Y:前回の第10回Vリーグで、久光から復帰するまでの3年間は、どういう生活をしていたんですか。
N:旭川の実家に戻って、のんびりしていられたのはほんの僅かな期間でした。すぐにバレー教室の指導を頼まれたり、講演の依頼が来たり、結構忙しかった。ミカサの札幌支社に入社し、営業もしましたよ。私にとっては、すごく貴重な3年間でした。これまで全日本とかVリーグとか、頂点のバレーしか知らなかったけど、バレー教室の指導をして歩いているうちに、自分の視野の狭さに気づかされたんです。田舎の小さな小学校で、懸命にバレーを教えている先生がいる。地区で一番になりたいと目を輝かせている中学生がいる。勝てなくともいい、もっと上手くなりたいと汗を流すママさんたちがいる。そんな人たちに接していると、自分がいかに狭い世界に身を置いてきたかがわかって、愕然とさせられたんです。飛び込みの営業もしましたよ。バレーボールだけでなく、サッカーボール、バスケットボールも売り歩きました。「ミカサの大懸(旧姓)です。ボールを買ってください」と、旭川、帯広、室蘭地区のほとんどの学校を廻りましたよ。営業成績は、自分で言うのもおこがましいですが、良かったんじゃないですかね。断られても「また来ます」と、引かなかったですから(笑)。営業も楽しかったけど、一番ウキウキさせられたのはやはり小学生をコーチしている時でした。子供達はバレーに純粋で、無心に上手くなろうとしている。目をキラキラさせながら、私の話をじっと聞いているんです。そんな姿に接していると、私もまたバレーがしたいな、と抑えきれない感情が沸き起こってきました。
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