Y:シドニー五輪の2年後にバレーを止めて、故郷の北九州市に帰られた。そこでハローワークにも通ったそうですね。
T:取り敢えず、食べていかなければなりませんから。福祉関係の仕事がしたかったんです。バレーで鍛えた体力とパワーには自信があったので、老人介護の仕事が良いかなと考えていました。この頃の生活は刺激的でしたね。これまで、昼にぶらぶらするとか夜に飲みに行くなんて経験なかったので、そんな生活がすごく新鮮だった。でも、完全燃焼でバレーから離れたわけではなかったので、心に蓋をしていたものが日が経つに連れドンドン、膨らんでいくんです。オリンピックに行きたい、って。引退した3ケ月目くらいに、たまたま友達に誘われビーチバレーをしたところ「あれ、バレーってやっぱり楽しいぞ」という感情が突き上げてきた。NECを止めてからも、Vリーグのチームからお誘いの話はあったんですけど、「もうバレーはやるつもりはない」とずっと断り続けていました。でも、ビーチで白球に触ってからまたやりたいと心の底から思ったし、アテネ五輪のチャンスを掴むにはギリギリの時期にきていたため、一番熱心に誘っていただいていたJTにお願いすることにしました。JTはその時V1だったので、それも判断材料になりました。再出発するなら、ゼロからスタートしたいと思っていましたから。
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