N:全日本でも、そういうちょっとした違和感というのはあると思う。でも、これは練習を重ねていくことによって消えていくことなんですけどね。ゲーム練習もそれほどこなしていないし、ポジションも毎試合替えられるから、コート内での判断が難しいんです。でも、一緒にアトランタ五輪を戦ったトモさん(吉原)とか、NECで一緒だったテン(竹下)とかスギ(杉山)、シン(高橋)がいるから、こういうボールを上げておけば大丈夫とかそういうのがわかるので、気持ち的にはそれほど追い込まれてはいませんけどね。
Y:2001年3月に突然、引退しました。25歳というアスリートとしては最も脂が乗りきる時期なのに、もったいないと思いました。
N:いや、自分としては本当に限界でした。もうこれ以上、バレーは続けられないと思ったんです。バレーをやることが辛くなっていた。身体や精神が拒否反応を起こしてしまっていたんです。確かに、2000年にシドニー五輪の切符を取り逃したことが引き金になりましたけど、これまで自分にバレーを詰め込んで詰め込んできたので、もうパンパンの状態でした。本当は最終予選の直後に辞めたかったんですけど、NECではキャプテンもやっていたし、自分のワガママを通せる状態じゃなかった。だから、実際行動に移せたのはその1年後です。その間、「もうできない」「でも、頑張らないといけない」という葛藤が、毎日シーソーゲームをしていました。 辞めた時は、解放感いっぱい(笑)。もう、勝たなくともいいんだと思ったし、その前に疲労骨折を4箇所ぐらいしていたので、怪我をじっくり治せることが嬉しかった。身体の痛みとは長いこと友達で、辞めた瞬間、もう自分の身体に嘘をつかなくて済むと思いましたもん。私は小学校4年生から、勝たなくてはならないバレーを強いられてきたので、バレーに対する心のゆとりがなくなってしまっていたんだと思いますね。
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