T:だからずっと早く楽をさせてあげたいと思っていました。私がお金を稼げるようになったら、面倒を見ようと思っていたのに、今は息子の面倒を見てもらっているから、未だに私が頼り切っている状態ですかね。そんな母にアテネでの姿を見せてやりたいんです。95年に全日本を辞退し、引退した時も「どうしてオリンピックに行かないの」と言われましたからね。母としては、娘に五輪を目指して欲しかったんだと思います。双子の姉はJTBに勤めているので、アテネ五輪はツアー添乗員として来るみたい。
Y:辻さんは1度引退し、また地域リーグのチームからバレーを始めました。その間、結婚もし子供も生んで、再び全日本に返り咲きましたけど、そのエネルギーはどこから湧いてくるんでしょうねえ。
T:う〜ん、単純なことかもしれませんが、やっぱりバレーが好きなんだと思いますね。私はどちらかというと好奇心が旺盛な方で、何にでも興味を持っちゃう。一方、飽きっぽくもある。いわゆる、熱しやすくて、冷めやすいというタイプです。でも、Vリーグとか全日本のようなトップレベルのバレーは辞めたけど、ママさんバレーに毛が生えたようなバレーはずっと続けて来ましたから。多分、バレーは生活の一部になってしまっているのかもしれません。小学生の頃、夏休みとか正月休みでバレーができない時期があると「気が狂っちゃう」と母にこぼしていたらしいんです。私は全然覚えていないんですけど、母に「あなたはバレーができないと『気が狂っちゃう、お母さん』と溜息をついていたからねえ」と言われたことがあります。自分で記憶にあるのは、やはり小学生の頃に肩を骨折したんですけど、ギプスをはめながら、毎日ボール拾いをしていたことかな。周りの人たちには「休め」と言われつつも、なんかボールに触っていないと安らげないような気持ちがあったような気がする。自分ではことさら意識したことはなかったんですけど、バレーが好きで好きで仕方なかったんだと思いますね。そんな子供時代に目覚めた精神が今なお、私の根底に脈打っているんでしょう(笑)。
[戻る|次へ]
[戻る|0.TOP]
(C)2004 Fuji Television.