YOSHII:しかし、97年には現役でありながら母校の明治大学の監督に就任し、その一方で新日鉄の社員という三足のわらじを履きつつ、体重別や日本選手権では優勝し続け、99年の世界柔道でもチャンピオンに輝いている。この時30歳。練習の方法によっては、まだ世界王者になれたのではありませんか。
YOSHIDA:確かに、この頃は監督業も忙しくて、自分の練習が満足にできる状態ではなかった。でも、練習量を増やしたからって勝てるかどうかは別の話。井上康生や棟田康幸、鈴木桂治など100kg級や無差別級で若くて才能ある選手がドンドン伸びてきている。全日本に選ばれるかどうか分からない以上、新日鉄にも柔道を続けさせて欲しいとは言えない。かといって、新日鉄でサラリーマンに専念するというのも考えられなかったし。
YOSHII:明大で監督を続けるという道もあったのでは。
YOSHIDA:大学の監督って意外と雑用が多いんですよ。全国の高校を廻って、実力のありそうな選手を勧誘したり、柔道関係者や学校関係者と会合が多かったり。学生を毎日指導できるわけではない。僕は言葉で、精神や技を説明するタイプではなく、取り組みながら実戦で指導する方法を取った。そうするとやっぱり、僕が勝っちゃうわけですよ。そんな僕を見て、学生たちは練習しなくとも勝てちゃうんだなと勝手に解釈するんです。僕が勝てるのは、それまで流してきた汗の絶対量が違うからこそなのに、表層的なことで判断する。こういう環境は学生たちのためにも良くないな、とはずっと思っていました。
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