芸能界のレジェンド・堺正章。知られざる“下積み時代”を語る
12月3日(月)放送
エンターテイナー“堺しぇんしぇえ”登場
MCの石橋貴明さんとミッツ・マングローブさんがちょっと昔のアレコレを語るトーク番組『石橋貴明のたいむとんねる』。12月3日の放送は、ゲストに堺 正章さんを迎え「石橋貴明が語り継ぎたい 堺しぇんしぇえのココがスゴい!」というテーマでお届けしました。
バンドマン、俳優、司会者とさまざまな分野で成功してきたエンターテイナーの堺さん。ヒット曲「さらば恋人」を歌いながら登場しました。
「昔から可愛がってもらっていた」というタカさんと堺さんは30年来の仲。久しぶりに食事をしたときには、ゲラゲラ笑いながら6時間も話したそうで、タカさんは「これはテレビで紹介しなければ!」と思ったのだそうです。それが今回の出演のきっかけになったとか。
家柄だけでなく才能にも恵まれていた堺さん
堺さんは昭和を代表する喜劇俳優・堺駿二氏の長男として誕生しますが、幼少期に住んでいた鎌倉の豪邸にタカさんとミッツさんは驚き! なんと敷地4000坪もあり、庭に当時堺さんがハマっていたローラースケート場があったそうです。
そんな堺さんは6歳で役者デビューしますが、16歳になると「芝居じゃなくて音楽がやりたい」と、のちのGSブームの先駆けとなったバンド、ザ・スパイダースに加入。
1965年「フリフリ」でデビューし、なかなか売れない日々が続きますが1966年「夕日が泣いている」が120万枚を売り上げる大ヒット。当時はまだ数組しか成し遂げていなかったヨーロッパでツアーを成功させました。
当時を振り返り、堺さんが語ります。
「ヨーロッパにいる間に『夕日が泣いている』に火がついたの。帰ってきたら空港にメンバーを待つファンが押し寄せてきて、もうコンサート状態みたいだった。でも、自分なりに声援を分析すると「(井上)順ちゃ~ん!」が多かったね」と笑う堺さん。
タカさんが「そんなに順さんはすごかったんですか?」と聞くと「すごかったよ、和製ポール・マッカートニーって言われてたんだから。これじゃ俺はやばいぞと思って、笑いの世界に引き込んだんだよ(笑)。『どうやってやるの?』っていうからコケ方を教えた。そしたらどんどん人気が落ちていったの(笑)」とのこと。
『時間ですよ』で共演した若かりし樹木希林さん
息ぴったりの二人の掛け合いは1971年のバンド解散後もさまざまな番組で観られることになります。
1971年にバンドが解散すると、テレビの世界へ身を置く堺さん。そのきっかけになったのはドラマ『時間ですよ』の健ちゃん役でした。
ドラマ内の名物は堺さん、樹木希林さん、浅田美代子さんが繰り広げるコント。堺さんは今年亡くなった樹木希林さんの印象を語りました。
「当時から演じることが好きなんだなと思っていたけど、最後は『万引き家族』に出る大女優になる。自分がどうなるかわからないこの時代の樹木希林っていうのはちょっと面白い気がするね」
三蔵法師役を最初にオファーしたのは?
そして30代になるとアイドルの影はなくスターの座を確立。井上 順さんとの共演も記憶に残る『新春かくし芸大会』や『カックラキン大放送』。そしてドラマ『西遊記』などにも出演しました。
「『西遊記』の三蔵法師役は最初、夏目雅子じゃなかったの。坂東玉三郎(5代目)に頼んだんだけど、主要キャスト(堺 正章、西田敏行、岸辺シロー)を話したら断られた」と爆笑する堺さん。
「でも、夏目雅子はすごくよかった。モデルさん上がりと思ってたけど、ちょっとアドリブかましても平気でついてくる。『こんな女優さんいる?』って感じだった」と語ります。子供時代に『西遊記』を見ていたMCのふたりは、レアな裏話に「へぇ~!」と感心していました。
年末のディナーショーでかくし芸!?
『新春かくし芸大会』では毎年困難な芸を習得することから“Mr.かくし芸”の異名をとっていた堺さん。当時のエピソードをタカさんが暴露します。
「12月半ばにかくし芸を収録するんですけど、そのあとしぇんしぇえがディナーショーでその技をやっちゃうの。OA前にやっちゃうんです」と言うと堺さんも「これを正月にやります!ってお客さんに言ってね」と爆笑していました。
レジェンド伝説はまだまだ終わりません。1986年から堺さんはさまざまな番組でMCを務めていきます。1991年のNHK紅白歌合戦では、初めて司会を務めますが、この年とんねるずも紅白に初出演。ふたりの思い出話は延々と続いていきました。
文=パンチ広沢
番組情報
『石橋貴明のたいむとんねる』
<放送>
12月3日放送回 毎週月曜23時~23時40分
<出演>
石橋貴明、ミッツ・マングローブ
ゲスト:堺 正章