Y:親に反対されながら、中学2年生で他県の中学校にバレー留学を決めるというのもすごいですね。何がそこまで駆り立てたのですか。
K:きっかけは、その中学校からお誘いを頂いたことなんですけど。もちろん、決断するまで毎日毎日悩みましたよ。私の実家は広島県の能美町という小さな島なんです。友達も幼稚園、小学校、中学校とほとんど同じ。その子達と離れるのが辛くて、転校のことを考えると泣いてばかりいました。そうすると両親からは「泣くくらいなら行くな」と言われて。多分、そんな弱い気持ちでバレー転校しても意味がないと思ったんでしょう。でも、「行くな」と言われると行きたくなっちゃう(笑)。それに、原点に戻ってシンプルに考えてみると、小さい頃からバレー選手になりたいと思っていたし、小さな島にいたのではあまり巧くなれないというのは自分でもわかっていました。挑戦しないで後悔するよりは、ダメでもやって後悔した方がいい、という結論に達したんです。バレーが巧くなりたかった。一流になりたいとう発想は全然なかったですけど、とにかく、今よりは少しでも巧くなりたいという気持ちが、能美島から姫路市に向かわせたのだと思います。
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