Y:小学校の先生をやりながら、それだけの子供たちをほぼ毎日教えているのですか。
S:はい。毎日ですね。私はまず、朝練習をやって学校に行き、下校してまた練習というのをほとんど一日も欠すことなく繰り返していました。もちろん、時には友達と遊びたいという時もありましたけど、父との練習が当たり前になっていたので、サボりたいと思ったことはなかった。多分、練習というより、父と遊ぶ感覚だったのかも知れません。「スケートばかりしていないで勉強しなさい」と言われたことはなかったですね。勉強はちゃんとやっていたし、宿題も忘れたことはなかったですから。これでも優等生だったんですよ。そうだ、一度だけ母に、中学1年生の終わりの頃に英語の成績が落ちたので、英語塾に通わされたことがあったっけ(笑)。スケートを精一杯やっていたけど、勉強も嫌いじゃなかったです。
Y:中学生の時に全国大会の500m、1000mで優勝、高校時代の96、97年にインターハイの500mで連覇したのは、お父さんの指導の賜物だったんですね。
S:私より、父の方がスケートに夢中だったのかも知れません。スケートの素人だったけど、自分で考えた練習メニューや技をこなしていく娘が面白かったんでしょうね。夏はローラースケートや陸上トレーニングを毎日やりましたよ。冬場になると近所にスケートリンクがないので、諏訪や茅野までワゴン車に乗せられて連れていかれましたもん。現在は「宮田スケートクラブ」という組織で、日本スケート連盟にも所属するクラブです。隣の市から通ってくる子供たちも多くなりました。私は子供時代、結構おてんばだった。塀の上を歩いたり、田んぼに入ったり、おたまじゃくしと遊んだり、いわば自然児。身体を動かすことは大好きでした。でも、なぜか球技系は全然ダメでしたけど(笑)。
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