・ことし社員になったことだし、まだ可能性はありますよね。
M:可能性はね....(笑)で、報道に入って、最初ADを1年ぐらいやって、それから少し天気に関係するようになって、昼のニュースの天気予報の仕事をするようになったんです。2年目ぐらいになると今度は夕方のニュースの天気をやって、それでどんどんハマっていったんです。その当時、たまたまフジテレビって社員で天気をまとめられる人がいなかったんですよ。要はまとめるのはニュースの編集長みたいな人が、ニュースを含めてやっているってスタンスでしたから、「天気専門」って人はいませんでしたね。
・「気象予報士」が始まらなかったら、そのままになっていたかもしれませんね。
M:そうこうしているうちに、気象予報士が登場するにあたって「気象業務法」とうい法律が変わることになったので、気象庁が関係する業界に対して意見を聞くわけですよね。その中に放送局も含まれていて、放送局も1回集まって聞きましょうということになって、「フジは誰が出るんだ?」ということになったんです。気象予報士って制度も出来ることだし、せっかくここまで天気のことをやってきたんだから、試験も受けてみるかなと思って....
・松尾アナとは時期が違いますよね。
M:僕は一番最初のときだったんで、平成4年か5年かっていう....
・三井さんのウワサが一般の部署でも聞こえ始めてから、フジの中でも何人か受験しましたよね。
アナウンス室が中心になっていたかと思うんですが、一緒に勉強したりとか、報道の中でも勉強会を開こうという話になったり....
[戻る|次へ]
[0.TOP]
(C)2004 Fuji Television.