YOSHII:2002年は柔道を引退、総合格闘技に転身、子供たちを指導する吉田道場の開設と、人生の転機の年だったと思うのですが、その行動の発火点は何だったのか、教えて下さい。
YOSHIDA:いっぱいありすぎて一言では言えませんね。引退を決意してから半年ぐらいは、それこそ胃がキリキリするくらい悩みました。現役を退くことを想定してみると、自分には何も残らないことに愕然としたんです。これまで育ててもらった柔道界は、このままのシステムでいいのかという疑問が改めて頭をもたげてきた。でも、改革に着手するにしても何から手をつけていいのか分からないし、そもそも日本のお家芸と言われる柔道界に「このままでいいのか」と声を上げていいものなのか疑問もあったし、引退してどうやって生活するのかという不安も付きまとっていた。そんなことを誰にも相談できず、毎日逡巡しているうちに考えることに疲れちゃって、とにかく自分で信じた道を行ってみようと開き直ったんです。柔道界から身を引けば自分の行動は誰にも迷惑をかけるものではないし、批判や非難は自分の責任の上で受ければいい、と。そう思ったらすーっと軽くなって、後は何も考えないでひた走って来ました(笑)。
YOSHII:もう少し詳しく説明してください。そもそも引退を決意したきっかけはどういうことだったんですか。
YOSHIDA:2001年11月の日本柔道体重別選手権の100kg級決勝戦で、新鋭の鈴木桂治選手と対戦し、選手生活で初めて「勝てないかも知れない」と思ったんです。結果的には、試合中に右太腿の肉離れを起こして棄権したので2位になったのですが、でも、試合中に「勝てないかも知れない」という思いが脳裏をよぎったのがショックでした。シドニー五輪では、右腕脱臼で3回戦で敗退をしてしまったけど、まだやれる、という確信がありましたから。そういう気持ちが芽生えた以上、そろそろ潮時だなと覚悟しました。2002年4月の全日本選手権大会を引退試合にしようと密かに決めていたんです。一回戦で敗退しました。
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