Y:その割には、国際デビュー戦となったワールドリーグではいきなりスタメンに起用され、活躍しました。度胸の良さには感心させられます。
K:初物、って好きかも(笑)。高校一年の時も、大学一年の時も、Vリーグのデビュー戦も、すぐにパフォーマンスを発揮することができましたから。プレッシャーとか、あんまり感じないタイプかもしれないです。表情には出さないけど、ここ一番という時はメチャクチャ高い集中力の中に自分を追いやることができるんです。だからワールドリーグでも緊張することはなかったし、自分ではできると思っていましたからね。でも、終盤になって膝の怪我をしてしまったのは計算外でした。だからアジア選手権にも参加できなかった。会社の寮で、パソコンを通して結果をチェックしていたんですけど、勝てない結果を見ながら「なぜだ〜〜」と叫んでいました。
Y:東レは青山(繁)選手や笠原(紀久)選手など、実力のあるサイドアタッカーが揃っているのに入社していきなりレフトのポジションを獲得した。自分の中では予定通り、という感じだったんですか。
K:いやいや、笠原さんが怪我をしちゃったのでその代役だったんです。初めはベンチに入れるかどうかもわからなかったですから。リーグ中盤からチームがなかなか勝てなくなったけど、その頃はもう「俺に持って来い」と言えるようになっていましたね。Vリーグの試合にも慣れ、気持ち的にもプレー的にも、僕は調子が上がってきていました。当初は、富士フィルムに内定していたんです。でも、入社する前にバレー部が廃部になってしまい、以前から声をかけていただいていた東レに急遽、入社することになりました。僕にとっては結果的に良かったと思っています。何せ、このチームで僕のバレー観が変わりましたから。僕が今までやっていたバレーは何だったんだろう、って(笑)。
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