Y:シドニー五輪の世界最終予選のメンバー発表があった時「私は切符を取るために呼ばれました」と言い切りましたよね。結果は悔しいものだったけど、面白い選手が出てきたと強烈な印象でした。
T:今考えれば、そう言い切らなければならないほど、いろんなものを背負っていたんだと思います。私は身長が低いということだけで何かと批判があったし、それ以上に、私を選んでくれた葛和監督が非難されるのが辛かった。だから、プレイで絶対に黙らしてやろうと思っていた。そんなマイナス部分を自分に抱え込んでいたからダメだったんですよね。よく他人にも言われましたよ。「そんなに抱え込まなくたっていいんじゃないの」って。でも、葛和さんからも「自分の立場をわかっているのか」と何度も怒鳴られましたし、自分でも理想のセッター像を求めたり、チームの中でこういう立場であるべきだと、自分でストイックなほど追い込んできたので、精神が飽和状態になっちゃった。心に、遊びの部分がなくなってしまったんです。余裕は罪だくらいに思っていましたから。私の性格上、どうしても詰め込まざるを得なかった。でも、今は自分でも変わったなと思いますね。そんな自分に疲れて、一旦、バレーから離れたんですけど、それが良かったと思う。
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