もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう

2025年10月1日スタート 毎週水曜よる10時放送

インタビュー

『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』三谷幸喜

脚本・三谷幸喜 インタビュー

ドラマの情報解禁以降、大きな反響を呼んでいますが、どのように受け止められていますか?

自分としては久しぶりの連続ドラマですが、今の自分が書けるものを精一杯書いたつもりですので、たくさんの方に観ていただけたら嬉しいなと思っています。

今回脚本を手掛けるきっかけは?

20代の頃、渋谷のストリップ劇場でアルバイトをしていた体験をもとにして物語を紡いでいます。25年の間、民放の連ドラをやらなかった理由、それから今回やることになった理由というのも特に何かがあったわけではなくて、NHKの大河ドラマやスペシャルドラマを書かせていただいているうちに、徐々に離れていき、気がついたら25年も経っていた、という感じなんです。
あと、昔一緒にやっていたプロデューサーの方々がだんだん偉くなって、現場を離れていかれて、そうすると、僕にオファーしてくれる人もいなくなってくる。でも、僕は常に門を開けていたんですが、オファーしてくださる人がいないと僕が勝手に書くわけにもいきませんし(笑)。今回、金城綾香プロデューサーが話を持ってきてくださって、そこで、“ぜひやりましょう!”となりました。そこで何をやるかってなったときに、いろんなアイディアを金城プロデューサーも出してくれたし、僕も考えました。また、自分がまた入っていく連ドラの世界を知ろうと、あらためて連ドラを拝見してみました。そうしたら、やっぱり僕が書いていた頃とは、いろんな意味で変わっていて。そこで、現代の令和の世界で生きている人々の、生々しい生態や活き活きした会話を、僕が書くのは少し違うな、と感じました。だったら、自分にふさわしい題材は何かと考えた時に、時代劇や歴史劇としての1980年代を書くのであれば、僕にしかできないと思い、そこからこの物語が始まリました。

かつてとは違う、ドラマ作りの変化のようなことを感じましたか?

台本制作にあたっては以前とプロセスは一緒なんですけども、撮影が始まって何回か見学に行って、現場の雰囲気が昔と全然違っていたのでびっくりしました。ものすごく静かなんですよ。25年前は、毎日学園祭のような賑やかさがあって、隣で撮影している役者さんが遊びに来ていたり、局の偉い人が顔を見せにきたり、みんながワイワイやっている感じがすごく印象に残っていたんです。もちろん、スタジオの中に入れば、以前と同じなんですが、そこは少し寂しかったです。

主演の菅田将暉さんは、三谷さんが脚本を手掛けた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出演されていました。その頃は、あまり菅田さんとお会いにならなかったというお話も聞きましたが、今回はどうだったのでしょうか?

今回は菅田さんと現場でお話したり、食事もしましたが、そこで芝居の話、役についての話などは、あまりしていないですね。食事の際、金城プロデューサーと戸塚純貴さんもご一緒で、そこで、戸塚さんが何かトンチンカンなことを言うと、僕と菅田さんでツッコミを入れるみたいな感じでした(笑)。また、そのときに僕と菅田さんで同じようなツッコミ方をすることが何回かあったので、年齢が離れていても、何を面白いと思うかという感覚が近いんだなと気づかされました。それは戸塚さんのトンチンカンさが功を奏したのかもしれないですけども、菅田さんとはとても話しやすい感覚があります。

菅田さん演じる久部三成にはモチーフになった方がいらっしゃるのでしょうか?また、なぜ演出家を主人公に据えたのでしょうか?

このドラマで描かれる1984年、僕は自分で劇団を作っていて小劇場の世界にいました。そこでいろいろな演出家や俳優さんを見たりする中で、なんとなくイメージに近い人はいます。僕の中では、久部は早稲田大学のOBのイメージですね。日芸(日本大学芸術学部、三谷の出身校)ではないです(笑)。
ただ、実はキャラクター設定は、まずシェイクスピアありきなんです。登場人物それぞれが、シェイクスピアの作品に登場するいろんなキャラクターのモチーフを背負った設定にしています。例えば、久部に関しては最初はハムレットとして登場し、途中からリチャード3世となり、最後はマクベスとなるみたいな、いろんな登場人物を背負ってるイメージです。ドラマの冒頭、劇団主催者の黒崎という男に久部が劇団から放り出されてしまうんですが、その確執みたいなものはハムレットとクローディアスの対立になっている感じです。

シェイクスピアにこだわられた理由は?

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のとき、『ゴッドファーザー』であるとか、『仁義なき戦い』、『アラビアのロレンス』など、僕が今まで見てきて面白いと思った物語のエッセンスを貪欲に詰め込もうとしていた中で、一番参考になったのが、シェイククスピアの歴史劇、イギリスの歴史を基にした『リチャード三世』や『ヘンリー四世』だったんです。シェイクスピアの描く世界観と、鎌倉時代という世界観が、僕の中ですごく合致したんですよね。とにかく、そのときに思ったのはシェイクスピアというのはやっぱりすごいと。いま、僕らが見たり、作ったりしている物語の大半の“種”はもうシェイクスピアが撒いていたんだという実感でした。そこからですね、もう一度シェイクスピアにきちんと向き合おうと思ったのは。とはいえ、彼がやろうとしていたこと、やりたかったことをそのままやるのではなくて、現代に置き換えてみたらどんな物語ができるのだろうかという発想です。この作品は登場人物の名前も含めて、全体的にシェイクスピアが残っています。

『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』のタイトルには、どんな想いを込められたのでしょうか?

