Y:今シーズン、イタリアではなくギリシャに活躍の場を求めたのも、オリンピックを見据えた判断だったんですよね。
K:そうです。本音を言えば、もう1度セリエAに戻りたかった。前所属先のトレビソをはじめ、他のいくつかのチームからオファーはいただきましたから。でも、オリンピックのことを考えると、セリエAは物理的に無理だった。五輪の世界最終予選は来年(2004年)の5月じゃないですか。セリエAのプレイオフが終了するのも5月。そうすると全日本の合宿にまったく参加できないまま最終予選を迎えることになる。このスケジュールだとあまりにも危険です。僕だって、リーグを闘ってすぐに全日本に合流しても、体力は残っていないだろうし、ピークパフォーマンスを発揮できる自信もない。もちろん、セリエAのチームとは、3月ぐらいで日本に帰国できないかと交渉しましたよ。どこもNOでした。その点、ギリシャは3月でリーグが終了するので都合が良かった。オリンピックの開催国でもあるので、アテネ五輪の前にこの地に慣れておきたいという気持ちもありました。PAOKに決めたのは、トレビソと同じようにバレーをする環境が良かったのと、僕の腕を高く買ってくれたからです。年棒は、トレビソの10倍近い金額を提示されました。
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