Y:中学の先生は他の高校を進めていたんですよね。でも、栗原選手は三田尻を選んだ。15歳の少女が先生に「NO」と言うのも勇気がいるだろうし(笑)、なんでまた、友達とも別れてたった一人で山口県へ?
K:どうしてかな? 改めてそう聞かれるとわからないけど、やっぱりもっとバレーが巧くなりたかったんだと思う。それと勝つ喜びですよね。どんなに辛くて苦しいことがあっても、優勝するとすべてがプラスの出来事と考えられるじゃないですか。正直言って、中学校も高校もバレーをやる環境は厳しかったですね。高校の時は、コートで「笑え」と言われるのが辛かった(笑)。高校まで、笑ったことがなかったんですよ。中学の時にバレーが下手なまま転校したので、いつもすごく怒られて。生徒を抑えるような中学校だったから、怒られているうちに笑えなくなってしまっていたんです。笑顔を忘れちゃっていたので、高校に入った時は生意気な生徒だと思われていたんじゃないでしょうか。だから、高校では笑う練習をさせられた。でも、楽しくもないのに「笑え」と言われても、辛いだけですよね。今、考えればすごく馬鹿らしいと思うのですけど。そんな練習をさせられたのは私一人でした。でも、そのお陰で、コートでいいプレイをすれば笑ったり、ガッツポーズもできるようになりました。今でも、冷静過ぎて怒られることがありますよ。基本的に表現ベタなんです。ただ、喜怒哀楽がはっきりした方が観客を引きつけられるので、意志は表現した方がいいとは思ってはいますけど。
[戻る|次へ]

[戻る|0.TOP]

(C)2004 Fuji Television.