O:一年前の26歳の時にではなく、20代前半で気がついていればもっと優秀な選手になれたかもしれない、という後悔はありますけど、気がつかないまま現役を終わるよりは幸せかなと思っています。今、柳本さんにアスリート性に目覚めさせてもらって、ゲームを楽しみながら高いレベルでやれるチャンスをいただき、試合にも出場できるのは、本当に幸せだなと思っています。
Y:大村選手がオリンピックを一番先に意識したのはいつ頃ですか。
O:ソウル五輪の時ですかね。多分、小学校5、6年生の頃だと思う。私はまだバレーにそれほど興味がなかった。でも、周りの人たちは男子バレーに熱を上げていて、川合さん、中垣内さん、三橋さんなどのプレイに魅入られていたみたいなんですけど、私は「バレーよりアニメを見たい」なんて言っていたくらいでした。でも、なんか選手の皆さんは輝いていましたよね。オリンピックって華やかなところなんだろうな、と思った記憶はあります。中学でバレー部に入って、3年の時に大阪でワールドカップの試合があった時に、友達のお父さんに連れていってもらったんですよ。もうカルチャーショック。会場は超満員で、斎藤真由美さんの人気に驚き、キューバのルイスの跳躍力には唖然とするし、いつか自分もこういう舞台でバレーをしてみたいと思いました。オリンピックを現実的なものとして意識したのはシドニー五輪の時ですかね。でも、今考えれば、自分の意識が本当に甘かったと思います。私の全日本初選出は97年なんですけど、いつも出たり入ったりで…。最終の12人に残れなかった。だから、シドニーの時もせっかく選んでいただいたのに「どうせまた外されるのだし」と、真剣に取り組もうとしなかったんですよ。当然のように、大会直前でチームに返されました。でも、その時は本当に悔しかったし辛かった。シドニーの切符を獲り逃した選手たちは心に深い疵を負ったかもしれないけど、私自身も同じように忸怩たる思いがありました。
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