私も女ですし、フィギュア界は女性の多い世界ですから、(髙橋)大輔が成長していく過程で、男の人の仕事振りとか考え方であるとか、そういう部分に大輔が直に接して、色々学んだり感じたりしてほしいと思っていました。ご両親から離れて、私の家に下宿していましたから、お父さんの背中のかわりに、渡部さんや私の主人を見て成長していきました。ニコライ(・モロゾフ)やカルロス(・アビラ・デ・ボルバ)も周りにいたけれど、言葉の壁があり意思の疎通が十分とは言えなかったので、渡部さんと出会えたのは、大輔にとって凄く良かったと思います。

高橋大輔さんについて

(髙橋)大輔との思い出で一番残っているのは何ですか?

バンクーバー五輪の年ですかね。彼は本当に周りに気を使う人じゃないですか。その気遣いが彼自身の中でストレスになってしまって、辛そうだった時期がありましたね。

私と渡部さんにはそのイライラをぶつけるんですよね(笑)渡部さんは我慢してくださるけど私はケン カになってしまって。バンクーバー五輪の年はケガもあって色々辛かったですし、でもそれを一緒に乗り越えられたから渡部さんとは親友みたいな関係になったのでしょうね。

あの年は僕にとっても本当にいろいろ考えさせられる年でした。(髙橋)大輔がケガをして、自分はトレーナーという職業なので自分がついていながら選手がケガをしたということに大きな責任があって、僕自身荒んでしまっていて、トレーナーどころか人生辞めそうになりました。でも、家族に衝撃的なことを言われて自分の状態に気づいたんですよね。

なんて言われたんです?

「文緒が元気じゃなかったら、髙橋大輔さんも無理じゃない?」って言われました。

はーすごい、本当にいい奥様なんですね!!

これ奥さん自慢話じゃないですよ!!(笑)

バンクーバー五輪で銅メダルだった後、(髙橋)大輔と渡部さん二人で号泣していましたよね。それを見てすごいことをやったんだと思いましたね(笑)あの時結果は銅でしたけど、私達にとっては金メダルですよね。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)