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第65回(2003.01.08)
まえのひと >>

齋藤秋水

「羊関」読者の皆様、明けましておめでとうございます。記念すべき羊年の第1回目を担当!という事で、感無量です。
し・し・しかし64回も続いていたのに、「何故私にオファーがないのか?」悶々とする毎日、もう3000日以上の夜を迎えました。
私は、ポーの父ですから、娘はポーの姉になるわけですが、当時1歳で、原マスミさんの「夢の駅」を聞かせると夜泣きが収まっていた娘も、小学校4年生ですヮ。 皆様に何の話をすれば良いのか?考えたのですが、やはりポー誕生の裏話が興味有るのでは、ということで、そもそものきっかけをチョッピリ話します。

STRAY SHEEP(ストレイシープ)を、電波に初めて載せた番組は1994年4月19日24:55〜25:25の深夜番組「文学トヰフ事」(現在スカパー!フジテレビ739にて好評放送中!)第2回放送『三四郎』篇(視聴率なんと視力検査並みの0.7%)の名文コーナーでした。小説中、この言葉の意味を青臭い大学生の田舎者だった三四郎は最後まで理解できないままでした。この番組を一緒にやっていたジーワンの小島美佳ちゃん、高瀬真尚氏、片岡啓君と、この官能的なフレーズの意味を朝まで議論したのを思い出します。
小説中、STRAY SHEEP(ストレイシープ)は、マドンナの美彌子が雲の形を見てつぶやくのですが、「そういう形の羊のぬいぐるみが作りたいなぁ…」と妻と話したのが始まりだったのです。ぬいぐるみを作るには、まずスポンサーが付かなくてはならない。そうだ!スポットを作って深夜に流そう、そう思い立ちました。

そして、今考えれば、大変傍若無人ななふるまいだったと反省していますが、ちょっとブラックなところが持ち味の野村さん(ズル番長)のキャラクター案に2〜3回ダメ出しをして、“ぬいぐるみになった時にいかに可愛くなるか”だけをポイントにして決めたのがJOCX MIDNIGHTのIDスポットでした。
初めて世の中にお披露目したのは1994年10月10日(月)25:16から30秒間の“Submarine篇”…それからは苦労の連続でした。

どうしてもぬいぐるみが見たい!

当時、MD開発部という所にいた植村綾女史に、「とにかくぬいぐるみを作ってくれるメーカーを捜してきてくれ!」と脅して台湾の業者に発注したサンプルのぬいぐるみは、現在のポーのぬいぐるみとは似ても似つかないお餅のネズミみたいな失敗作(まだ持ってますが)。中々スポンサーが見つからない時に、「まぁ次の未年が本当の勝負だから…」と無責任に言い放ち、本当に未年になってしまいました!
本当に感慨深い2003年を迎えられた事を感謝したいと思います。
担当者も関係者も幾何級数的に増え、野村さんの工房にはお弟子さんもいました。私の我が侭に付き合ってくれた多くの皆様、そして最初の動機付けになった深夜番組「文学トヰフ事」のスタッフの皆様、本当に有り難うございました。この場を借りてお礼を言わせていただきます。

最後になりますが、斎藤家のポー年賀状で締めさせていただきます。
今年もよろしくお願いいたします。

羊をめぐる関係 第65回


次回は野村辰寿さんが所属するロボットの取締役であり、企画開発部長の加太孝明さんです。日頃の作者の行動など、裏話が聞けそうです。


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