はい!美術タイトルです

タイトルデザイン:岩崎光明

Vol.3

手書き全盛時代の達人②
高柳義信デザイナー

岩崎光明 プロフィール

1982年よりフジテレビタイトルデザイン室でタイトルデザイン、イラストなどの制作を担当。
代表作は「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」
「ダウンタウンのごっつええ感じ」「世にも奇妙な物語」など。
この連載では主にアナログ時代のタイトルデザインについてご紹介します。
題名の“美術タイトル”(略称は美タイ)は河田町フジテレビ時代の名称。美術タイトルは報道以外の全番組を担当していました。
報道番組の写植などを制作する“報道タイトル”は報道部にあり、役割は全く違っていました。

フジテレビタイトルデザイナーのレジェンド紹介第二弾はあの国民的番組のタイトルデザインを担当した高柳義信さんです。

代表作は『笑っていいとも!』

高柳さんのデザインの特徴は、なんと言ってもわかりやすいデザイン。イラストやグラフィカルなシンボルを取り入れたデザインは、広い視聴者層をターゲットにしたバラエティーのタイトルにはぴったりでした。「楽しくなければテレビじゃない」の波に乗った高柳さんの代表作といえば、国民的人気番組『笑っていいとも!』。

なびく旗、ロゴの下から吹き出た星はビックリマークにつながり、星のツノに刺されて〝も〟には凹みができています。ギャグ漫画のタイトルを彷彿とさせるものでした。『笑っていいとも!』は1982年から2014年まで、お昼の本編だけでなく日曜の『笑っていいとも!増刊号』やスペシャル番組などで多くの視聴者に親しまれましたが、高柳さんのタイトルデザインも縁の下で大きな役割を果たしていたのではないでしょうか。イラスト入りのロゴは当時のスタッフに好評だったことから、慣例化していったそうです。高柳さんは似顔絵もお得意で、番組内でも似顔絵がよく使われていました。番組の台本表紙とコーナータイトルの数々をご覧ください。どれもコミカルで楽しさ溢れるデザインばかりです。高柳さんがタイトル室を卒業後に「笑っていいとも!」を引き継いだデザイナーは、高柳スタイルのデザインを壊さぬよう、イラスト入りのタイトルをデザインしていました。

イラスト満載!番組台本表紙デザイン

出演者似顔絵と増刊号ロゴ

「笑っていいとも!」コーナータイトル集

「いいとも!」に登場したコーナータイトルの数々を紹介します。番組開始当時は手書き文字オンリーでしたが、1990年代半ばにはマックのフォントを利用してのデザインも増えてきました。ここに並べた中にも手書きデザインとフォント利用のデザインが混在していますが、違いがわかるでしょうか。昔のタイトルデザイナーは筆文字、ゴシック、明朝体を筆一本で表現するのが当たり前でしたが、令和に活躍する若いタイトルデザイナーで筆を表現道具として使う人が少なくなってしまったことは、とても寂しいことです。

明朗快活直球勝負!これが高柳デザイン

1976年の初代ロゴ。
王道のスポーツ番組といったデザイン。

1980年10月から1982年10月まで、スタジオアルタから
毎日公開生放送。『笑っていいとも!』の前身番組。

がっぷりと食らいついた様子が楽しいタイトルロゴ。
1984年10月から1990年12月まで生放送された
トークショー。

『いただきます』の後番組。
1991年1月から2016年3月まで放送。

藤沢デザイナーの後を引継ぎ
ドリフ、志村関連の番組も長く担当。

1985年10月から1991年9月まで放送されたクイズ番組。
間下このみちゃん、カケフくんが大人気。

CGタイトルを思わせる手描きによる立体表現が斬新な
デザイン。1983年4月から1987年11月まで放送された
タレントやアイドル主演の単発テレビドラマ枠。

1986年秋から1998年夏まで年1~2回ペースで放送された特別番組。よく見るとロゴの中にナイフとフォークが
隠れているのだ。

「夜はタマたマ男だけ!!」に出演!

CG表現のない頃のシンプルなタイトル表示。

『夜はタマたマ男だけ!!』は宇崎竜童さんと所ジョージさんがMCのバラエティー番組。1985 年、萩本欽一さんの半年間の休養で、月曜21:00 に放送されていた『欽ドン!』のつなぎ番組として急遽制作されたのが『夜はタマたマ男だけ!!』でした。
所さんのコーナーが好評でしたが、萩本欽一さんの復帰と、『マイルド欽ドン!』の開始で番組は4 カ月で終了しました。

番組内のスタッフ紹介コーナーに出演。

タイトルの高柳です。
タイトルといいますのは番組タイトルのデザインをする仕事です。『夜はタマたマ』は所さんのイメージで、『男だけ』は宇崎さんのイメージで描きました。男っぽい文字の中に遊びを入れながら描いておりますがいかがでしょうか。
この番組のタイトルは私、高柳が責任を持ってお送りします。

面相筆でテロップに文字を書く高柳さん。

“美術タイトル”での仕事風景。

写真は番組のスタッフ紹介のコーナーに高柳さんが出演した時のものです。新宿区河田町にあったフジテレビ旧社屋のタイトル室の様子が映っています。短い放送期間でしたが、番組に出演したことや、その後のスタッフとの長い付き合いなど、高柳さんとしてはとても思い入れのある番組の一つということでした。番組の終了翌月、所さんのコーナーが『所さんのただものではない!』として単独番組化され、タイトルデザインはもちろん高柳さんが担当しました。

フジテレビ河田町時代の“美術タイトル” 入り口。

ADに信頼されるアニキ的存在

高柳さんは大の石原裕次郎ファン。裕次郎の男っぽい生き方に憧れていたそうです。
ご自身も男気と義理人情に溢れるお人柄、その上いつも笑顔でとても気さくな方だったので、制作スタッフにとても頼りにされていました。タイトル室に入ってきたADが担当デザイナーが見つからず困っていると、“何かできることあればやるよ”と高柳さんの方から声をかけていました。
昔、「困ったときは高柳さん」なんて制作スタッフが話すのを聞いたことがありました。そういえば私も困ったときに高柳さんから声をかけてもらったことが何度もありました。
“何かできることあればやるよ!”当時このセリフで助けられた制作スタッフはどれだけいるのでしょう。

〈高柳義信〉1942年 静岡県浜松市出身。
日本デザインスクール卒業。
フジテレビ在籍期間:1967年~2007年迄。
最近はお洒落(服装)に凝っています。