・柳本監督も、集めたデータを戦術に反映させる指導者として知られている。相手が持っていた日本のデータを逆手に取り、見事勝利につなげたのが、OQT(五輪最終予選)のイタリア戦だった。格下の日本にフルセットの末に敗れたイタリア関係者は、なぜ自分たちが負けたのか、いまだに理解できていないらしい。まさに「柳本マジック」だった。日本が初めてデータ班を結成したのは、88年のソウル五輪だったという。いっぽうイタリア代表は、この当時から本格的なアナリストチームを現場に送りこみ、「データバレー」で結果を出している。日本がコンピューター解析を導入したのが、ようやく94年になってからで、しかもそのターゲットは男子だけだった。その男子が、96年のアトランタ五輪から3大会連続で五輪切符を逃したのだ。女子の取り組みのほうが遅かったにもかかわらず、男子との差は歴然だった。
●「データ」<「人間力」。
・すなわちOQTを勝ち抜いた日本女子代表は、この「ワールドグランプリ」で手の内をさらしたくないというのが通常の考え方だろう。スナヤン・イストラ体育館のどこかで、イタリアやブラジルのスカウトが撮影していても、いっこうに不思議ではないのだ。チーム・コンディションをピークにもっていく時期は、あくまでも8月のアテネである。
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