Y:しかし、2001年のグラチャンでは、大学の3年後輩である阿部(裕太)選手が全日本のセッターを務めました。
U:グラチャンの時は膝の靭帯を切って、途中リタイアしてしまいました。悔しかったですけどね。でも、その時以上に悔しくて、バレーに対する自分の姿勢を考え直すきっかけになったのが昨年の世界選手権でした。世界選手権とアジア大会の日程がバッティングして、全日本のAチームが世界選手権、Bチームがアジア大会に出場することになったんですけど、田中(幹保)監督に「お前はアジア大会に行け」と言われたんです。Aチームには阿部が選ばれました。世界選手権に行けないんであれば、チームに戻った方がいいと思った。チームの監督にも「お前が行きたくないんであれば行かなくていい」と言われていたし、アジア大会を辞退することも考えていたんです。でも、田中監督に「行く」と約束してしまったので、気持ちが乗らないまま開催地に向かいました。Bチームの監督は大古(誠司)さんでした。僕はここでも初めは外されていたんです。なんか心がモヤモヤしていたし、足首の状態も万全ではなかったので、バレーに対して引いていた部分があったと思います。大古さんは、そんな僕の気持ちを見抜いて注意したり、声をかけたりしてくれました。そして、僕の気持ちを整理して進むべき方向を示唆してくれたんです。大古さんといろいろ話しているうちに、もう一回頑張ろう、という気持ちになりました。最終的には試合で僕を使ってくれましたしね。韓国、イランに負けて3位でしたけど、僕にとっては忘れられない大会でした。

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