・4年前を思い出す。全日本が五輪切符を逃した理由を「身長の低い竹下の起用」と批判され、葛和信元監督が辞任に追い込まれた。しかしこのとき、竹下の心はどれほど傷ついたろうか。2年後に葛和率いるNECを退社し、現役も引退した。同じ年の夏、JTからの強い復帰説得がなければ、柳本ジャパンに彼女の姿はなかっただろう。初日のロシア戦当日、午前の練習を終えてバスへと向かう竹下が口もとを引き締める。「いちばん大事なのは、自分たちが持っているものを、実戦のなかでどこまで詰めていけるかです。それが結果につながってくると思いますから。試合を通じて、一つひとつ挑戦していきたいですね」天国と地獄の分水嶺を知る竹下も、吉原と同じようにやはりストイックだった。「強い者がコートに立つ」と、彼女は言い切れる。総勢18人が集まった3月の貝塚キャンプでは、19歳の荒木絵里香とワンポイントブロッカーの宝来麻紀子が、合宿途中で容赦なく帰宅させられた。吉原、そして9年ぶりの全日本復帰を求められた辻知恵、あるいは竹下、リベロの成田郁久美、センターの杉山祥子ら五輪予選の匂いを知る者、そして何人かの若手を加えた柳本は、独特のチーム作りで選手たちの競走意識を煽ってきた。
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