これもシェイクスピアのセリフの一つから考えました。物語の後半、ある登場人物がこのセリフを発するんです。そこは、タイトルの伏線回収みたいに、そこへ向かって物語が集約していくイメージです。

脚本を書かれた時に、キャスティングというのはもう決まっていたのでしょうか?

僕の作品、ドラマも映画も舞台もですけど、まずキャスティングありきなんです。逆に俳優さんが決まっていないと何も思いつかないんですよね。というのも、“この俳優さんにこのセリフを言ってほしいな”とか、“こういう芝居を見てみたいな”というところから物語が逆算してできていくような作り方をしているんです。今回に関して言えば、企画自体がかなり早く始まったので、キャスティング中の段階で台本を書き始めました。それは僕にとって新鮮な体験でした。昔、連ドラを書いていた頃は1話のオンエアが始まった時もまだ書いていたし、だんだん追い立てられて、一番大変だったときは次の週にオンエアをする回の本がないところまで追い詰められたこともあった程でした。当時は視聴者の方々の反応を見て、物語を軌道修正したり、登場人物に人気が出てきたら、もうちょっと活躍させようとか、視聴者とコミュニケーションを取りながら後半の物語を作っていくこともできたから、決して悪いことばかりではないと思っていたんですが、本当は悪いことが8割ぐらいでしたね(笑)。
今回はクランクインした時には後半まで書いていたし、中盤ぐらいまで撮影が終わった頃にもう台本を書き終わっていたので、それは僕にとって初めての経験でした。いままでドラマのオンエアが始まった時に台本が書き上がっていたことなんて、大河含めてなかったですから。しかし、物語を煮詰めていく意味でもこれがドラマを作る本来の形なんだなと今は感じています。本が先にできていれば、撮影もスムーズだし、俳優さんたちも自分の役が今後どういう人生をたどるのか、運命をたどるのかをわかったうえで芝居ができるから、悪いことは一つもないんですよね。だからこのドラマはとてもいい形で仕事ができたし、僕自身勉強になりました。

キャスティングが決まったのち、最初に書いたものからその役を演じる俳優の方に合わせて、台本を直したりもされたのでしょうか?

そういう作業は当然ありました。やっぱりその俳優さんの魅力を引き出したいと思うわけで、だったらもっと膨らませようというところで、軌道修正することもありました。

この作品で描かれている、80年代のご経験が三谷さんに生きてる部分はありますか?

…ないですね(笑)。傍から見ると下積みみたいなイメージなのかもしれないけど、その当時からテレビの仕事はしていて、劇団もやっていたので、あんまり自分の立ち位置、やっていることも変わってないんです。厳密に言うと当時、僕はまだドラマは書いていなかったし、『やっぱり猫が好き』をやらせてもらうのがもうちょっと後なのかな。とはいえ、自分の中でストーリー性のあるものを書きたいと思っていたし、その頃からいつかドラマをやってみたいなと思っていました。自分ならどんな物語が描けるだろうと。今回、多くの素晴らしい俳優さんが出てくださっていて、僕を取り巻く環境は変わったかもしれませんし、作品の予算規模も当時とは違いますが、根っこの部分は今と全然変わっていない気がします。

書いていて、ご自身の原点を思い出したということもありますか?

八分坂のオープンセットを見に行った時ですね。坂や街の様子がほぼ僕の印象通りに作られていたんですね。もちろん劇場の名前は違うけれども、ここにストリップ劇場があって、通りがあって、こっち側にアパートがあって、階段上っていくとそこに部屋があって、そこが劇場の控え室になっているみたいな…そこに足を踏み入れた時やっぱり思い出すんです、当時のことを。確実に覚えていたのはその控え室から、階段を降りて、通りを横切って劇場に行って、そこで自分が書いたコントを見ていたこと。その絵が当時も面白いなと思っていて。いつになるかわからないけども、いつか、この話をやりたいなと、若い頃に通りを歩きながら思ったことを思い出したんです。それが今回実現したのはとても貴重な体験だった気がします。

今回、三谷作品初参加の二階堂ふみさん、神木隆之介さん、浜辺美波さんの印象はいかがでしょうか?

僕が普段やっている舞台は、割と年配の俳優さんが多いんです。その中で、今回若い方々とこうやってお仕事させていただくことになって、皆さんの演技を見ると、本当に上手いな、と思いました。人としてもすごくしっかりしているし、宣伝で座談会をやった時も皆さんしっかりと自分の言葉を持っていらっしゃるし、積極的に発言するんです。それは菅田さんはじめ、この4人が特別にスキルが高いのか、世代によるものなのかわからないけど、少なくとも僕らの世代ではあり得ないですね。大体僕らの年代の俳優さんが何人か集まって座談会やると、もうグダグダですからね(笑)。なので、びっくりしました。とにかく、皆さんしっかりしてるなと思ったのが一番の印象です。

撮影現場をご覧になられましたか?その中で印象的な出来事はありましたか?

楽屋や控え室で皆さんが集まって喋っているのを見て、そういえば、『王様のレストラン』の現場もこんな雰囲気だったと思い出しました。みんなで、和気藹々、楽しくやっていましたし、そういうのは昔も今も変わらないなと思いました。ただ、やはりそこに僕が入っていくと、ちょっと緊張感が生まれてしまうのが少し寂しかったですけどね。今は僕が思っている以上に若い皆さんは年齢差や立場の違いをすごく意識されているのに気づかされました。皆さん気を使ってくれるし、リスペクトしてくださっているのはわかるんですが、その空気感に少し居づらさを感じてしまうこともありました(笑)。