第二章「新・韓国人」
戦時下の韓国政府の「肝いり」で作られた"プロパガンダ村"大成洞も、時代の波と無縁ではなかった。以前は徹底した反共教育を行っていた小学校には、今やパソコンがずらりと並び、子供たちの多くはいまこの「宣伝村」を捨て、都会暮らしに憧れを抱いている。
「俺たちは先生に言われて何度も"金日成を殺せ"と合唱したもんだ」という30代の男性の話も、ミンジにとっては初めて聞く話だった。

実は、ミンジたちが入学した頃は小学校での「反共教育」は廃止されていたからだ。彼女は「94年危機」(北朝鮮の核開発疑惑を巡り米朝関係が急激に緊張した)の時にはまだ7歳。村人全員が戦争は避けられないと考え、真剣に脱出を考えたことも知らない。

皮肉にも彼女は、ソウルで一人暮らしをするようになって初めて、自分の故郷のこと、38度線のことを強く意識し考えるようになったという。

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